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この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

新年明けましておめでとうございます。

2022-01-01 19:58:38 | 戯言
 新年明けましておめでとうございます。
 と言っている端からなんですが、年が明けるとなぜめでたいのかがわからない自分です。
 少なくとも個人的には年が明けたからといって「めでたい!」という気分にはならないですね。
 なぜ年が明けても「めでたい!」という気分にならないのか?
 例えば年賀状の存在があります。
 皆さんは今年、何通ぐらい年賀状を受け取りましたか?
 平均何通ぐらい年賀状を受け取るのか、寡聞にして知りませんが、自分は何と2通ですよ、2通。
 しかそのうちのも1通は姪っ子からで、もう1通はここ10年ぐらい年賀状のやり取り「だけ」をしているネットの知り合いです。
 リアルの知り合いからはゼロ!
 リアルの知り合いがいないってことは普段気にしないように努めていますが、年賀状は残酷な現実を突きつけますね。
 これで「新しい年がやってきた、きゃっほーい!」とはしゃぐ気持ちになれるわけがありません。

 まぁ年賀状が誰からも送られてこないのはある意味自業自得なんですけどね。
 なぜなら自分も自分からは1通も送ってないので。
 何だよ、自分からは送ってないのかよ、と突っ込まれそうですが、昔からそうだったわけではないんですよ。
 高校生や大学生の頃は、5、60通ぐらい毎年年賀状を書いていました。
 それがなぜ送らなくなったかというと、理由は単純、返還率が悪かったからです。
 こちらが年賀状を送っているのに送り返さない奴がやたらいたんですよね。
 それである年、心が折れてしまってこちらから送らなくなったら途端に誰からも送られてこなくなってこの体たらくです。
 
 年賀状を自分から送らないのはいいとして、送られてきたら送り返しましょうよ。
 年賀状を送る、送らないは個人の自由?
 例え送られてきたとしても?
 そんな自由はないと思うけどなぁ。
 挨拶をしてこない奴に挨拶をする必要はないけど、「おはよう!」って挨拶してくる奴を無視するのってそれって「アリ」なの?
 挨拶をする、しないも個人の自由?
 そんな自由って本当にあるの?
 何のための自由?
 誰のための自由?
 そんな自由を振りかざして一体誰が得をするの?

 新年早々説教臭いことを言っちゃいましたね。
 説教臭いことこの上ないブログではありますが、今年一年よろしくお願いします。
コメント (2)
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