この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

映画を観らずに批評する人たち。

2021-09-02 22:14:55 | 戯言
 少し前の記事で自分は正しい解釈は一つだ、と述べました。
 解釈はその作品に込められた作者の想いを探る行為であり、作者の想いが一つであるなら、正しい解釈も一つである、と考えるからです。

 その一方で感想は自由であると考えています。
 なぜ感想は自由なのか?
 それは人はそれぞれ生きてきた人生が違うからです。
 生きてきた人生が違えば、何に感動するか、何が面白いと思うか、何を美しいと思うか、そういった価値観や基準が違ってくるのは当然です。
 ですから、同じ映画を観ても人それぞれ感想が違ってくるのです。
 
 感想は決して他人に強制されるものでもなければ、否定されるものでもありません。
 感想を強制することは生き方を強制することであり、感想を否定することはその人の人生を否定することになります。

 今、感想は強制されるものでも、否定されるものでもない、と言いました。
 ただし、間違った感想はあります。
 例えばバラの花を見て、綺麗だと思ったとします。
 けれど、よくよく見るとそれはバラの花ではなく、ボタンの花だった。
 この場合、バラの花が綺麗だという感想は間違った感想になります。
 感想は自由であるべきですが、それは対象を正しく認識して初めて言えることです。
 バラの花を見てどのような感想を抱くかは観察者の自由ですが、ボタンの花を見てバラの花が綺麗だ、と思う自由などありません。

 対物であれば「認識」になりますが、作品に対しては「解釈」になります。
 その作品を見て、どのような感想を抱くかは人それぞれ自由ですが、それは正しい解釈をしてのことなのです。

 ついでに言っておくと、正しい解釈は一つだ、と述べましたが、解釈を間違ったとしてもそれは大したことではありません。
 ボタンの花を見てバラの花が綺麗だ、と思う自由はありませんが、見間違えていることに気づいたら、その時点で自分の認識を修正すればいいだけの話です。
 解釈もそれと同じです。

 解釈と感想についての持論を述べましたが、とにかく言いたいのは、感想は人それぞれ自由だということです。
 自分は「ショーシャンクの空に」を高く評価していますが、この作品を低く評価している人がいたとしても、そのことで不快に思うというようなことはありません。
 正しく解釈した上での感想、及び評価、批評はどのようなものであれ、一定の敬意を払うべきだと考えるからです。
 ただし、敬意を払えない批評もまたあります。

 9月3日、明日から『シャン・チー/テン・リングスの伝説』という映画が公開されます。
 yahoo映画のユーザーレビューでこの映画に星一つの評価をしている人がいるのです(こちら)。
 公開前に試写会などで観た可能性もゼロではないですが、たぶん観らずに評価しているのでしょう。
 yahoo映画のユーザーレビューは観た映画についてレビューする場であって、見ていない映画についてあれこれ語る場ではありません。
 評価点の信用度が下がるので、これは本当に止めて欲しいです。
コメント
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