トム・マッカーシー監督、マイケル・キートン主演、『スポットライト 世紀のスクープ』、TOHOシネマズ天神にて鑑賞。2016年11本目。
4月14日の熊本大地震のとき、これまでで一番の揺れだった、というようなことを書きましたが、まさかそのわずか2日後にそれ以上の揺れを味わうとは思ってもみませんでした。
14日の地震の際はかろうじてこらえた、棚の上の、主に折り紙作品を入れていた段ボール箱などが我先にと落ちてきましたよ。
もうどの揺れが余震なのか、わかったものではないですね。
そんな地震に翻弄される日々ではあるのですが、でもだからこそ日常を崩したくないなと思って、散らかった段ボール箱をほったらかしにしたまま、当初の予定通り映画を観に行ってきました。
観たのは今年のアカデミー賞において作品賞と脚本賞を受賞した『スポットライト 世紀のスクープ』です。
アカデミー賞において主要な2部門を受賞したのだから、さぞかし面白いに違いない、と思って観に行ったのですが、はっきり言います、一本の映画として見た場合、『スポットライト 世紀のスクープ』はそんなに面白くはないです。
カトリック神父による性的虐待事件というスクープを物にしたボストン・グローブ紙の記者たちのお話なのですが、なぜ面白くないかというと、取材対象が何だかんだ言いながら最終的には記者たちに協力的な態度を取るんですよね。それも虐待の被害者だけでなく、加害者である神父や、その神父を弁護した弁護士まで取材に協力するのです。まぁそれも記者たちの粘り強い取材交渉があったからではあるのですが…。
さらに作中「教会は証拠を隠滅するためであれば何でもする」というような不穏な台詞をあるキャラクターが口にします。
何でもする、というのであれば、よほど悪辣な取材妨害が行われるだろう、それどころか記者たちの命も狙われるに違いない、と思いますよね。それが「何でもする」ということでしょうから。
しかし実際には教会は証拠を一時的に非公開にしただけで、これといって取材を妨害するわけではないのです。もちろん法王庁から暗殺者が送り込まれる、といったこともありません。
何でもする、って結局何をしたんだよ、と思わずにはいられませんでした。
そういった意味で本作に社会派サスペンス的なものを求めたら肩透かしを喰らうと思います。
ただ、そうはいっても本作がアカデミー賞において作品賞を受賞したことには納得するものがあります。
何といっても題材が題材ですからね。
カトリック教会の暗部を暴いたボストン・グローブ紙のお手並みにも感心しますし、さらにこの題材で映画を撮ろうと思った製作スタッフの英断にも拍手を送りたいです。
アカデミー賞において評価が高かったのも作品の出来そのものよりも、そこらへんのことが評価されたのでは、と思いますね。
それにしても、神父が年端もいかない子供たちに性的虐待を加えていたのですから、開いた口がふさがらないとはこのことです。
しかも一人や二人じゃない、虐待は組織的に行われていたというのですから、言語道断と言っていいです。
私たちは無意識のうちに正義を信じます。
教師や警察官、それに政治家といった公職に就く者は正しい行いを為すものだと信じたいのです。
しかし、残念なことに、彼らの一部は、平然と職務に違反する行為、それどころか犯罪行為にさえ手を染めます。
公職に就く者といっても人間である、と言ってしまえばそれまでですが、それでも彼らの犯罪行為に関するニュース記事を読むと暗澹たる気持ちになります。
ましてや聖職者である神父が性犯罪を犯していたとすると何を信じればいいのか、正義はこの世にあるのかと問いたくなってしまいますよね。
本作では新聞記者がギリギリのところで正義を執行してくれました。
現代の日本の新聞記者もそういう存在であって欲しいものです。
お気に入り度★★★☆、お薦め度★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)。
4月14日の熊本大地震のとき、これまでで一番の揺れだった、というようなことを書きましたが、まさかそのわずか2日後にそれ以上の揺れを味わうとは思ってもみませんでした。
14日の地震の際はかろうじてこらえた、棚の上の、主に折り紙作品を入れていた段ボール箱などが我先にと落ちてきましたよ。
もうどの揺れが余震なのか、わかったものではないですね。
そんな地震に翻弄される日々ではあるのですが、でもだからこそ日常を崩したくないなと思って、散らかった段ボール箱をほったらかしにしたまま、当初の予定通り映画を観に行ってきました。
観たのは今年のアカデミー賞において作品賞と脚本賞を受賞した『スポットライト 世紀のスクープ』です。
アカデミー賞において主要な2部門を受賞したのだから、さぞかし面白いに違いない、と思って観に行ったのですが、はっきり言います、一本の映画として見た場合、『スポットライト 世紀のスクープ』はそんなに面白くはないです。
カトリック神父による性的虐待事件というスクープを物にしたボストン・グローブ紙の記者たちのお話なのですが、なぜ面白くないかというと、取材対象が何だかんだ言いながら最終的には記者たちに協力的な態度を取るんですよね。それも虐待の被害者だけでなく、加害者である神父や、その神父を弁護した弁護士まで取材に協力するのです。まぁそれも記者たちの粘り強い取材交渉があったからではあるのですが…。
さらに作中「教会は証拠を隠滅するためであれば何でもする」というような不穏な台詞をあるキャラクターが口にします。
何でもする、というのであれば、よほど悪辣な取材妨害が行われるだろう、それどころか記者たちの命も狙われるに違いない、と思いますよね。それが「何でもする」ということでしょうから。
しかし実際には教会は証拠を一時的に非公開にしただけで、これといって取材を妨害するわけではないのです。もちろん法王庁から暗殺者が送り込まれる、といったこともありません。
何でもする、って結局何をしたんだよ、と思わずにはいられませんでした。
そういった意味で本作に社会派サスペンス的なものを求めたら肩透かしを喰らうと思います。
ただ、そうはいっても本作がアカデミー賞において作品賞を受賞したことには納得するものがあります。
何といっても題材が題材ですからね。
カトリック教会の暗部を暴いたボストン・グローブ紙のお手並みにも感心しますし、さらにこの題材で映画を撮ろうと思った製作スタッフの英断にも拍手を送りたいです。
アカデミー賞において評価が高かったのも作品の出来そのものよりも、そこらへんのことが評価されたのでは、と思いますね。
それにしても、神父が年端もいかない子供たちに性的虐待を加えていたのですから、開いた口がふさがらないとはこのことです。
しかも一人や二人じゃない、虐待は組織的に行われていたというのですから、言語道断と言っていいです。
私たちは無意識のうちに正義を信じます。
教師や警察官、それに政治家といった公職に就く者は正しい行いを為すものだと信じたいのです。
しかし、残念なことに、彼らの一部は、平然と職務に違反する行為、それどころか犯罪行為にさえ手を染めます。
公職に就く者といっても人間である、と言ってしまえばそれまでですが、それでも彼らの犯罪行為に関するニュース記事を読むと暗澹たる気持ちになります。
ましてや聖職者である神父が性犯罪を犯していたとすると何を信じればいいのか、正義はこの世にあるのかと問いたくなってしまいますよね。
本作では新聞記者がギリギリのところで正義を執行してくれました。
現代の日本の新聞記者もそういう存在であって欲しいものです。
お気に入り度★★★☆、お薦め度★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)。