『猫泥棒と木曜日のキッチン』に続いて橋本紡の著作である『流れ星が消えないうちに』を読んでみました。
映画であれ、小説であれ、漫画であれ、恋愛ものが嫌いです。
ぱらぱらっとエッセンスの一つとして恋愛がまぶしてある、という程度ならいいんですよ。でもメインのティストが恋愛となるといけません。
読んでいて胸がむかつくので、、、俺の目の前でイチャイチャしてんじゃねぇ!!って言いたくなります(ま、モテない男のひがみって奴ですな)。
さらに言うと一人称の小説も好んで読むことはないですね。
だって一人称って言い換えれば独り言じゃないですか。一人称の小説を読んでるとこの主人公は一体何ゆえそして誰に向かって延々と独り言をつぶやいているのであろうか、って思っちゃうんです(だから、作中一人称で語られる理由が明らかにされるのであれば受け入れられるんですけどね)。
だから、一人称の恋愛ものである『流れ星が消えないうちに』は本来自分が読む小説のジャンルから最も遠い作品であると言えるのですが、実際読んでみるとなかなか面白かったです。
最愛の恋人加地を旅先の事故で失ってしまった主人公奈緒子。事故から一年半が経ち、ようやく新しい恋を始めようとしていた彼女だったが加地を失ってしまった心の痛手は簡単に癒えるものではなくて、、、というお話。
まず思ったのは『猫泥棒~』もそうだったんですが、読み易いなぁってことです。
どんなに面白い小説であっても読み易くなければ宝の持ち腐れですからね。
読み易さっていうのは単純に平仮名が多ければいいかっていうとそういうわけではなくて、重要なのは文章のリズムですよね。
作者の橋本紡はそこまで気を使っているように思えました。
鼻歌を歌うのと同様、リズムの良い文章を読むのって気持ちいいですよね。
あと、驚くぐらい坦々とお話が進んでいくのも皮肉でも何でもなく良いな、と思いました。
フツーだったら、こういった恋愛ものは、凡百な作家であればもっとドラマティックな展開にしたがるものだと思うんです。わかりやすく言うと月9的な?
そういうのがないことに逆に感心しました。
ただ、手放しに絶賛できるかというとそうでもなくて、気になることがいくつかありました。
奈緒子と加地は幼馴染みなんですが、実際付き合うようになるのは高2の文化祭を機にして、なんですよね。
つまり二人は住んでるところも近いってことになります。
奈緒子は加地を失って深い心の痛手を負うのですが、それは加地の家族も同じはずなんです。
同じ心の痛手を負う者同士がまったく交流しないということはないですよね。
作中加地の家族はまったく出てきません。まるで加地は天涯孤独の身であるようです。
加地の家族が出てきたら確かに物語のノイズになるかもしれないけれど、でも一行すらも触れられないというのはやはり不自然だと思います。
あと、一番気になったのは、というか、気に入らなかったのはといってもいいんですけど、最終の第七章において奈緒子(と恋人)が福引きをするところですかね。
その福引き、商店街の福引きのくせに一等がハワイ旅行なんですよ。
一体日本のどこに一等の賞品がハワイ旅行の福引きをやってる商店街があるというのか、リアリティがなさすぎる。
というのはこの際目をつむってもいいです。
本当に気に入らないのは賞品が不自然に豪華すぎることではなく、福引きの受付をしていた奈緒子の父親が、一回目に外した娘に(抽選券がないにもかかわらず)不正にもう一度福引きを引かせるってことです(そして三等が当たる)。
最終章まではそれなりに気持ちよく読めていたんですけど、このシーンははっきりいって不愉快でした。これはない。
自分だったら、そうですね、一度福引きを外した奈緒子の前に偶然(それまで出ていた)登場人物たちが現れ、余っていた抽選補助券を彼女に渡し、それで福引きを引いて三等を当てる、みたいな感じにするかな。
そんな都合よく知り合いが現れるかよ、と思う人もいるかもしれないけど、それぐらいの奇跡はあってもいいと思うしね。
最後、何かほんとどーでもいいことに引っ掛かってしまったけれど、作品自体の評価は決して低くないです。
今はさらにもう一作同じ作者の『九つの、物語』を読んでいます。
映画であれ、小説であれ、漫画であれ、恋愛ものが嫌いです。
ぱらぱらっとエッセンスの一つとして恋愛がまぶしてある、という程度ならいいんですよ。でもメインのティストが恋愛となるといけません。
読んでいて胸がむかつくので、、、俺の目の前でイチャイチャしてんじゃねぇ!!って言いたくなります(ま、モテない男のひがみって奴ですな)。
さらに言うと一人称の小説も好んで読むことはないですね。
だって一人称って言い換えれば独り言じゃないですか。一人称の小説を読んでるとこの主人公は一体何ゆえそして誰に向かって延々と独り言をつぶやいているのであろうか、って思っちゃうんです(だから、作中一人称で語られる理由が明らかにされるのであれば受け入れられるんですけどね)。
だから、一人称の恋愛ものである『流れ星が消えないうちに』は本来自分が読む小説のジャンルから最も遠い作品であると言えるのですが、実際読んでみるとなかなか面白かったです。
最愛の恋人加地を旅先の事故で失ってしまった主人公奈緒子。事故から一年半が経ち、ようやく新しい恋を始めようとしていた彼女だったが加地を失ってしまった心の痛手は簡単に癒えるものではなくて、、、というお話。
まず思ったのは『猫泥棒~』もそうだったんですが、読み易いなぁってことです。
どんなに面白い小説であっても読み易くなければ宝の持ち腐れですからね。
読み易さっていうのは単純に平仮名が多ければいいかっていうとそういうわけではなくて、重要なのは文章のリズムですよね。
作者の橋本紡はそこまで気を使っているように思えました。
鼻歌を歌うのと同様、リズムの良い文章を読むのって気持ちいいですよね。
あと、驚くぐらい坦々とお話が進んでいくのも皮肉でも何でもなく良いな、と思いました。
フツーだったら、こういった恋愛ものは、凡百な作家であればもっとドラマティックな展開にしたがるものだと思うんです。わかりやすく言うと月9的な?
そういうのがないことに逆に感心しました。
ただ、手放しに絶賛できるかというとそうでもなくて、気になることがいくつかありました。
奈緒子と加地は幼馴染みなんですが、実際付き合うようになるのは高2の文化祭を機にして、なんですよね。
つまり二人は住んでるところも近いってことになります。
奈緒子は加地を失って深い心の痛手を負うのですが、それは加地の家族も同じはずなんです。
同じ心の痛手を負う者同士がまったく交流しないということはないですよね。
作中加地の家族はまったく出てきません。まるで加地は天涯孤独の身であるようです。
加地の家族が出てきたら確かに物語のノイズになるかもしれないけれど、でも一行すらも触れられないというのはやはり不自然だと思います。
あと、一番気になったのは、というか、気に入らなかったのはといってもいいんですけど、最終の第七章において奈緒子(と恋人)が福引きをするところですかね。
その福引き、商店街の福引きのくせに一等がハワイ旅行なんですよ。
一体日本のどこに一等の賞品がハワイ旅行の福引きをやってる商店街があるというのか、リアリティがなさすぎる。
というのはこの際目をつむってもいいです。
本当に気に入らないのは賞品が不自然に豪華すぎることではなく、福引きの受付をしていた奈緒子の父親が、一回目に外した娘に(抽選券がないにもかかわらず)不正にもう一度福引きを引かせるってことです(そして三等が当たる)。
最終章まではそれなりに気持ちよく読めていたんですけど、このシーンははっきりいって不愉快でした。これはない。
自分だったら、そうですね、一度福引きを外した奈緒子の前に偶然(それまで出ていた)登場人物たちが現れ、余っていた抽選補助券を彼女に渡し、それで福引きを引いて三等を当てる、みたいな感じにするかな。
そんな都合よく知り合いが現れるかよ、と思う人もいるかもしれないけど、それぐらいの奇跡はあってもいいと思うしね。
最後、何かほんとどーでもいいことに引っ掛かってしまったけれど、作品自体の評価は決して低くないです。
今はさらにもう一作同じ作者の『九つの、物語』を読んでいます。