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この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

【借りぐらしのアリエッティ】に関する不満点。

2010-07-23 21:52:07 | 新作映画
 拙ブログでは既に一度【借りぐらしのアリエッティ】のレビューを書きましたが、あのときは試写会での鑑賞ということもあり、一応ネタバレに配慮して書いたつもりです(配慮してあれかよ!という声は無視することにして)。
 今回はネタバレアリで映画【借りぐらしのアリエッティ】について思うところを書いてみたいと思います。

 公開から一週間が経ち、ネットでの映画レビューもほぼ出揃った感があります。
 ざっと見回したところ、この作品に対して、好き、よかったetc、好意的な意見が多いことに、ダメ出しをした自分は「え?」と思わずにはいられません。

 しかしよくよく読むと、好き、よかったと書いてる人も、二十一世紀に入ってのジブリ作品の中では好きとか、『ポニョ』と比べて物語が破綻してなくてよかった、といった具合に条件付なんですよね。
 でも、『ポニョ』より破綻している映画って例えば何があるんですかね?『デビルマン』ですか?笑。

 ともかく【借りぐらしのアリエッティ】って単独で観ると充分おかしな作品だと思います。
 14歳になったアリエッティが父親ポッドと共に出かけた“狩り”、いや“借り”において、初っ端二人はまだ起きていた貞子と接近遭遇します。
 まず、これがおかしいよね。
 具体的にあの借りが何時ぐらいに行われたのかは作中明きらかにされないのだけれど、貞子が起きていることから、十二時前だと推測されます。
 どうして人間たちが完全に寝静まってから行動を起こさないのか?
 借りから戻ったポッドが、「私の調べが足りなかった」と殊勝な台詞を吐いたりするシーンがあるんだけど、そもそも大概の人間は十二時過ぎには寝てしまうということを彼は知らなかったのか?
 人間に見られてはいけないというルールを自分たちに課すのであれば、慎重には慎重を期して、借りは丑三つ時にでもやればいいのにって思いました。

 このお話が一人の少女の成長物語であるなら、この最初の借りにおいて、アリエッティは半人前故のミスを犯さなければいけないんだよね。
 そしてそのミスから生じたトラウマを落ち込み、迷い、悩みながら、最終的に乗り越えなければならない。

 しかし、本作では最初の借りにおいて彼女自身は何もミスを犯していないものだから(ミスを犯したのはあくまで父親であるポッド)、そもそも成長物語として成り立たない。
 それがまず本作への自分の不満です。

 あまりに投げっぱなしで思わせぶりな設定にも不満を覚えました。
 アリエッティは最初の借りで待ち針をゲットします。
 そして母親であるホミリーの前でその待ち針を剣として振るい、ポーズを取ります。
 当然後半になったら何かしら剣劇が展開されるものと期待するじゃないですか。
 しかし、そういった気の効いた剣劇シーンは一切なし。
 アリエッティが最初の借りで待ち針をゲットしたことはあくまでそれだけのことであり、伏線でも何でもないんです。

 また、ホミリーは海の柄のタペストリーを交換しようと提案するアリエッティに「私はこの柄が一番好きなんだよね。本物の海は見たことないんだけどさ」と寂しげに言うシーンがあります。
 そんなシーンがあれば、当然このあと本物の海を見てホミリーが感激するシーンがあるもの、と思うじゃないですか。
 しかし、そういった感動的なシーンはやっぱりなし。
 ホミリーが海の柄が好きで、本物の海を見たことがないというのはただの設定に過ぎず、やはり伏線ではないのです。

 しかし、一番思わせぶりだなと思ったのは人間の少年である翔が心臓に持病を持ち、手術を数日後に控えている、という設定でしょうか。
 そういう設定であれば、当然自分は、アリエッティたちを見送りに来た翔が発作を起こし、アリエッティはネコに乗って助けを呼びに行き、危険を顧みることなく貞子の前に自ら姿を現す、そういったクライマックスが待ち受けているものと思ってました。
 ぶっちゃけそういったドキドキするシーンがあったなら、自分はそれだけで満足したはずでした。
 が、やはりそういったシーンはなし。
 翔が心臓に持病を抱えていること、そして手術を数日後に控えていることは単なる設定でしかなく、これが翔は他人と上手くコミュニケーションを取ることが出来ない、内気な引きこもりの少年という設定でも何らお話に支障を来たさないんです。
 どんだけ思わせぶりやねん、っていいたくなります。

 この他、会話の不自然さも気になりました。
 アリエッティと翔の初めての会話するシーンで、アリエッティは自分たちが滅び行く種族であること、そして翔が心臓に持病があることを知ります。
 しかし、ほとんど初対面といっていい相手に、例えそれが事実であっても、「君たちは滅び行く種族なんだよ」なんていいますかね?
 ありえないですよね。
 このシーンはアリエッティが自分たちのアイデンティティについて考える切っ掛けとなる重要なシーンではありますが、同時に会話としては不自然極まりないと思います。

 まぁシナリオの不備を突付くのはこれぐらいにしておきましょうかね。
 お手伝いのハルさんの存在の不気味さや行動理念の不可解さは置いておくことにして。

 自分は人に聞かれたら本作を、物語的にはダメだけど、絵はそれなりに綺麗な作品、というふうに紹介しています。
 それは嘘じゃないんですけど、ただ作画に問題が無いかというとそういうわけではなくて。
 例えば、アリエッティが最初の借りで得た待ち針、これがシーンごとに長さが違うような気がするんですよね、、、あと、重要なアイテムといっていい角砂糖もやはりシーンで大きくなったり、小さくなったりしている、、、ような気がする。
 これがテレビアニメであれば不問にしてもいいことなんですけどね。
 テレビアニメは制作期間も厳しいものがあるだろうから。
 しかし、劇場アニメで作画の設定が一定でないというのは、ちょっと問題のような気がします(自分の目の錯覚である可能性は否定しませんが)。

 かように観ていて不満点が続出する作品なんですよね、【借りぐらしのアリエッティ】。
 しかし一番の不満点は、原作を同じとする実写映画『ボロワーズ/床下の住人たち』が未だにDVD化される気配がないこと、、、あっちは何の不満点もない底抜けに楽しい映画なんだけどなぁ。
コメント (4)
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