ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 卜部兼好 「徒然草」 岩波文庫

2007年12月31日 | 書評
日本の随筆文学の最高峰 第四十四回(第206段から第210段)

第二百六段 「徳大寺故大臣殿、検非違使の別当の時、中門にて使庁の評定行はれける程に・・・・」
徳大寺故大臣殿の私邸の検非違使庁で判決をしている時、出仕した下級役人の牛が逃げて、座敷の間に上がって座ってしまった。これの驚いた役人が不吉だとして陰陽師に牛を占うべきか騒いでいるところ、父の徳大寺実基は牛に罪はない、下級役人の痩せ牛を取り上げる理由はないとした。別に凶事はおきなかったと言う話。合理的な判断をする人をよしとした。

第二百七段 「亀山殿建てられんとて地を引かれけるに、大きなる蛇・・・・」
前段と同じ祟りの話。亀山離宮を建てる時、地ならしをすると塚から大きな蛇がうじゃうじゃ出てきた。祟りを恐れた人はむやみに掘ることを躊躇したが、徳大寺実基大臣は朝廷に祟りするはずもない、神の霊は邪道をしないとして、蛇を大井川に逃がして工事を進めた。別に祟りはなかった。この話は前段と趣を異にし、天朝の威を示す話になっている。

第二百八段 「経文などの紐を結ふに、上下よりたすきに交へて・・・・」
経の巻物の紐の結い方が当世風はよろしくないとして、古い作法で結った弘舜僧正を褒め称えた兼好さんの故実好き。落ちぶれた公家階級にとって、古い朝廷のしきたりだけが、今日の権力を軽蔑し優越感に浸れるノスタルジアになってしまった。滅び行く者への哀歌。兼好さんは結局落ちぶれた公家階級に属していたのだ。

第二百九段 「人の田を論ずる者、訴へに負けて、ねたさに・・・・」
田の争いに負けた者が、人の田の稲を強引に刈り取る「刈田狼藉」をやらせたところ、やる者達は道すがら別の田も刈り取っていた。なぜそんなことをするのかと言えば、どうせ間違ったことをしているのだから何処の田を刈ったとしても同じだという態度だった。当時鎌倉時代には、所有地をめぐる争いは頻発していた。この争いを茶化した話である。兼好の皮肉屋ぶりが知れて面白い。

第二百十段 「呼子鳥は春のものなりとばかり言いて、如何なる鳥ともさだかに記せる物なし・・・・」
呼子鳥は魂を呼ぶとされ、この鳥が鳴く夜に招魂の密教秘儀を行った文献がある。呼子鳥とは何か誰も知らない。おそらく鵺のことではないかと兼好さんは推測した。故実話である。



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