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ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 四柳嘉章著 「漆の文化史」 岩波新書

2010年09月24日 | 書評
自然科学的方法による漆器考古学 第9回

3)くらしの中の漆器(1)

 著者が調査主任を務めた能登西川島遺跡群は、中世の崇徳院御影堂大屋荘穴水保の荘園集落跡である。ここで発見された食器の形から、食器を編年別に並べるてみると、鎌倉時代の13世紀中頃を境に、土器の椀は消えてしまい、漆器が増大することが分ったという。しかも多くの食漆器は下地に漆(漆下地)を使わず、柿渋に炭粉粒子を混ぜた「炭粉渋下地」であることだった。柿渋の主成分は縮合型タンニンで防水・防腐効果にすぐれtもので、日本では伝統的に型紙、和傘、団扇、建築物に塗られている。下地には高価な漆に代わって柿渋を用いるというコストダウンである。これを大きな動きでいうと、律令的漆器生産(上質品・漆下地漆器の独占的生産)から、中世的漆器生産(普及品・渋下地漆器・地方生産)への転換であるといえる。さらに12世紀末ごろから赤色顔料で文様を描く椀皿(赤色漆絵漆器)が登場し、漆黒の上に絵画が描かれて一層華やかさが演出された。この漆絵の意匠には①蓬莱山、鶴亀笹松竹の神仙的世界、②扇と蝶、③ムカデ、④歌絵などが描かれ、縁起のいい朱模様の世界が出現した。また鎌倉時代特有の「型押漆絵」というスタンプ式朱漆絵が量産品として、将軍家の居られる鎌倉土産として一時期だけ流通して消えた。型には鹿皮が用いられたという。障子の唐紙からヒントを得たらしいが、江戸小紋のような小さな文様を繰り返して押している。
(つづく)


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