ブログ 「ごまめの歯軋り」

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東日本大震災と医療問題:飯館村健康相談会報告

2011年08月25日 | 時事問題
医療に関する提言・レポートfrom MRIC by 医療ガバナンス学会(2011年8月15日)「飯館村健康相談会に参加して」 木村武司 亀田総合病院 内科小児科複合プログラム後期研修医 より

 2011年8月6日福島県相馬郡飯館村の方々150名を対象として、第7回目の健康相談会が開催された。10名の医師と看護婦・検査技師・医学生らが参加した。医師らは問診票と結果(身長・体重・血圧・採尿)をもとに問診と診察を行なう。地域は避難区域で避難中であるため、生活環境の変化に伴う運動不足、ストレスによる肥満、飲酒、睡眠不足といった面が目立った。放射線についての不安は最近聞かれなくなった。高齢による諦めか、ヤケクソかが心配である。慢性病薬の内服や通院は行なっているようである。医師が関与できるのは身体の不調だけで、精神の痛みについては深入りはできなかった。

読書ノート 石橋克彦編 「原発を終らせる」 岩波新書

2011年08月25日 | 書評
原発安全神話は崩壊した、原発から脱却することは可能だ 第10回

7)「地震列島の原発」 石橋克彦  神戸大学名誉教授 神戸大学都市安全研究センター 地震工学

 地震発生頻度地図上に日本列島はすっぽり黒く囲まれている。ところがアメリカでは地震地帯は西海岸に限られており、原発設置は中東部に集中している。欧州には(トルコは入れないとすると)地震発生地域は無い。ということで「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査基準」(1981年制定、2006年改定)は「極めて稀であっても原発に大きな影響をあ与える恐れがある地振動にたいして、核分裂反応を止め、冷やし、閉じ込めるという3つの安全機能を保持できるように耐震設計をすること」を求めている。新指針に基づき古い原発の耐震安全性評価を行なうよう2006年に電力会社に指示した。ところが不思議なことに古い原発の安全性はすべてクリアーできた。なぜなら既存原発が不適合にならないように振動を過小評価し、Ssを柏崎原発が2300ガルなのに較べてすべて600ガル以下で評価するように仕組まれていた。小さな地振動しか考慮しなくていい事になっていたのだ。これが嘘であったことを、今回の東北地震は如実に証明した。だから「想定外」といって電力会社と経産省は責任逃れをするのである。そのため福島県は「原発震災」となった。本震の地振動によって配管破損などによる冷却材喪失事故が1号機で起き、圧力制御室の破損によって放射性物質の漏出が2号機で起きたと思われる。つまり「冷やす」と「閉じ込める」機能が震災によって失われたのである。耐震設計になっていなかったのだ。地振動の過小評価で、保安院・安全委員会の審査が不備であった事を意味する。地震動の継続時間が2分を超えていたことも構造物への作用を強くした。保安院は福島第1原発事故津波原因説に依拠して、3月末に電力会社に津波で全電源喪失を想定して対策を立てるよう指示した。これは完全に自己矛盾である。日本列島の地震の強さでは原発の立地条件を満たさないことは今回の事故で明らかななのだから、原発を廃止することを方針にしなければならない。柏崎刈羽原発が2007年に経験した1699ガルの振動を全国の原発が想定しなければウソである。地震列島に54基の原発をならべることは気違い沙汰である。私達は、「原発は安全」と裁定した裁判所に日本の原発の全廃と運転差し止めを求めなければならない。そして国民投票制度をもって「原発の是非」を問わなければならない。
(つづく)

読書ノート 山折哲雄著 「教行信証を読む」 岩波新書

2011年08月25日 | 書評
親鸞 悪人救済にいたる思想の葛藤と自覚の道 第8回 最終回

未解決課題の克服(証から真仏土へ)
 教行信証の往相を説く「教行信」に較べると還相を説く「証」の分量はおよそ1/10ぐらいであるという。浄土への旅が成就したことが悟り(証)である。ところがそれですんなりと極楽浄土へいけるかというとまだ未解決の課題が残っている。それは正しい道を歩んできた人が行く「真仏土」と、悪人・愚鈍の人が本当に救済されるためにゆく仮の浄土「化身土」の2種類があるという。まだまだ反省が足りないからだという。一切衆生を導いて安楽浄土に再生させるため、自利利他の菩薩の道が還相である。この証巻の後半部分は曇鸞の還相論の引用から成り立っている。

幻想の浄土(化身土)
 では化身土とは何か。それは幻想の浄土ということだ。浄土に2種類があると云う論は大乗仏教の長い論争の歴史があった。化身土は「観無量寿経」にとく、悪人往生への必須の道である。「観無量寿経」は五逆の悪人に往生の可能性を与えるために化身土を置いた。どちらにしてもへ理屈のつじつま合わせに過ぎないのだが。難解で言語ゲームのようだと著者はこぼしている。悪人を救うためには自力は期待できないので、結局他力にすがるしかないという論理に展開する。中国の善導の「懺悔三品」に懺悔にも三段階があると云う。「悲泣雨涙」、「拳身投地」、「号泣向仏」だそうだ。親鸞はこの懺悔論を乗越え(言葉の遊びにすぎないのだが)、真心から懺悔し、善智識による導きが必要だとして、自力(定散、方便の仮門)の修行を捨て、他力(選択の願海 方便の真門)に転入し身を任せることである。これを親鸞の三願転入の信仰告白という。

葛藤と自覚の道(化身土から後序へ)
 親鸞は「観無量寿経」と「大涅槃経」を読みぬいて、「大無量寿経」の救済除外規定を回避し、悪人往生への論理的道筋をつけたという。法然がオミットした悪人救済除外規定を真正面からこだわり、なんとか屁理屈のつじつまが合って親鸞はほっとした。それでも法然の浄土宗門からの誹謗中傷が起こる事を心配し、誹謗しないようにお願いしている。「化身土」こそ悪人往生を約束する窮極の目標であった。悪人の幻想の浄土を用意することで末法の世を救うことが出来ると親鸞は確信したようだ。浄土真宗は、在世正法(釈迦のいた時代)、像末法滅(釈迦入滅後の教えを弟子が守った時代)、濁悪の末法(すべてが滅んだ末法の時代)にひとしく導くのである。末法時代には僧自体が破戒無慚の悪人である。自分は僧でもなく俗でもない「愚禿鸞」にすぎない。ここに悪人とは権力者の悪逆非道だけのことではなく、末法時代には人間の存在自体が悪であると云う人間原罪論に近くなり、ひたすら懺悔しなさいという、まるでキリスト教の教えと同じである。
(完)

筑波子 月次絶句集 「人生坦懐」

2011年08月25日 | 漢詩・自由詩
世人痴老二毛侵     世人痴老 二毛侵し

吾輩狂衰倚席沈     吾輩狂衰 席に倚て沈む

夢遶故林無雁信     夢は故林を遶るも 雁信無く
 
月華寂漠有疎砧     月華寂漠 疎砧有り


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(韻:十二侵 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)