ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 石橋克彦編 「原発を終らせる」 岩波新書

2011年08月21日 | 書評
原発安全神話は崩壊した、原発から脱却することは可能だ 第6回

3)「福島原発避難民を訪ねて」 鎌田 遵  大学講師 アメリカ先住民研究 都市計画

 福島県人をアメリカ先住民の「エコサイド」(環境破壊)と差別意識にたとえるのは、「当たらずといえど遠からず」程度の類似であって、両者が本質的に同じとは思えない。「アメリカ先住民差別と圧迫」と同じ構図が福島県人に当てはまるとは、時代錯誤感覚ではないか。原発設置場所は過疎村であり、都市と地方格差の問題として論議すべき問題である。

4)「原発は不完全な技術」 上澤千尋  市民のための原子力資料情報室

 「原子力資料情報室CNIC」とは経産省や資源エネルギー庁の組織ではない。市民のための原子力情報を公開するNGO組織と考えられる。市民による市民のための原子力資料情報を知るための組織であろうか。「学者や専門家」が教えを垂れる場所ではない。市民の知りたい内容を分りやすく解説する。したがって本章は原子力の初歩から理解に必要なレベルまでを解説している。内容は室田 武著 「原発の経済学」ともダブっているので大幅にカットしよう。原子炉には加圧水型PWRと沸騰水型BWRがあり、加圧水型PWRは原子炉の中に燃料棒が密に配置されておりコンパクトなつくりであり出力密度が高い。しかし原子炉内壁と燃料棒の距離が近く、内壁金属の「中性子脆化」が起きやすいと言われる。沸騰水型BWRは制御棒が炉圧力容器の底から挿入されるため、それを支える安全機構が複雑で、これまで制御棒の落下事故がおき臨界となった(1978年福島第1原発3号炉と1999年志賀原発1号炉)。耐震構造上脆弱な装置で地震時には配管の破断事故が起きるのではないかと心配されていた。原発の最も大きな問題は大量の放射性物質を内蔵することであり、核分裂生成物質という「死の灰」としてキセノン、ストロンチウム、クリプトン、バリウム、ヨウ素、セシウムなどが生成される。またウラン238が中性子を吸収して「超ウラン物質」として、プルトニウム、アメリシウム、キュリウムを産出する。また内壁や配管の材料である鉄合金(コバルト、マンガン)が中性子を浴びて放射化する。これらの核廃棄物の半減期は長いもので、ストロンチウム29年、セシウム2年、プルトニウム2万4000年、アメリシウム432年、コバルト60 5年などである。使用済み核燃料は自然崩壊による「崩壊熱」を出し続けるので、水で冷却しなければならない。その期間は廃炉となるまでとされる(30-40年)。原子炉の運転状態は想像を絶する高温高圧下にある。加圧水型PWRでは圧力容器内の蒸気温度320度、圧力150気圧である。燃料棒の温度は2000度である。沸騰水型BWRでは蒸気温度は290度、圧力は70気圧である。国内国外での原発事故は後を絶たない。極く近年の2010年4月から2011年3月までの1年間で大小あわせて307件の事故が発生している。国内原発のいくつかは40年以上経つ老朽化施設がある。敦賀1号、美浜1号、福島第1原発1号機であり、30年以上経過する原発は16基もある。
(つづく)

読書ノート 山折哲雄著 「教行信証を読む」 岩波新書

2011年08月21日 | 書評
親鸞 悪人救済にいたる思想の葛藤と自覚の道 第4回

依拠すべき原典と念仏(教から行へ)

 「教」の第1章には、「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり、一つは往相、二つは還相なり。それ真実の教を表さば、すなわち大無量寿経これなり」が置かれる。中国の曇鸞の回向論は、浄土世界に行く事を「往相」、自分の善行の結果である功徳を一切衆生に振り向けることを「還相」という。その「往相」から「還相」への変り目が「回向」である。親鸞には7人の重要な思想的先達がいた。インドの龍樹、天親、中国の曇鸞、道綽、善導、日本の源信(往生要集の著者)、源空(法然)である。親鸞の名は天親の親、曇鸞の鸞からきている。親鸞は曇鸞の回向論を発展させ、回向の真の主体は自己の力ではなく阿弥陀の救済であるとした。親鸞の「自力」から「他力」への転換である。「往相の回向について、真実の教行信証あり」といって、教行信証のうち「教行信」が往相の問題を論じることであるという。悟り「証」を得た人はこの世に帰って人々を救わなければならない。「還相」とは利他教化である。浄土三部経典には「大無量寿経」、「観無量経」、「阿弥陀経」があるが、親鸞は浄土真宗の拠るべきテキストはただひとつ「大無量寿経」のみだと宣言する。これが親鸞の信の出発点である。1201年親鸞は29歳の歳のとき、師法然の浄土宗に入信した。法然は「選択本願念仏集」を書いて念仏の道を、つまり行としての念仏を選び取った。平安王朝政権の時代は王権と神権の融合すなわち「神仏習合」による統治システムであった。鎌倉武家政権の樹立はこの統治システムを破壊し、選択の時代に入った。宗教界も激しい革命の時代に入った。親鸞も法然と同じく念仏の選択こそ出発点であった。法然の主題は阿弥陀の本願に帰依し、ただ念仏だけを唱えるだけで往生できるという主旨であった。教の選択は必然的に行の選択を促がさずにはおかない。
(つづく)

文藝散歩  山口仲美著 「日本語の古典」 岩波新書

2011年08月21日 | 書評
日本文学の古典30作の言葉と表現の面白さ 第17回 最終回

28) 「蘭東事始」-翻訳者の良心の告白
 「蘭学事始」として知られる杉田玄白の「蘭東事始」は1812年に書かれた。オランダの科学書(医学書)である「解体新書」の翻訳の苦労話を記録したものであるが、1771年千住小塚原の刑場で罪人の腑分けを見た玄白と良沢は解体新書の翻訳を決意した。前田良沢、中川順庵と杉田玄白の3名が翻訳に携わったのであるが、リーダー役は良沢で玄白はむしろ従の立場であった。ところが問題は「解体新書」の翻訳者は杉田玄白と記されており、前田良沢の名はなかった。恐らく何かの事情で仲間割れをした玄白が良沢を裏切って別の権力者の医者と組んで解体新書を刊行したのであろうと思われる。良沢は病気と称して門を閉ざし、玄白は単独翻訳者として世の絶賛を浴び幕府に重用されたという。解体新書刊行後41年経って玄白が遺書のように「蘭東事始」を書いたのは深い意味があったようだ。玄白は時効を待って「蘭東事始」を書き真実を明らかにしている。良沢が翻訳のリーダーで自分は脇役に過ぎなかったといっている。良沢に裏切りを謝罪しているのだ。壮年期の功名心から成果を独り占めし自分ひとりの業績にしてしまったことに対する負い目を、玄白は死の直前まで抱き続けていたようである。といってものこの世でいい目をしたのは玄白であって、こういう謝罪は許されるべきなのか疑問が残る。現在の欧米での科学上の発見先陣争いの凄まじさを江戸時代に垣間見る思いがする。

29) 「南総里見八犬伝」-迫力満点の戦闘シーン
 曲亭馬琴が幕末1813年に書いた荒唐無稽の戦闘文学である。ここに取り上げた文章は「芳流閣」における信乃と見八の決闘場面である。筋は荒唐無稽なのだが文章は血湧き肉踊る式の迫力満点の叙述である。丁々発止というような漢字で可枯れた擬音語・擬態語を頻用し、イメージ性を盛り上げている。パフフォーマンス文章といえる。

30) 「春色梅児譽美」-心をゆさぶるエロチシズム
 為永春水が1832年に書いたエロチシズムの極致「春色梅児譽美」は、丹二郎と三人の女との色事を描いて若者に大受けしたという。濡れ事のきわどい場面を描く今の「官能小説」の祖であろうか。「浮世絵の春画」に一歩踏みとどまった「あぶな絵」の世界である。永井荷風はこのような江戸情緒を後生大事に守ったという。
(完)

筑波子 月次絶句集 「長夏臥」

2011年08月21日 | 漢詩・自由詩
長夏猶盛除暑遅     長夏猶盛んに 暑を除く遅し

旱田瀕死薬苗衰     旱田死に瀕て 薬苗衰え

病翁隠几眠處     病翁几に隠れ 眠の處

便覚涼風淅淅吹     便ち覚ゆ涼風 淅淅と吹く


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(韻:四支 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)