ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 室田 武著 「原発の経済学」 朝日文庫

2011年08月15日 | 書評
高コスト、石油を多消費し、核兵器並みの危険性を持つ原発 第17回 最終回

5)原発の安全性と維持・再利用・廃棄物処理費用
 原発の発電コストが決して安くはないということが、増え続ける放射性廃棄物の処理や保管に要するコストが顕在化するにつれ明らかになってきた。原発総体コストは、大事故時の損害賠償は国が面倒を見るという気楽さはあるにしても、電力会社の経営を次第に圧迫しつつある。こうした原発の不経済性を端的に示すのが「使用済み核燃料の再処理」である。高速増殖炉のプルトニウムの再処理コストが動燃やフランスからの要求によって具体的な数値が出るに及び、1981年通産省も再処理費用がプルトニウムの燃料価値を上回る事を認めた。実際アメリカでは再処理の試みは失敗し実用化されていない。プルトニウムの燃料価値をどう算出するかについては、イギリスはゼロと見、動燃はウランと等価と見た。それでも使用済み核燃料1トンあたり1億5000万円の損失となる。再処理はすればするほど経済的損失を生む。動燃の1年あたりの使用済み核燃料は800トンとすると、毎年1200億円の損失となる。敦賀もんじゅの高速増殖炉が15年以上停止状態にあることから、むつ小川原開発(株)構想は大失敗であったことが明らかである。原発の放射性廃棄物は、道具類への低汚染物から、放射性廃液、使用済み核燃料、そして最後には廃炉がある。廃炉は100万kWh原発1基につき60万トンになると見込まれる。最終核廃棄物の捨て場には原発会社は頭を悩ましており、時折過疎に苦しむ市町村が収入増を狙って苦し紛れに受け入れを表明することがあっても、県知事がこれを拒否するケースがあった(高知県など)。原発は資源皆無の日本にとって救世主となるか(ウランだって日本にはないが)、はたまた広島型原爆の数万倍の死の灰にうずまって亡国の道を選ぶかの岐路に立っている。本書の巻末に1952年から1993年までの大小100件の原子炉関連事故例が略記されている。他山の石としないよう、類似事故はいつでもどこでも発生しているのである。
(完)

橘木俊詔著 「日本の読書ノート 教育格差」 岩波新書

2011年08月15日 | 書評
教育格差を経済的視点からみると 第11回

4) 不平等化する日本の教育(1)
 戦後親の社会階層が低くても、子供が望んで努力して高い教育を受けることが可能な時代となり、そうした時代はバブルがはじけるまで続いた。いわゆる「一億総中流化」の時代であった。しかし最近になってそうした状況が崩れ、教育を受ける機会の不平等が拡大しているようだ。学費負担の増大がまず第1に挙げられる。国立大学の授業料は1975年まではめっぽう安かった。私立大学の授業料の1/10 以下であった。だから貧乏学生でもあるバイトをすれば国立有名大学に進学することが出来たのである。ところが1979年より国立大学の授業料がうなぎのぼりに上昇し、2004年には年間授業料は52万円、入学金は28万円となってしまった。私立大学との差は1.5倍程度に縮小した。大学の負担割合は1960年に個人が3割、政府7割であったのが、2000年には個人負担が60%、政府負担が40%と逆転した。それは親の収入が子供の進路に大きく影響してきたことである。親の年収400万円では高校卒業後の大学進学率と就職率はほぼ同じ30%であるが、親の年収1000万円では大学進学率が62%、就職率が5%程度となっている。親の収入が少ないと大学へはいけない時代となった。その要因は教育費の自己負担が高いこと、政府の教育費負担のGDP比がOECD加盟国中最低であることによっており、確実に教育の不平等が進行した。政府予算に占める教育予算もOECD加盟国中最低で9.5%に過ぎない。アメリカは14%、韓国は15%である。日本の教育が明治以来かなり私学に依存してきた歴史があった。教育投資における一人当たりの公財政支出の欧米との比較において、日本は小・中教育は平均的な支出で遜色はないが、大学教育費負担が欧米の半分以下で極端に少ない。大学など高等教育への公的負担と私費負担の割合は、日本は33%対67%である。そして驚くべきことに就学前教育の公的負担はアメリカ・イギリスの1/3、フランス・ドイツの1/2に過ぎない。幼稚園・保育園の縦割り行政の弊害から幼保一元化が進まない。民主党の「子供手当て」支給は確かに親の負担を軽減する政策である。奨学金などの学費援助制度は日本が最も貧弱である。学費免除、奨学金給付または有償貸しつけ、無利子か利子補助での返済なのかという点が問われている。アメリカの13兆円という奨学事業にたいして、日本では学生支援機構の奨学金は7000億円と非常に少ない。教育という面では日本はアメリカ以上に新自由主義国である事が分る。欧州では大学生の数は日本やアメリカより少ないが、学費は基本的に無料である。
(つづく)

文藝散歩  山口仲美著 「日本語の古典」 岩波新書

2011年08月15日 | 書評
日本文学の古典30作の言葉と表現の面白さ 第11回

16) 「平家物語」-鮮烈に描かれる若武者の死
 平家物語は方丈記より少し後れて成立した。本来琵琶法師による平家への鎮魂歌であったため、仏教色の強い「無常の文学」とか「死の文学」といわれている。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。」ので出しの名文に象徴される。ここでは巻9の「敦盛最後」に死の文学を如実に見る。無論平家一門の名だたる武将の最後だけでなく、勝った源氏のほうでも木曾義仲と今井四郎の死、源義経と弁慶の死は読者の涙をさそう。落ち延びようとする平家の若武者敦盛と敦盛の首を討ち取ろうとする熊谷直実は不幸な出会いであった。美しい若武者貴族に憐れみ心を催した直実は仏門に入り敦盛の冥福を祈るという。須磨寺に敦盛首洗いの池や墓があり平家物語の事蹟を偲ばせる。平家物語は公家的貴族文明と、源平の武家的勢力の伸張、そして宗教的浄土感を含むもので、「敦盛最後」では貴族化した敦盛と、武家的な価値観の直実と、仏門にはいることで宗教的な要素の3つのすべてを描いた。

17) 「とわずがたり」-愛欲に生きた人
 1306年ごろに成立した「とわずがたり」は、鎌倉時代後期の貴族社会の腐敗を赤裸々に描いた告白日記である。内容のあまりの生々しさに、朝廷・皇室では長い間その存在が秘密にされていた形跡がある。宮内庁「図書寮所蔵桂宮本叢書」にひとつとして、戦後1950年に始めて公開され大騒動となった作品である。作者は後深草院の後宮に入った二条という女性(大納言久我雅忠の娘)の日記である。日記は5巻からなり、前半は宮中での愛欲生活編、後半は出家してからの諸国行脚の紀行編である。二条が後深草院の愛人になってから、情を交わした男性は西園寺実兼(後深草院の側近で作者と親戚関係)、性助法親王(後深草院の異母兄弟)、鷹司兼平、亀山院(後深草院の実弟で皇位継承問題で対立)である。なんと後深草院を中心としたごく狭い血縁関係のある男性ばかりで、彼らとの関係を後深草院が知らなかったはずは無い。政敵の亀山院と関係を持ったため、作者もついに伏見御所を追放され出家のやむなきに至った。彼女の愛欲生活には罪の意識は全く感じられない。意志が弱く迫られた相手の言いなりになりやすい性格であったようだ。良心の呵責を意味する言葉は「とわずがたり」には極端少ない。男性との情事は「わが咎ならぬ過り」だと思うから罪の意識はない。「いと恐ろし」と思うのは秘密の露顕だけであった。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「旅 懐」

2011年08月15日 | 漢詩・自由詩
水亭柳渚夜沈沈     水亭柳渚 夜沈沈

繋楫橋頭月前砧     楫を繋ぐ橋頭に 月前の砧

霜信書稀征客涙     霜信書稀なり 征客の涙
 
雁声夢断老人心     雁声夢断つ 老人の心


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(韻:十二侵 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)