ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 室田 武著 「原発の経済学」 朝日文庫

2011年08月10日 | 書評
高コスト、石油を多消費し、核兵器並みの危険性を持つ原発  第12回

3)原発は石油を節約するのか (2)

「原子力発電は石油にとってかわるものである」という説を検討しよう。一口に石油代替といっても次の3つの意味がある。①石油置き換え説、②原子力のエネルギー収支プラス説、③石油有効利用説:①、②でなくても、同一エネルギー生産方式を較べると原子力の方が石油節約的だ。という3つの説を順次打破してゆこう。①、②が否定されると③は成り立たないので、ここでは①、②だけを検討する。
1) 「石油置き換え説」
 それが真であるためには次の3つの命題を同時に満たすことが必要である。命題1:今日の社会における石油使用分野のすべてを原子力がまかなうことが出来るだろうか。命題2:原子力利用技術が石油なしで実行可能だろうか。命題3:石油は自らを拡大生産が可能であるが、原子力は拡大生産ができるのか。増殖能を持つのか。
命題1は容易に棄却できる。石油はプラスチック原料に利用できるが核燃料は原発にしか利用できない。飛行機や自動車の燃料は石油が中心で核燃料を利用できないし、ハイブリッドのような補完も出来ない。発電以外の石油の用途に原発は利用できない。発電方式でも原発のエネルギー熱量は高々30%に過ぎない。命題2については、ウラン鉱石の採掘、精錬、濃縮、輸送、加工などの諸過程および発電所の建設や廃棄物保管のための石油利用は不可欠で、一部の電力は原発で代替できるが、大半は置き換えは不可能である。命題3については、命題2より核燃料1トンから発生する電力によって、1トンを上回る核燃料を石油なしで得ることは不可能である。露天掘りの石炭採掘では増殖率は50倍、石油については7倍とされている。こうして命題1-3は満たされないので1)の「石油置き換え説」は否定された。

2) 「エネルギー収支プラス説」
 原発のために投入される石油の熱量に較べて、原発の産出する熱量のうち人間社会に有効なエンルギー量が多いときエネルギー収支はプラスであると云う。ところが原発建設からウラン採鉱・濃縮、廃棄物保管に至る全過程のデータを有するはずの原発推進部局が全データーを公開しない限り考察できないのだが、アメリカDOEの出力100万kWhのPWR型原発の例を想定したデータがある。0.2%のウラン235を含む天然ウラン鉱からスタートし、原発の耐用年数全期間の産出する電力は1600億kWh(137兆換算)、ここへ投入される石油エネルギーは36兆kcalである。したがってこの場合エネルギー収支はプラスとなり、投入に対する産出非は3.8である。そして上記の電力を得る火力発電で消費する石油は459兆kcalであるという。すると36÷459=0.08となり、原発は火力発電の13分の1程度の石油使用量であることになる
(つづく)

読書ノート 橘木俊詔著 「日本の教育格差」 岩波新書

2011年08月10日 | 書評
教育格差を経済的視点からみると 第6回

2)家庭環境の影響力(1)

 学歴を決定する要因として、本人が生まれ育った家庭環境に影響力に比重が高まっている。大学の授業料は本人負担が原則であるので、家計所得の大きさが子供の大学進学率に大きな影響を及ぼすことは容易に推測される。両親の年収と、高校卒業後の大学進学率、専門学校進学率、浪人、就職率の関係を調査した東大大学院の結果では、年収200万円では各々、35%、25%、5%、35%であるが、年収600万円では50%、20%、6%、20%で、年収1000万円では65%、16%、8%、11%で、年収1200万円では75%、10%、12%、5%である。総じて言えば、年収が多いと大学進学率は増大し、専門学校進学率、就職率は低下する傾向が明白であった。年収に比例して大学進学率は35%から75%へ増大し、就職率は35%から5%に低下した。貧しい家庭の子弟は大学進学と就職が相半ばしていたが、高額所得家庭では圧倒的に大学進学率が高い。社会移動が閉鎖的であると、親と子供の職業が同じになり、社会異動が開放的であるとは親とこの職業選択が異なることである。日本が格差閉鎖社会に入ったのではないかという主張がなされる。親の所得が子供の学力形成に影響し、教育水準の決定(教育格差の固定化)につながる恐れがあるというのである。文部省の調査によると、小学校6年の学力試験の結果を親の年収で整理すると、国語、算数とも正解率が見事に親の年収と比例関係が見られた。あまりに見事なので帰って疑いたくなるほどである。年収700万円が丁度正解率の平均を示す。ある年収以上では正解率はばらけるのではないか(後は子供の能力次第)と思い勝ちだが、とんでもないどこまでも年収と正解率は比例して向上している。こんな統計データがどうして取れるの不思議だ。学力テストの答案用紙に親の年収を記入するのか、親の源泉徴収書を貼り付けるのか、文部省の役人が後で国税局へ行って受験子弟の親の年収を徹底的に調べたのか、どうして調べたのか興味津々である。それはさておき、親には「学歴下降回避願望説」や「名門度上昇志向説」や「インセンティブ・デバイド説」があって、子供だけには自分よりよい教育と学歴を与えたいという願望があり、無理をしてでも教育熱心になる心理があるはずだ。ところが現実は親の収入に見事に比例して子供の学力が決定されている。
(つづく)

文藝散歩  山口仲美著 「日本語の古典」 岩波新書

2011年08月10日 | 書評
日本文学の古典30作の言葉と表現の面白さ 第6回

6)「うつほ物語」-理想の男性を造型する
 10世紀末にできた「うつほ物語」は源氏物語に先立つ長編小説であったことは意外に知られていない。源氏物語はこの「うつほ物語」に影響を受けている事は明らかである。作者は極めて卑猥な発言からして男性であろうと思われる。作者(未詳)が描きたかったのは、琴という芸道の伝承を通じて主人公仲忠という男の理想像である。俊蔭とその娘、仲忠の3代にわたって中国秘伝の琴曲を伝え、誠実に中庸を得て生活する仲忠は権力闘争にいきる男性ではなく、学芸に秀でてそれを精神的支柱にして生きる高雅な人物のように描かれている。枕草子にも仲忠の品定めをやって、清少納言は仲忠を良しとしている。

7)「蜻蛉日記」ー告白日記を書かせたもの
 日記を読む楽しさは、人物の人柄が如実にさらけ出される点にある。物語の人物表現とは違ったリアリティがある。「蜻蛉日記」は10世紀末に成立し、作者は藤原道綱の母である。作者は藤原兼家の妻であり、兼家の子には藤原道長がいる。いわば藤原家でも権力の中枢を占める系譜であり、藤原兼家は相当権力欲の強い政治家であった思われる。作者はあまり身分の高くない受領階級の藤原倫寧の娘で、むろん兼家の正妻ではない。女にとって結婚はすべてであったのだが、兼家にとって多くの女の一人に過ぎないことから、道綱の母の悶々たる人生が始まる。結婚してすぐ夫兼家は別の女の元に通い始め、それに反発した道綱の母は兼家の仕立物(裁縫)を拒否し、夫のほうは派手に道綱の母の家の前を通過して別の女の家に行くなどと泥沼の意地の張り合いとなった。夫婦仲は最初から荒れていて「つれなし」、「つらし」、「憂し」という言葉が日記に連ねられている。作者の猛烈な妥協や諦めを知らない自己主張が見え、それはそれで近代的な女性の主張でもある。ここまで闘う女は敬意に値するようだ。

筑波子 月次絶句集 「七夕小集」

2011年08月10日 | 漢詩・自由詩
処暑以来風雨多     処暑以来 風雨多く

天階夜色共吟哦     天階夜色 共に吟哦す

清樽有酒三秋会     清樽酒有り 三秋の会

音曲歌弦七夕過     音曲歌弦 七夕過ぐ


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(韻:五歌 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)