ブログ 「ごまめの歯軋り」

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古都の景観を守れ  

2006年11月25日 | 時事問題
asahi.com 2006年11月25日11時56分
「古都の景観守れ」京都市、屋上・点滅照明広告を禁止へ

 京都市は24日、条例を改正して、点滅照明を使った屋外広告と、屋上に設置する広告を市内全域で禁止することを明らかにした。また、都市計画を変更して建物の高さ規制を強化するほか、京都らしい景観を守るための新条例をつくり、規制内でも眺望を阻む建物は認めない「標高規制」を採用する。いずれも来年度の実施を目指す。さらに、市内の建物の高さは、上限を45メートルから31メートルに厳しくする。

手遅れか、古都保存法を適用して規制強化か

京都では何度も景観保存運動が起きたが、規制緩和の波に飲み込まれ建築物は高く高くなった。京都駅が最たる例で60メートルも許されるようになった。南に大きな壁が突如出現したのには京都っ子もたまげた。日本人は経済至上主義に毒され、大仏さんも身を小さくせざるを得ない。欧州の古都では中世そのままの町が観光の目玉になっている。日本人なら交通の便と生活しやすさが最優先で、自分の土地建築物には法の手は不介入主義を唱える。欧州では景観を重視して、自分の家の色や形まで個人の勝手にはならない。景観とはそういうもので全体が調和していなければならない。京都はそういう観点からではもう手遅れだ。伝統的町屋がビルの間に挟まっているので景観にならない。西陣・室町・社寺の町屋伝統的建築物がすでにビルに包囲されている。とはいえこれ以上の景観の破壊を防止するならば、奈良飛鳥のように古都保存法を適用し、建物など高さ・色・形を変更させず、近くには近代的な建築物を許さない(絶対風俗店の出店をゆるさない)強い決意が必要だ。


腎臓のドミノ移植は是か非か  生命倫理上の重要問題

2006年11月25日 | 時事問題
asahi.com 2006年11月25日15時41分
病気腎で「ドミノ移植」 万波医師ら6年前に
 病気の腎臓を使った移植を重ねていた宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師(66)らが、前勤務先の同市立宇和島病院で6年前、親族からの生体腎移植を受けたネフローゼ症候群の患者から2個の腎臓を摘出し、同時に2人の腎不全患者に移植する「ドミノ病気腎移植」を実施していたことがわかった。生体肝移植などで用いられるドミノ移植を腎臓に適用したのは、国内では極めて異例。複数の専門医は、その有効性に疑問を投げかけている。
 一方、ネフローゼ患者の移植については、「さまざまな治療薬を使って体内に残すのが通常の選択」など、否定的な意見が多い。国内で初めて成人間の生体肝移植を執刀した土肥雪彦・広島大名誉教授は「腎臓のドミノ移植は聞いたことがない。腎臓と肝臓とでは緊急性が違う。肝臓には機能を代替する機械がないため、問題のある肝臓でも移植するが、腎臓の場合は安全に透析治療ができるのだから、ドミノ移植をする論理は成り立たない」と指摘する。

万波医師による腎臓移植問題がようやく医学上の論争になった。メデイアも勉強してきたな!

最初金銭で腎臓移植をした事件で話題なったが、どうも医者を刑事送検できないと見たメデイアが次に狙ったのが、病気の腎臓を使った移植を重ねた問題であった。私は最初から医学上のドミノ移植があるのだし何故万波医師が悪いというメデイアの感情論の意味が分らなかった。例え病気の臓器でももっと悪い状態の人に移植してゆくドミノ移植の存在は知っていたからだ。欧米でも良くやっている手術だし、無知による感情論で魔女を作ろうとするメデイアの悪癖が出たと懸念した。しかしこの記事はドミノ移植問題の有効性を論じる医学上の論争を伝えているので安心した。腎臓患者には透析という手段が残っているのだからドミノ移植は不要だとする意見、いやドミノ移植で急激な悪化を防げたとする医師の弁明は大いにやっていただければ良い。

「いじめ自殺」を歴史的に見てみよう  戦後教育を振り返る

2006年11月25日 | 時事問題
asahi.com 2006年11月25日08時00分
日本の「Ijime」、ドイツで強い関心 連日報道
  いじめによる自殺や自殺予告が日本で相次いでいる問題について、ドイツの主要メディアが強い関心を寄せ、連日報道を続けている。日本語の「Ijime」という用語もそのまま引用され、「イジメ」と発音されている。ドイツでは移民問題や貧富差などに基づく子どもの暴力や差別が増えており、学校教育のあり方に関する論議を日本と重ね合わせているようだ。

いじめ自殺を生徒の弱さに還元することは出来ない社会現象である。

私の年がわかるが、私は戦後の食糧難の時代に幼年時代を送り朝鮮戦争が始まった年に小学校に入学した。闇市からようやく戦争特需で日本の復興が軌道に乗り出した頃である。勿論京都にも進駐軍がいて、学校の給食は粉末ミルクで育った世代である。小学校では私はどちらかといえば腕白のいじめ組に属し、他学級へ箒で武装して乱入したり、男子生徒のパンツを脱がせたり悪戯の限りを尽くしていたため、先生からはいつも校庭の朝礼台(青台と呼ばれていた)に立たされたり、廊下にバケツを持って立たされることは日常茶飯事であった。これは今日では体罰というが、決して先生に殴られることはなかった。近所の年上の悪がきにはいつもいじめられたて悔しい思いをしたが逆にこれががんばりのばねになったようだ。高学年になると先生の引き出しからテストプリントを盗み見をしたが何の効果もなかった。高学年になってから急に勉強の楽しさに目覚め、よく勉強するようになったので先生にほめられ今も先生には感謝している。中学校に入る頃には日本は経済成長期に入りテレビや洗濯機が出始めたが、私の家は貧しかったのでテレビは近所の金持ちの家に見に行ったし、力道山のプロレスが又楽しかった。町内では地蔵盆の催し物や盆踊りもいまでいう町の地域コミュニケーションになるのだろうか。小学校の悪がきも中学校時代は優等生になりスポーツや勉学に励んだ。我が中学校は札付きの不良連中が多く暴力・女性への暴行で逮捕されるような「荒れた学校」であった。その頃の先生方もが学校出たての若い人ばかりで面白い学校だったと思う。高校時代には我が家も人並みにテレビなど家庭の3種の神器が入り、世間も高度経済成長の只中にいた。私はひたすらのがり勉になり湯川秀樹を目指して京都大学理学部受験の毎日であった。この頃はもう先生方には何の期待もせずたいした能力は持っていないと考えて自分の力を信じて独学受験にいそしんでいた。この頃から私立の受験専門高等学校(例えば灘高、洛星高校)はあったが高嶺の花で、公立高校は安いのだが一切受験勉強は教えないという節操を持っていた。このとき60年安保闘争が起こりいわゆる市民革命は挫折した。経済成長による池田首相の所得倍増計画が現実味をおびてゆくにつれ価値観が多様化し1億総中流化といわれた。社会党共産党の階級闘争はこの時点で崩壊した。日本の産業界の要請で大学の理工科ブームにのって私も理学部に入学した。私が大学を卒業し企業に入社してから1970年代には全共闘赤軍派など最後の学生運動が興ったが権力の介入で壊滅し、以降大学の学生運動は下火になったと同時に、中学校や高校が荒れ始めた。神奈川県の中学校では校舎のガラスが割られ、伏見高校ではバイクで校舎内を走り回る時代になった。伏見高校のラグビー部の熱血先生が伏見高校を立て直したドラマはNHKで放映され有名になった。この中高生徒の反抗・校内暴力(尾崎豊がその時代を代表するヒーロであった)も1980年代には消滅した。何か日本人の民力のエネルギーがしだいに何物かに吸い取られていったようだ。それが生活の豊かさと拝金思想と会社主義・能力主義ではなかろうかと思っている。現在の子供は団塊世代二世以降である。国際的にはソ連邦が崩壊して冷戦が終結した。国内政治で言えば50年体制が崩壊しアメリカ並みの2大政党(みんな与党)へ移行し、団塊時代の経済成長と会社主義と終身雇用制の崩壊から平成不況を経て労働状況の悪化、若年層へのしわ寄せとなってしまった。
この時代の子供は恐らく生活感はないだろう。第一代の親の苦労で築いた財産は2代目までは親の苦労を知っているから守れるが、3代目で食いつぶすといわれている。今は将に戦後3代目(戦後60年、20年を一世代とすると今は三世代目)で、生活の苦労は何も知らない。すでに親には反抗心などのエネルギーは感じられない。まして子供にエネルギーはない。すれば教師から体罰という手段を奪ってしまっているので子供は教師を嘗めてかっている。教師に怒られれば体罰だと騒げば教師は黙ることを知っている。すると弱いものはさらに弱いものへエネルギーが向かう。私たちの世代からすれば、こんな言葉によるいじめは挨拶程度にしか見えない。言い返せば良い、喧嘩すれば良いのだが校内暴力で禁じられている。些細な言葉によるいじめにも耐えられない子供が殆どなのか?親や教師や子供への禁止事項が多すぎて三すくみ状態になっている。所謂閉塞状態である。全ての子供のエネルギーを受験テクニックに集中することのみが三者の逃げ口になっている。これでは窒息してしまう。

NHK朝の連ドラ 「芋蛸南京」

2006年11月25日 | 写真館
今静かに評判になっているNHK朝の連ドラ「芋蛸南京」に注目している。毎日欠かさず見ている。最初大阪が舞台のドラマと聞いただけで大阪喜劇人が出演する「どたばた喜劇」と誤解していた。ところが見るに連れて俳優がベテランの名わき役ばかりで、実に安心してみていられる余韻の深い内容である。主人公の田辺聖子役の藤山直美がドタバタ芝居臭さを抑えた良い演技である。亭主役の井岡の渋い演技と深い思いやりが伝わり好感が持てる。昔の回想シーンではこれまた名優がずらりと出演しており、さすがNHKの威力はすばらしい。