とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

都路華香

2010-09-09 22:08:19 | 日記
都路華香



 表題の人物を私は「みやこじかこう」と読んでいた。島根県の日本画家小村大雲の師匠に当たる人物である。
 私の軸物への愛着心は、勝部大逸の富士山の作品から始まる。署名には「皇紀二千六百年」、「大逸山人」と書いてある。若い頃この作品を家宝と思って大事にしていた。その後退職してから彼が師事していた大雲の作品にも関心を持ち始め、ある人のお世話で手に入れることが叶った。それからというもの、軸物というと目の色が変わってきたのである。
 調べた結果、大雲は京都四条派の流れを汲む森川曽文、都路華香、山元春挙の教えを受けていることが分かった。続いて、その三人の経歴、作品の傾向を調べた。曽文は淡い色調の点描のような線で描く。春挙は正統な筆法で写実的に描く。しかし華香には驚いた。色使い、構図が個性的で、筆法が繊細かつ大胆である。真っ赤な達磨像には驚いた。何かしら人間臭いところもある。松の老木から月の光が漏れ光っている風景画もあった。よく見ると月光を浴びた松葉が糸の如く細く淡く描いてある。
 華香は、幸野楳嶺(こうのばいれい)に師事している。竹内栖鳳らとともに楳嶺門下の四天王と称せられていた。ところが、不遇にも他の門下生のようにあまり高名ではなかった。しかも作品が国内外に散逸している。そういう事情を憂慮して、京都国立近代美術館、東京国立近代美術館、竹喬美術館で大規模な展示会が開かれた。私はその目録を手にして、しかも、小品を購入し、その偉業に瞠目(どうもく)している。いずれ近いうちに、華香が美術史の中から颯爽と躍り出てくることだろう。最後になったが、正しい読み方は「つじかこう」である。(2007年投稿)

田中路子という女性

2010-09-09 22:04:58 | 日記
田中路子という女性



 日本画家田中頼璋(旧瑞穂町出身)を訪ねる私の旅は、なかなか終わりそうにない。今までにこの画家の作品の実物をいくつか拝見することができた。先日も出雲文化伝承館で双幅の軸物と出会うことが叶った。まことに穏やかな雰囲気の画風で、心静まる気持ちになった。
 ところで、調べを進めているうちに、田中路子という女性にウエブ上で出会った。最初は、誰だこの女性はと思ったが、田中頼璋の娘さんと知って非常に驚いた。一九〇九年に神田に生まれ、根岸で育った。後、東京音楽学校で声楽を学んだ。そのときに、チェロ奏者と道ならぬ恋に落ち、そのほとぼりを冷ますために、両親の意向でウィーンに留学。そこでオーストリアのコーヒー王と呼ばれた大富豪ユリウス・マインルに出会い、結婚。歌手、映画俳優としての華やかな生活が始まるが、まもなく離婚。そして、ドイツの当時のトップスター、ヴィクトリア・デ・コーヴァと再婚し、戦中、戦後、夫婦が協力して困った人々を援助したという。一九八八年五月に死去し、今はベルリンの墓地に眠っている。
 現在、財団法人日本音楽教育文化振興会が主催する事業の一つに田中路子賞がある。これは声楽部門の賞で有能なソリストを発掘し優秀な人材育成、そして声楽技術の啓発を目的としている。
 彼女の一生を映画化すれば、すばらしい作品が出来上がるだろうと私は思った。道ならぬ恋に落ちて、日本を離れ、遠い西欧の地で再び恋の炎が燃え盛る。しかも、訪れた日本人を温かく迎え、戦争で困っているたくさんの人を救った。その父親は島根県出身の高名な日本画家。私は、久しぶりに気持ちが高ぶってきた。(2007年投稿)

石見銀の魅力

2010-09-09 22:01:13 | 日記
石見銀の魅力



 石見銀山が世界遺産に登録されたことを祝して、現地石見銀山資料館と古代出雲歴史博物館で同時に石見銀山展が開催されている。また、全国高校総合文化祭も島根県の各地で関連行事が開催されている。そのために、県外の観光バスにあちこちですれ違う。今、島根は熱く燃えている。
 さて、その石見銀山の銀に関することであるが、先日のNHKテレビの特集番組を見て、私は今までの考えを修正しなければならなくなったのである。私は、以前は石見銀はそのままヨーロッパに輸出され、さまざまな工芸品に加工されて重宝されていたと思っていた。しかし、事実はポルトガル船が日本に生糸を持ち込み、銀と交換し、マカオでその銀と陶磁器を交換し、本国に持ち帰っていたという。そして、中国では馬蹄銀に加工されて流通していたのである。だから、石見銀を読み解くキーワードは「交易」にあったと言えるのである。『東方見聞録』で「黄金の国」と言われていたわが国は、実は「銀の国」だったと解説された。そういう目で先日歴博で見た石見銀を見直すと、また違った輝きを増してくると思う。陳列してあった豪華な装飾品にすぐさま加工されたものもあったし、中国で銀貨として生活を支えていたものもあったのである。
 また、金、銀、銅の産地は日本海側に多くあるということも注目しなければならない。その原因は各種の学問的な考察で検証されつつあるようである。私は石見銀の独特の色と艶が好きである。三十年位前に銀製のレプリカらしきものを買い求めたが、すぐに友人に渡してしまった。惜しいことをしたと今になって思っている。(2007年投稿)

青色の少女像

2010-09-09 21:55:24 | 日記
青色の少女像



下方の余白に「百分の四十」、「KA」と鉛筆で書き込まれている。百と四十は算用数字で書いてあるが、ややぎこちない感じである。KとAは続けて書いてある。Aはやや小さく、小文字に見える。その上に青色の服を着た少女が青色の背景の中から白く浮き出ている。唇のピンクがアクセントとなっている。全体にリトグラフ独特の色合いである。
 わが家の玄関ホールにはこの絵がもう三十年近くも掛けてある。額の金色は所々色落ちしたりしてみすぼらしくなったが、比較的暗所にあるためか絵自体の褪色(たいしょく)はあまりない。私はこの少女の知性的な顔立ちが好きである。やや横向き加減で眼が大きくて清清しい印象を与える。毎日見ていても飽きがこない。私の時々の心情によって、心持ち表情が変わる。それが愛しい。たくさんの来客を迎えているが、この絵について感想を述べた人は一人だけ。「いい絵ですね」。その人はちらと見てそう言った。
 絵に詳しいお方はもうお気づきだろうが、この絵の作者は挿絵画家風間完氏である。買ったのは確か出雲市で開かれた「一枚の」の展示会だったと思う。会場に入った私はたくさんの作品の中でこの絵が際立って美しく見えた。大袈裟だが、運命的な出会いをしたような感じだった。傍にいた妻に、「これ買おう」と言ったら、瞬間、驚いたような目つきになったのを今でも覚えている。もちろん月賦で買い求めた。今はその少女を私の娘のように思っている。私には二人の娘がいるが、この絵の少女は歳をとらないので、いつしか末の娘になってしまった。いずれ私の孫となるだろう。
……この絵のモデルは誰だろうか。会いたい気持ちがいや増すのだが……。(2007年投稿)

生き物を描く

2010-09-09 17:15:56 | 日記
生き物を描く



生き物、特に動物の絵などを描いてみて、絵の巧拙はともかく、実物に近いものに仕上げることの難しさを感じることがある。例えばニワトリの場合は、えーと、足の指は何本だったっけ? などとごく簡単なことでつまずいてしまう。
 日本画家は家で実際に動物を飼い、スケッチを繰り返して形の特色をとらえるという。しかし、トラのように飼えないものなどは、動物園などでしっかり観察するしかないだろう。だが、トラのいなかった時代はどうしただろうか。見たことのないものを描くのは困難を極めたことだろう。その結果がいわゆる「猫虎」と言われる絵の原因になっている。似ているものから想像して描いたのである。江戸時代の岸駒(がんく)は、毛皮から想像してトラを描いたと聞いているが、真偽は不明である。
 私は先日、ネットオークションである有名な画家の署名が入った白鷺(しらさぎ)の絵の軸物をいつものように感心して見ていた。あわよくば安く落札しようとも考えていた。白鷺の絵はよく見かけるので、日本画の素材としては定番である。筆致も素晴らしく、まず真作と見ていいだろうと思っていた。しかし、よくよく見ると、羽根だけでなく、すらりとした脚も白く描いてあった。不審に思い、図鑑を繰ってみたりして調べた。結果は黒か茶色であった。もしかして、幼鳥は白いかもしれない、と考えてみた。しかし、描いてある姿はれっきとした成鳥である。
 この画家がどうして……? と私は不思議に思った。白にした方が美しく見えると考えたのか? あれこれ思案したが、結論は出せなかった。挙句の果て、この絵は贋作だと考えるようになったのである。しかし、真実は藪の中である。(2007年投稿)