とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

梛(なぎ)の木

2010-09-04 22:09:07 | 日記
梛(なぎ)の木


この木については、下記サイトをご参照ください。多謝。
ナギノキ



 動物もそうだが、樹木にもきちんと序列が付けられているようである。
 例えば一位(いちい)という木はいかにも高貴な木のような気がしてくる。この木で笏(しゃく)を作ったところから付けられた名前だという。また、榊(さかき)のように神社の祭礼に欠かせない木もある。その反面見向きもされない雑木もある。
 私は梛(なぎ)の木が好きである。この木も位が高い。高野槇(こうやまき)がもてはやされているが、姿が端正な梛には及ばないと思っている。針葉樹だが、葉は楕円形で光沢がある。葉の繊維が縦に密に通っているので、横には決して千切れない。別名チカラシバとも呼ばれている。神社に植えられて霊木として崇められている。子どもの頃、母の実家の井戸の脇にその大木があった。私はその木を見上げながらうっとりしていた。他の木とは違う気品を子どもながら感じていたようである。
 数年前、私の最後の勤務校である出雲農林高校に梛がシンボルツリーとして植栽された。枝葉は刈り込んであったが、太い幹が長い歴史を物語っていた。私は仕事の合間にこの木を見上げながら、母の実家の木を思い出していた。ナギは凪(なぎ)にも通じるので学園の平和と発展を祈念して植えられたのである。この木の葉が生い茂っているその後の雄姿を見たいものだと今しきりに思っている。
 その梛の木の芽が最近私の家の小さい庭に伸び始めた。小さい生命は恐らく小鳥が気まぐれに運んだものと思われる。しかし私は天恵だと思った。この木が大木になる頃には私はこの世にいないのだが、何故か浮き立つような嬉しい気持ちになってきたのである。
(2006年投稿)

2010-09-04 21:54:21 | 日記





  

 先月下旬に小グループで松江の寺社巡りをした。当日は生憎の雨模様だったが、かえって風情があった。奥谷の春日神社の狛犬を見、桐岳寺の庭園を訪ね、城山に登って松江神社を拝んだ。そのときである。お宮の境内の樹木に赤いきれいな実が固まってなっていた。私は案内者のお方にその木の名前を聞いた。「オガタマノキです。巫女さんが持つ鈴の原型ですよ」。郷土のあらゆることを研究しておられるご高齢のそのお方はそう説明された。オガタマノキ? 私はそのときどこかで聞いたことのある名前だと思った。
 続いて一行は城山稲荷神社に参詣した。石段を登りかけると、両脇にさっき見た赤い実があちこちに固まって落ちていた。見上げると大木がそびえている。オガタマノキだった。稲荷神社の説明を聞き、石段を降りた。やはり登り口のところの赤い実が気にかかってしかたがない。私が一房拾うと、みんなもそれぞに一つずつ選んで拾った。私はなんだかものすごい宝物を神から授かったような温かい気持ちに満たされた。
 さて、そのオガタマノキの実である。案内者の説明によると、天照大神が天岩戸にお隠れになったとき、アメノウズメノミコト(女神)が誘い出そうと思ってその実を持って神々の前で肌も露になって舞ったという。私が後で『古事記』の記載を確認すると、「小竹葉(ささば)」となっていた。よくよく調べると異説があり、オガタマノキの実を持って踊ったとも言われているという。その実の形を模して後の世に巫女さんの鈴が作られたそうである。
 思わぬ出会いは、優れた「先達」がいてこそ叶うものだとつくづく思った。(2006投稿)

郵便局

2010-09-04 21:51:46 | 日記
郵便局



 「郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢやだ。」
 詩人萩原朔太郎は「郵便局」という散文詩の冒頭と末尾でこのように表現している。(以下『日本詩人全集14』・新潮社より引用)この作品は昭和二年に刊行された詩集『若草』に掲載されている。
 この詩の都会の郵便局には様々な運命を背負った人々が登場する。その日の給金と貯金通帳を手にしながら窓口に列を作っている貧しい女子工員。遠国への悲しい電報を打とうとしている人。田舎で孤独に暮らしている娘に、秋の衣類を小包で送ったという手紙の代筆を懇願している老婦。薄暗い壁の隅で泣きながら手紙を書いている若い女性……。
 作者はその群集の中でも、とりわけ泣きながら手紙を書いている若い女性を注視し、「我々もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活の港々を漂泊してゐる。永遠に、永遠に、我々の家なき魂は凍えてゐるのだ。」と述べている。
 作者がこの詩中で見ている「郵便局」には独特な思い入れがある。しかし、作者はこういう世界に身を置き、「人生の郷愁を見るのが好きだ」と真情を吐露している。
 私がこの時期にこういう古い詩を紹介するのは、もちろん、最近の郵便局をめぐる情勢が急激に変化しようとしているからである。郵政改革はもう目前に迫っている。どういう形で我々の目の前にその全貌が現れるのであろうか。期待もあるし、不安も大きい。しかし、どういう運営形態になろうと、朔太郎が感じた「郵便局」の底に流れている情感を感じさせる場所であって欲しいと私は切に思っている。(2005投稿)

名残雪

2010-09-04 21:46:22 | 日記
名残雪


春先になると、「かぐや姫」のことを思い出す。一九七一年に結成されたフォーク・ソングのグループである。伊勢正三さんはそのメンバーの一人だった。その伊勢さんの曲に「なごり雪」という名曲がある。後、イルカが歌って大ヒットした。その歌詞の中に、「なごり雪も降る時を知り/ふざけ過ぎた季節のあとで/今 春が来て君はきれいになった/去年よりずっときれいになった」という部分がある。私はこの言葉が大好きである。
 今月の中ごろ三刀屋の明石緑が丘公園で蘭(らん)展があった。その目的地目指して、妻と二人で急な長い坂道を登っていった。その時は最終日の午後だったので、もうほとんど売れて残り少なくなっていた。私たちは一鉢の小ぶりな花を買って、隣の棟の喫茶コーナーでお茶を飲んだ。外を見ていると、春の雪がちらちらと降り出した。
 私は、その雪を眺めていて、突如、底知れぬ寂しさに襲われた。言葉では表しにくい気持ちだった。しいてきざな言い方をすると、生きていることの寂しさというようなものだった。その時、ふと、その歌詞が頭をかすめた。すると、よけいに深みに沈んでいった。どうして? と私は何度も自分に問い掛けた。
「なごり雪も降る時を知り……」。……見知らぬ山中の名残雪は降るべくして降り、それに導かれて私は今のわが身を顧みたのである。それに「なごり雪」の若者の世界がダブッて、いや増す寂しさを感じたに違いなかった。
かつての唄の歌詞がある情緒を誘発する。もしくは、ある感情に歌詞が寄り添う。これは真実である。(2006投稿)