とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

白い彼岸花

2010-09-22 22:25:02 | 日記
白い彼岸花





 秋分の日の今日、妻と孫娘を車に乗せてススキを採りに新建川の河口付近に出かけた。今日は猛暑を打ち消すかのような爽やかな秋の日差しが降り注いでいた。孫と娘がお月見の団子を作ったので、家でお月見をしようということになったのである。
 川面から涼しいというより少し肌寒い風邪が吹き上がってきた。土手の下には白いソバの花が一面に咲いていてなかなかの風情だった。目的のススキを数本採って土手を見渡すと、吾亦紅(ワレモコウ)の大きな株があった。小豆色の地味な花がたくさん咲いていた。
 こりゃちょうどいい。ススキに添えて生けようということになり、三本ほど摘んで車に乗った。車中から眺めると、すでに稲刈りがしてある田んぼもあって、私はいままでの猛暑をしばし忘れて秋を体感していた。
 すると、妻が言った。「何だか物足りないねえ」。私はその言葉の意味が分からなかった。「どうして」。すると妻は「今年は田んぼのへりに彼岸花が咲いてないね」と言う。
私は目を凝らしてあたりを見た。なるほど少しも赤い花の色が見当たらない。私もそのことに気づいて、少し寂しく感じた。
 今年の異常な暑さはいろいろな方面に影響を与えている。自然の運行が大きく狂ってしまっているのである。
 刈り取りが終わった田んぼのへりに咲く彼岸花。その赤い色が心に染みこんで秋の訪れを感じる 。そういう情緒が今年は消えていたのである。
  

 墓地までの道しるべなり曼珠沙華   桑垣信子


 私は、帰ってから彼岸花の句を調べていて、ふとこういう句に引き込まれた。
 私の今の心境を代弁してくれている。徐々に墓場への距離が短くなってきている。そうか、道しるべか、旨い表現だ。私は一人で感心していた。
 いや、この作者はもっと前向きなのかもしれない。私はそう思い直した。作者は恐らく彼岸の墓参りに出かけたのであろう。久しぶりの墓参。その道の両側に歓迎するかのように赤く咲いている彼岸花。作者は恐らく嬉しかったに違いない。
 それにしても、その彼岸花が咲いていないのは寂しい。私は無性にその花が見たくなった。それから、検索サイトで彼岸花の画像を探し出し、拡大して楽しんでいた。
 たくさん見ているうちに、白い色の花の写真を発見した。
 白い彼岸花 ??
私は、そういう花があることは知っていたが、実物にお目にかかったことがなかった。じっと見ていると、不思議な花のように思えてきた。何か、あの世から舞い降りた花のように思えたのである。
 もし、上の句の作者が見た花が白い色をしていたら・・・。
 まさかと思いながら、白い「道しるべ」の花が咲き乱れている光景を夢見心地で想像していた。・・・こりゃ間違いなく天国への道だ。
 私は、夜、孫たちと縁側でお月見をしながら、月の色と白い花の色を重ねて見て、一人だけ幻想的な気分になっていた。
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。