とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

文字の味わい

2010-09-10 22:35:38 | 日記
文字の味わい



 職場の会合で、私はときどき受付係をすることがある。そんなとき、私は引け目を感じる。人と対面すること自体ではなく、受付簿に次々と記入されていく名前の文字の筆跡に起因している。筆でもボールペンでも実に味があるからである。
 私は自分の名前を今まで人様の前で数えきれないほど書いてきた。しかし一度としてよく書けたと思ったことがない。緊張しやすい性格だからかもしれない。いや、それ以上に自身の素質という深いところに原因があるらしい。自分の名前くらい自信を持って書きたいものだと思い続けている。
 最近、書画の落款の署名の文字に異常に関心を持ち始めた。書家、画家の雅号は言わば作品の顔である。だから作家の個性が滲み出ている。しかも芸域の深まりとともに書体を変えている。竹内栖鳳の「鳳」の文字はいかにも鳥が止まっているような形に見えて、絵の一部のような趣きを出している。反面、小野竹喬の署名は楚々としていて、控え目である。横山大観の筆跡は地味だが、内に秘めた力を感じる。画家、書家の署名と一般の人の署名を同一のレベルで見ることはできない。しかし、長年書いてきた文字には、字配り、運筆にその人の人間そのものが表れ出てくるものである。
 本紙(「島根日日新聞」)九日号に、子どもたちの漢字習熟度についての民間調査の結果が載っていた。たくさん読めて、たくさん書けるに越したことはない。私はその上に、漢字文化を愛する心を養って貰いたいと思っている。第一に心がけたいことは、自分の名前を心を込めて書くことである。「名は体を表す」という言葉があるが、言い得て妙だと思っている。(2007年投稿)

「不思議の木」

2010-09-10 22:31:28 | 日記
「不思議の木」



 本紙十五日号の記事に旧平田市の国富小学校のユーカリの古木(不思議の木)のことが載っていて、私は興味を持った。一度見たいものだと思った。昭和四十年ごろに私は浜田の農事試験場で銀葉ユーカリの大木を見ていて、その記憶と重なったからである。私が見たのは丸葉のものではなく、確か長細かったような気がする。暖地を好むので、日本ではなかなか大きくならないそうである。
 さて、いつものように私の記憶はとんでもない所へ飛ぶのだが、この度は吉行淳之介氏の庭のユーカリにリンクしてしまった。昭和四十八年に刊行された随筆集『樹に千匹の毛蟲』(潮出版社)の冒頭には確かその木のことが書いてあったと思う。庭に植えたその木がなかなか生長しなかったそうである。大きくなりすぎても始末に困るのでその木を掘り上げようとある日思い立ち、とりかかるが、意外な難工事になった。知らない間にしぶとく根を伸ばしていたのである。この冒頭作品は、話としてはまことにもの足らないものである。しかし、私は不思議とこの部分をときどき思い出す。ユーカリという言葉の響きにも引かれた。
 この本が出版される数年前、文藝春秋社の文化講演会が小倉であり、私は憧れの吉行氏の話を聞くことが叶った。当時の海外のナンセンス文学を例に挙げ、一見たわいのない話の中の「キラリと光る」ものを感じたとおっしゃっていた。そして、短編小説の命は断面が「キラリと光る」ところにあると断言されたのである。随筆と小説を同一に論じることはできないが、やはり、前述の作品はユーカリだったからこそ、不思議な輝きが生じたのである。私は、今、そう思っている。(2007年投稿)

不思議の国のアリス

2010-09-10 22:30:13 | 日記
不思議の国のアリス



 一五日のある中央紙の報道によると、昨年一年間に海外から輸入された絵本は二三七四万冊で、過去最高を記録したという。実に国内で流通している絵本の七割に達する。その背景に大人の絵本人気があるらしい。私は、その絵本の輸入元の九割が中国だと知って、もしやと思い、ある絵本の印刷国を確認した。
 その本は、昨年末インターネットで注文した『不思議の国のアリス』という絵本である。飛び出す絵本の中でもこれくらい複雑で意外性のあるものは他にないだろうと思っている。しかも印刷技術が高度で誰が見ても惚れ惚れするような仕上がりで、英語絵本のベストセラーである。発行所はニューヨーク。
 やっぱり! 私は遅まきながら出版界の異変に気づいた。生産地は「China」と記してあった。送られてきたときは、奥付の細かい英語の文字に注意していなかったが、そのスペルを確認すると、複雑な思いがしたのである。同紙によると、東京税関調査部は「生産拠点を人件費の安い中国に移したことが主な要因では」と分析していた。
 発行はニューヨーク。生産地は中国。このボーダレスの状況は出版界だけではない。いろいろな品物を手に取って生産地を確認すると「China」の文字がたくさん見られる。今に始まったことではないが、日本の他のメーカーも生産拠点を中国に移しているところが多い。日本の雇用率が低下している原因の一つである。私は絵本の「アリス」が辿ってきた不思議な体験に思いを馳せながら絵本のページを繰り、飛び出してくる場面の巧妙な仕掛けにしばらく興じていた。(2007年投稿)

悲運の母子

2010-09-10 22:25:46 | 日記
悲運の母子



 インターネットで日本画の画像を見つづけていると、ぐっと心の底まで染み入る絵柄に出会うことがある。
 今回は、ある人物画の軸物の話をしたい。時は真冬である。
 上方の松の枝に重たく雪が積もっている。その下に平安時代の旅装束の母親と子ども三人が身を寄せ合って佇んでいる。一人はまだしかと歩けないらしい。赤い布にくるまれて母親の胸深く抱かれている。他の二人の子どもは笠をかぶってはいるが、いかにも寒そうな感じに見える。一人の子どもは、かじかんだ手に息を吹きかけ暖めようとしている。一番上の子どもは後ろ姿だが、掌を袖の中に隠して寒さに耐えている。幼児を抱いた母の顔は蒼白だが、まことに美しい顔立ちである。
 どうしてこういう雪の中を幼い子どもを三人連れて旅をしなければならないのか。私は背景にある悲劇を想像した。縁は縁を生む。私は後日別の作者の同じような絵柄の軸物に出会った。そのタイトルに「常盤御前」という名前が示されていた。不明の私は、源義経の母親の名前だと知りながら、この旅がどういう旅か即座に分からなかったのである。
 調べてやっと納得できた。平治の乱で源義朝(常盤御前は義朝の側室)が平清盛に討たれ、身の危険を感じて縁者がいる大和の宇陀まで逃れる途中の様子を描いた絵であった。そうすると、歩いて旅をしていた子どもが今若、乙若、母の胸に抱かれていたのが牛若である。後、常盤御前の母親が清盛に捕らえられ、彼女は母親と子どもたちの命乞いをし、自らは請われて清盛の側室となる。
 ……たかが掛け軸、されど掛軸。後の源九郎判官義経は幼少時かくも深い母の愛に包まれて育ったのである。                     (2007年投稿)

虹のかけら

2010-09-10 22:23:37 | 日記
虹のかけら



 虹は自然現象の中でもすこぶる芸術的造型である。色、形ともにこの世のものとは思われない。絵画でも、メルヘンの世界でもよく描かれる夢の象徴である。もし、そのかけらでも手に入れることができたら、その人は幸せを約束されるに違いない。
 私は、その夢のかけらを一度見たことがある。中空に小さな鮮やかな色の花束が浮かんでいた。ああ、彩雲だ、私は幸せものだ、とそのときは思っていた。ところが、いろいろな資料やデータを見てみると、必ずしも瑞兆とは考えられないと記されていた。
 今月の十五日の午前三時ごろ、島根県東部を震源とする地震が起こった。私は寝入っていて分からなかったが、朝方のラジオを聞いて分かった。出雲地方では久々の地震なので、家族同士の朝の挨拶代わりの話題になった。私は、いつものように新聞を取りに出て、地元紙を開いてみて一瞬どきっとした。第一面に縦長の大きな彩雲の写真が載っていたからである。十四日の昼に観察されたという説明があり、しかも瑞兆ということにも触れてあったのである。
 彩雲は地震の前兆現象だという説を私は素直に信じたくなった。見事に的中したからである。地震雲については以前もこの欄で書いたことがあった。確か彩雲にも触れたと思う。その美しい自然現象を見て、地震が近いと思った人は数少ないと思っている。ほとんどの人は、みとれて自然の摩訶(まか)不思議に感動したに違いない。……彩雲即ち地震の前兆。こう簡単には結論付けられない。それだけの理論的な裏付けが乏しい。だが、私は地震大国に住んでいる日本人は、心の隅にそういう説があることを焼き付けておいた方がいいと思っているのである。                        (2007年投稿)