癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

「湯の川冬の灯り」

2019年12月16日 | イベント鑑賞・参加

      
 今年が初開催の「湯の川冬の灯り」は、湯の川温泉エリアで開催される冬のイルミネーションイベント。3カ月のロングランで実施されている。
 市電「湯の川温泉」電停そばの足湯・湯巡り舞台から、鮫川沿いがライトアップされている。点灯時間は日没から22時まで 湯の川温泉をイメージした流水と扇の文様や、海や雪、梅や桜など10種類の灯篭円柱モニュメントで、「和」の雰囲気を演出している。

 しかし、その灯篭円柱モニュメントはコンデジでは上手く撮影できなかった。

 湯巡り舞台にはイルミネーションが優しく灯り、足湯も色が変化する。

 

<鮫川沿いのイルミネーション>

 

 花びしホテルのイルミネーション

      
 雪がないので、ここまでの往復を目的にロングウォーキングをしてきた。
 距離11.8km、2時間10分、万歩計15500歩。


五稜郭星空ランタン打ち上げほか

2019年12月15日 | イベント鑑賞・参加

 昨年から始まった「五稜郭星空ランタン打ち上げ」が12/13~15の3日間開催された。
 五稜郭タワーアトリウムでの「クリスマスミニコンサート」の後、五稜郭公園内で17時と18時の2回行われる。
 主催は旅行会社のクラブツーリズムで、参加費が2500円とのこと。
 ランタンを借りて揚げるだけなのに、高い参加費だとは思うが、これほどの人がいるのにも驚く。

 「今年の五稜郭タワーのサンタクロース」(毎年登る場所が変わる)


 16時からの「クリスマスミニコンサート」

 ゴスペラーズの合唱


 ジャズの演奏と歌

 17時からの「ランラン打ち上げ」

 ランタン打ち上げ前の様子


 打ち上げ20秒前・・・周りの照明が消されてカウントダウンが始まる。


 17時ちょうど打ち上げが始まり、少しずつ上がっていく。



 「五稜星(ほし)の夢」

 





初滑り・HYMLスキーキャンプin札幌国際スキー場

2019年12月14日 | スキー・クロカン

  <開会式で全員を写そうと思ったら、たまたま幹事の挨拶が終わってみんながお辞儀をしているタイミングになってしまった>

 ここ7年ほどの初滑りは、いつもいち早くオープンする札幌国際スキー場で開催されるこの「HYMLスキーキャンプ」である。
 今日は初級班を担当するので、自分が滑りを楽しむことは無理である。
 そこで、靴を新調したこともあり、朝早く行って営業開始と同時にゴンドラに乗り、集合時間前に2本ノンストップで初滑りを楽しんだ。
 午前中はとても良い天気だったが、午後からは上の方が濃いガスに覆われた。しかし、雪質は非常に良く、とても滑りやすかった。

 自分が創設者の一人であるこのHYML(北海道の山メーリングリスト・会員700名以上)は明日が20周年記念日である。
 このメンバーでスキーをする人の多くは山スキー(バックカントリースキー)を志向している。
 シールを付けてスキーで山に登って、自然の深雪斜面を滑りたい・・・このキャンプはその基礎講習を狙いとしている。
 もちろん仲間内の講習会なので、完全な無料奉仕のボランティアである。
 今回は、講師の指導員の資格を持つkonちゃんがどうしても参加できなかったので、募集人数をいつもより減らした。
 洋ちゃんが講師のテレマーク班4名、山スキー班はChoさんが講師の上中級班6名、自分が講師の初級班4名の講師も合わせて合計17名だった。

 
 <自分が担当した一番伸びしろのある初級班の4名とともに>

 中に今年の1月にスキーを始めた2シーズン目のメンバーがいて、その人に合わせた講習がメインとなった。 
 最も基礎的なプルークボーゲンから始めて、ほかのメンバーのためにもプルークターンからパラレルターンへの移行を中心に講習した。
 結果的に他の3名は、初級的なパラレルターンができるようになった。
 2シーズン目の方も、プルークターンからパラレルターンへ移行できる兆しが見えて、安定した滑りができるようになった。
 お互いに「上手くなった」と実感できて、自他共に満足感の大きな講習となった。

 この講習は、1月25日にニセコモイワスキー場で2回目を行い、翌日の1月26日に羊蹄山の1000~1200m辺りまで登って実践滑降という予定になっている。

 15時に終わって、そのまま帰路に就き、道路状況にも恵まれ、20:00前には無事に帰宅することができた。 

多分最後になるスキー靴新調

2019年12月13日 | スキー・クロカン


 最近は高くなっているので、ついつい買い換えを渋っている内に、今のゲレンデ用のスキー靴は15年も履いてしまった。
 まだ履けそうな気もするが、経年劣化による滑降中の壊われが恐い。残りのスキー人生からしても、買い換え時期であろう。 

 明日は札幌国際スキー場でのHYMLのスキー講習会があり、その前泊のついでに、札幌の石井スポーツへ行ってみた。
 上級者用のニューモデルは7~8万円以上はする。狙いは旧モデルである。
 メーカーはこれまでのサロモンか、過去に10年履いたことのあるラングと決めていた。
 初めから3割引ほどの旧モデル(昨シーズン)の棚へ。
 フレックス(足首や靴の硬さ)が110以上の上級者用モデルの25.5を探した。



 生憎ラングはそのサイズがなかった。幸いサロモンはあったので、履いてみた。履き心地で特に気になるところはない。
 もっと安いフレックス100の物を履いてみたが、やはり柔らかすぎる。
 ヨドバシカメラでも使えるガードを作ったら、4500円ほどのポイントが付いたので、結局5万円で済んだことになる。



 あと何年滑れるか分からないが、多分これが最後の新調だろう。
 初めてスキー靴を買ってもらったのは高校1年のときだった。ゴム製の紐靴だった。スキーはカンダハーの単板。
 それ以来60年、革製のダブルの紐靴になり、革製のバックルに変わり、プラスチック製のバックルへと変遷を重ねてきた。
 プラスチック製の靴が出たころは、まだ浅い靴で、固くて、インナーも今のように履き心地は良くなかったし、すぐにへたったものである。
 その後、スキー技術との関係で、深くなり、インナーのフィット感も非常に良くなった。

 15年振りに新調してみて感じたのは、軽くなっているのと、これまでの靴より膝が立った状態のバランスになっているようだ。
 これは、最近のスキーの性能と技術との関係で、カカトへの加重が重要視されていることによる。
 それに伴いスキーの操作の感覚も若干変わるので、明日の初滑りが楽しみである。

XCスキー大会エントリー & 年賀状印刷

2019年12月12日 | スキー・クロカン


 今日「湧別原野80km」の要項が送られてきて、これで今シーズンの参加予定のクロスカントリースキー大会の要項が全部揃った。
 ある程度のレベルを維持できなくなって、練習の辛さが負担になってきた夏のマラソン大会は、今年で卒業することにした。
 しかし、このクロスカントリースキーは好きなので、まだまだ体力が続く限り参加するつもりでいる。
 
 今シーズンも、例年通り、下記の5大会にエントリーを済ませた。
 1/19「HBCハウス歩くスキー大会」(15km)
 2/2「札幌国際スキーマラソン大会」(25km)
 2/9「おおたき国際スキーマラソン」(20km)
 2/16「恵庭クロスカントリースキー大会」(30km)
 2/23「湧別原野オホーツククロスカントリースキー大会」(80km)

 アップダウンが多くて一番辛かった「札幌国際」はこれまで50kmに14回出場したが、今回から年齢相応の?25kmに変更することにした。
 また、「おおたき」は、ここ数年は最長が15kmだったが、今回から20kmに変更になっていた。
 「湧別」の80kmは国内最長だが、アップダウンが少なく、概ね緩やかな下りなこともあり、まだ辛さより楽しさの方が勝っている。

 今回から「HBCハウス」もネットからエントリーできるようになり、楽になった。
 あとの2月の4大会は、例年通り「runnet」でエントリーを済ませた。

 練習は、地元ではコースがないので、いつも伊達市の大滝か札幌の滝野ですることが多い。
 12月末から1月中、何度練習できるか分からないが、大会が練習も兼ねているので、無理はしないことにしている。
 今シーズンも順位やタイムは気にしないで、滑走を楽しむことを目標にしたい。

◎年賀状の印刷 


 今年もこの季節がやってきた。しかし、今年は喪中はがきが30枚を超えた。
 本人の逝去も少しずつ増えてはいるが、親兄弟が多く亡くなる年代になってきている証拠でもある。

 年賀状のデザインはいつも同じパターンなので、苦労はない。
 その年の一番印象に残った画像をメインに、その年の思い出を文章で知らせている。
 今回は、「元号またぎ登山」をした利尻山の画像を選び、文章には、そのことと、道南全山219座完登、旧街道歩き旅、夏のマラソン大会の卒業、クロスカントリースキーはまだまだ続けることなどを記述した。

 今年は妻の分も合わせて230枚購入した。そのうち、自分用の220枚のうち210枚をとりあえず裏表印刷したが、5時間ほど掛かった。
 来週から、ぼちぼち「ひとことコメント」を書くつもりである。

 はがき代も高くなっているので、枚数を減らしたいとは思うのだが、なかなか難しい。
 それでも、40代のころは400枚もあり、旧南茅部町在住の時は「町長より多い」と郵便局員に冷やかされたものだった。
 まあ年1回の楽しみでもあるので、自然に減っていくのに任せるしかないと思っている。

スキーの準備

2019年12月11日 | スキー・クロカン

 左から(スキーもポールも)ゲレンデ用スキー、山スキー、クロカンスキー(2台 乾雪用・湿雪用)


 左から、ゲレンデ用スキー靴、山スキー用スキー靴(歩きとスキーの兼用靴)、クロカン用スキー靴)

 いよいよスキーシーズンである。しかし、昨日は最高気温10℃を超え、今日も11℃まで上がった。夜もマイナス気温にはならなかった。
 せっかく積もった雪が解けてスキー場は泣いていることだろう。

 今週の土曜日には、例年この時期に札幌国際スキー場で開催される「HYMLスキーキャンプ(山スキーの基礎講習)」の講師を依頼されている。
 そんなこともあり、3種類のスキー(ゲレンデスキー、山スキー、クロカンスキー)を出してきて準備をした。

 昨シーズンのそれぞれの滑走日数を調べてみたら、ゲレンデスキー11日、クロカンスキー9日、山スキー6日の合計25日だった。
 最近は多少の変動はあるにしても、どのシーズンもだいたいこの程度である。
 このほかに、スキーではないが、雪山登山の用具として、カンジキ5日、スノーシュー4日、山スキーからカンジキへの履き替え3日だった。

 これらの用具で今一番気になっているのは、ゲレンデ用のスキー靴である。すでに15年も履いている。
 経年劣化でプラスチックが突然破壊することがあるらしい。細かに観察してもそのような傷や兆候は見られない。
 しかし、あと10年以上は滑りたいので、それまでは絶対無理である。
 そこで、この際新調することにした。
 とりあえず、アルペンとゼビオを見てきたが思うような物がなかった。
 金曜日に前泊のために札幌へ向かうので、朝の内に出て、その時に探して購入するつもりである。


 それぞれの準備といっても、一番大変なのはクロカンスキーのワックス掛けである。明日からベースワックス掛けに取り組む予定である。
 ゲレンデスキーと山スキーは、タイムを競うわけでもないし、上から下へ滑り降りるだけなので、万能ワックス(画像の左の缶)で間に合わせている。

カプセルホテルについて

2019年12月10日 | 日常生活・つぶやき


 歩き旅をするようになってから、できるだけ安い宿を探すことが多くなった。
 山旅では車中泊が多いので、寝ることができればどこでも良いという感覚である。

 その双璧は、カプセルホテルと24時間営業の温泉やスーパー銭湯である。
 どちらも、2000円代~3000円代で泊まることができる。しかし、都市の繁華街にしかないのが悩みである。  
 もっと安く泊まれるという、若者が良く利用するネットカフェはまだ利用したことはないし、これからもないと思う。
 ちなみに、函館の新川町電停前にも、数年前に「カプセルイン函館」がオープンしている。
 

 今回も1泊目と3泊目は「日本橋室町ベイホテル」を利用した。1日目は金曜日で3240円、3日目は日曜日で3100円だった。
 だいたいどこも、曜日やシーズン、申し込み期日によって微妙に料金が違う。

 まだカプセルホテルを利用したことがない方も多いと思われるので、今回泊ったホテルをもとにちょっと紹介してみたい。
 なお、24時間営業温泉については、先月の甲州街道歩きのあとに紹介している


受付カウンター~ビジネスホテルとまったく変わらない。ここで、室内入口のセンサー付きのロッカーの鍵を渡される。


 カプセル内での飲食は禁止なので、どこでもこのような部屋が用意されていて、談話やパソコン・インターネットもできる。


 このホテルでは、朝食のコーヒーとパンがサービスされていた。


 衣服や荷物を保管するロッカー。この中にはタオル類と室内着の作務衣が入っている。


 カプセル内の様子~イヤホン付きのTVも用意されている。充電用のコンセントもあり、スマホによるインターネットも可能である。


 平面的にはシングルベッドとほぼ同じで、自分の車での車中泊より、幅が少し狭い感じである。
 寝具類のカバーは全て取り換えられて、非常に快適である。
 カプセルは2段になっているので、自分の場合は出入りが楽な下段を予約することが多い。


 出入口はブラインドで遮られているだけで、施錠はされない。貴重品はロッカーに保管。
 そのホテルの造りにもよるが、多少のいびきや他人の物音は我慢が必要。耳栓がアメニティと一緒に用意されているところが多い。


 大浴場やサウナが併設されているところが多いが、ここはシャワールームだけだった。


 シャワールームの内部とランドリー

 カプセルホテルの起源や最近の傾向についてちょっと調べてみた。

 てっきり外国から入ってきた形態かと思ったら、日本が起源とのこと。最近は外国でも真似た施設が増えているらしい。
 カプセルホテルは、日本で見られる、簡易ベッドを備えたカプセル状(箱形)の寝室を提供する宿泊施設とのこと。
 旅館業法では、ホテル営業ではなく簡易宿所営業にあたる。

 起源は、1979年、ニュージャパン観光が大阪府大阪市梅田に初のカプセルホテルとなる「カプセルホテル・イン大阪」を開業したのが始まり。
 カプセルホテルを発案したのは、大阪でサウナなどの経営に携わっていた中野幸雄と、コトブキの社員であった福西利文である。
 また、設計は建築家の黒川紀章が担当したが、これは大阪万博で「カプセル住宅」を展示していたことからオファーを受けたものである。
 なお、実際の製品化は家具メーカーのコトブキが行ったとのこと。

 利用者は、以前はビジネスマンや若い人が多かったが、最近は年齢的な偏りもなくなり、外国人も増えている。
 また、以前は男性専用が多かったが、最近では男女でフロアを変えたり、女性限定のホテルも増えている。

 最近の傾向としては、快適に滞在・就寝できるように設備を充実させた高級なカプセルホテルや、
 同じ施設内で広さなどによりグレード・料金が異なる複数のタイプの寝室を設けたカプセルホテルが増えている。


 ベッド以外に、テーブルが置かれているカプセルホテルもある。

 
 このようなところもあるらしい。こうした高級カプセルホテルでは、安めのビジネスホテルと同レベルの料金となっている例も多い。

東京下町散策・その3「谷根千」

2019年12月09日 | 登山・旅行

 <日暮里駅から「御殿坂」を登り、「夕焼けだんだん」から「谷中ぎんざ」入口を見下ろす>

 「谷根千」(やねせん)という言葉は元々、1984年創刊の地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の略称として呼ばれていた言葉とのこと。
 それが、谷中・根津・千駄木周辺の地域の総称として広く呼ばれるようになったそうだ。
 谷根千一帯は、空襲や再開発などを免れたため、昔ながらの風景を残す下町。レトロな街並みが人気のスポットとなっている。


 今日は、日暮里駅を起点に、スマホのガイドマップを参考に歩いた。
 最初は赤線のコースを歩き、途中少し足を伸してから戻って根津神社から青線コースを歩いた。


 「谷中ぎんざ」~「下町東京レトロ」がキャッチフレーズの昭和20年に誕生した歴史ある、東京の中でも有名な商店街。
 さまざまな個人商店が約60店舗並んでいる。どこか懐かしい気持ちになれる商店街。
 平成に入り、谷中・根津・千駄木の界隈が「谷根千」と呼ばれ注目が集まり、観光地としても多くの客が訪れるようになったようだ。


 懐かしい店やそこで作っている食べ物屋店も多く、若い女性なら食べ歩きしたくなるような店がたくさんある。


 ちょっと横道を覗くと、昔のままの狭い小路がたくさんある。


 「谷中ぎんざ」を抜けると「よみせ通り」に出る。ここも100軒以上の店が並び、レトロな雰囲気で昭和を感じる。


 「岡倉天心公園」~東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立にかかわり、また日本美術院を創設した岡倉天心の旧居跡。
 公園といっても10平方メートルの児童公園規模のもの。
 それでも明治31年10月15日、ここに日本美術院が開設され、明治39年に茨城県五浦に移転するまで、日本美術の中心的な場所だった。


 「観音寺の築地塀(ついじべい)」~いわゆる土塀のことで、主に石垣を台座として塀の中心となる部分に木の柱を立て、柱を中心に木枠を組み、そこに練り土(粘土質の土に油や藁などを混ぜた土)を入れて棒で突き固める版築工法で作られたもの。
 塀の上部には雨除けに瓦屋根が葺かれ、表面も漆喰で仕上げられている。

 「寺院の屋根の下に谷中の町がある」と言われるほど寺が多い。谷中だけで70軒もあるらしい。


古民家


 「ぎんなん通り」


 「さくら通り」
 「ぎんなん通りと」と「さくら通り」の両側は「谷中霊園」~都立霊園で、東京3大墓地の1つ。旧称の谷中墓地と呼ばれることも多い。
 面積は約10万平方メートル、およそ7,000基の墓がある。徳川家15代将軍慶喜や鳩山一郎・横山大観・渋沢栄一などが眠る。
 歩いているだけで、川上音二郎や高橋お伝の墓も目に入った。


 谷中霊園の通りに、全国各地の竹垣が紹介されている。その中の1部をカメラに収めた。


 「さくら通り」を抜けたところに建つ花屋の建物


 古い銭湯を改築したギャラリー「SCAI THE BATHHOUSE(スカイ・ザ・バスハウス)」

 赤線のコースはこの前を右折するが、古民家の多い少し先の上野桜木の交差点まで足を伸ばした。


 古民家3軒が連なるカフェなど


 谷中岡埜栄泉(和菓子屋)


 八代目伝左衛門めし屋


 「台東区下町風俗資料館付属展示場」(旧吉田屋酒屋)~江戸中期から明治時代の商家建築の様子を残している。
 月曜日は定休日で見ることができなかった。


 上野桜木町交差点の角にある「カヤバ珈琲」

 ここから戻って、青線のコースから根津神社へ向かう。


 坂道の途中にある珍妙な「ねんねこ屋」~猫の店「ねんねこ家」は、一軒家の一部を使った小さな古民家カフェ。
 「ねんねこ神社」も祀られ、木彫りの看板、のれん、玄関の前にある、小さな招き猫たちが並んでいる。


 根津神社の鳥居


 広大な敷地の中央にある山門と右奥の本殿。日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社で、東京十社の一社に数えられている。
 境内はツツジの名所として知られ、森鴎外や夏目漱石といった日本を代表する文豪が近辺に住居を構えていたこともあり、これらの文豪に因んだ旧跡も残されている。
 現在の社殿は宝永3年(1706年)の創建。社殿7棟が国の重要文化財に指定されている。


 根津神社の「千本鳥居」


 「へび道」~旧愛染川を埋め立てたくねくね道の両側に住宅が立ち並ぶ。


 「朝倉彫塑館」~日本近代彫塑界の最高峰であり、文化勲章受章者である朝倉文夫が住宅兼アトリエとして使用していた建物。
 敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国名勝に指定されており、建物は国有形文化財に登録されている。※月曜日が定休日で入れず。


 古い商家

 このあと、山手線とモノレールを乗り継いで羽田空港から無事帰宅。

東京下町散策・その2・葛飾柴又

2019年12月08日 | 登山・旅行


 映画「男はつらいよ」の主人公「フーテンの寅さんの出身地として、有名な葛飾柴又は、柴又帝釈天の門前町として栄えた所である。
 柴又駅を降りると、寅さんの像が迎えてくれる。


 駅前からすぐに、タイムスリップしたような帝釈天参道が続く。


 駅前からすぐに始まる参拝道の両側には、いかにも老舗といった感じの土産店が軒を並べる。
 美味しそうなものも多く、のんびり食べ歩きをしたくなるが、時間もないのでぐっと我慢をして進む。


 柴又名物草だんごが有名で何軒もあるが、その中でも代表的な亀家本鋪


 明治29年築の非常に立派な山門


 「柴又帝釈天」~帝釈天 題経寺の正式名称は経栄山 題経寺である。
 題経寺の歴史は江戸時代初期の寛永6年(1629年)まで遡る。
 旧本山は大本山中山法華経寺。親師法縁。なお、「帝釈天」とは本来の意味では仏教の守護神である天部の一つを指すが、地元では、題経寺の略称として用られることも多い。


 帝釈天の横の道を進み堤防を越えると「矢切の渡し」
 「矢切の渡し」は、江戸時代初期、地元民専用に耕作や対岸の農地への移動手段として使われるとともに、日用品購入、寺社参拝などの目的のために、徳川幕府が設けた利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちのひとつであり、「金町・松戸の渡し」と呼ばれていた。
 有名になったのは、伊藤左千夫の「野菊の墓」に登場してからである。
 さらに、細川たかしの「矢切の渡し」の大ヒットで観光地として有名になった。
 都内に唯一残る貴重な渡し場だそうだが、営業してはいなかった。


 堤防を進み、下へ降りると「山本亭」
 趣ある書院造に西洋建築を取り入れた、和洋折衷の大正建築、


 公開されている部屋から眺める日本庭園。


 その隣にある「寅さん記念館 山田洋次ミュージアム」
 映画『男はつらいよ』の世界にくまなく触れることができる。実際に使用されていたセットや小道具など、貴重な資料の数々を陳列し、懐かしさいっぱいの記念館である。











 「山田洋次ミュージアム」



 『男はつらいよ』以外の山田洋次監督の作品にも触れることができる。

 
 駅横の「おりつ地蔵尊」と昭和情緒溢れる狭い小路のような商店街。
 「おりつ地蔵尊」~昔、生活の苦しい家族があり『おりつ』という少女が父の虐待により命を落とした…。
 この少女を供養するために有志一同によって建てられたお地蔵さんとのこと。最近多くなった親による虐待死が身につまされる。

 このあと、電車を乗り継いで品川のホテルへ。

東京下町散策・その1・江東区(門前仲町~清澄白河~亀戸)

2019年12月07日 | 登山・旅行
 今日は、東京でも下町情緒が残っていると言われる江東区の深川と亀戸、さらには、葛飾柴又へも足を伸ばした。
 ずっと1日中、雨の中の散策だった。

 門前仲町と清澄白河は、いわゆる深川と呼ばれる地区である。
 ホテルを出て、まずは電車で門前仲町へ移動。

◎門前仲町(深川南部)


 「深川東京モダン館」~昭和7年に建設された東京市深川食堂をリノベーションした建物で、国の登録有形文化財。
 区の観光拠点としてイベントや展示、カフェ営業をしている。開業前で中は見れず。


 「深川不動堂」


 「富岡八幡宮」~江戸三大祭り「深川八幡祭り」で知られる神社。


 境内にある「横綱力士碑」~この八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地で、新横綱の土俵入りが行われる。


 同じく境内にある「伊能忠敬像」



 「人情深川ご利益通り」~和菓子、漬物、江戸小物、宝飾品など約40店舗が並ぶ。深川不動堂の参道。


 「辰巳新道」~戦後に電車通りで屋台を出していた人たちが集まり店を始めた。現在も昭和情緒溢れる横丁。
 50mほどの路地に29軒の飲食店が軒を連ねる。

 歩いて清澄白河へ移動。

◎清澄白河(深川北部)

 「深川江戸資料館」









 地下1階からの地上2階までの吹き抜け空間に、江戸時代のまち並や庶民の生活ぶりを再現。




 「清澄庭園」~江戸時代の大名屋敷に多く見られる形式の日本庭園。
 岩崎弥太郎が買い取り、3代に渡って整備した。
 当時は「深川親睦園」として、主に三菱社員の慰安と内外賓客の接待の場として利用された。


 この辺りには相撲部屋が多い。「錣山部屋」「大嶽部屋」「尾車部屋部屋」「高田川部屋」。
 全て5~6階のビルで、1階に土俵があるようだ。近くでお相撲さんも数人目にした。


 「隅田川てらす」~平成29年オープンの水辺の多目的スペース。
 両側に芭蕉の句碑が立ち並ぶ。芭蕉は深川の庵を拠点に活動したので、深川界隈には芭蕉ゆかりの史跡が多い。「芭蕉記念館」もあった。


 「深川神明宮」~深川の開拓者・深川八郎右衛門が創建した神社。

 次に少し離れた亀戸へ移動。

◎亀戸
 
 
 まずは、妻お薦めの亀戸駅近くの「亀戸餃子」へ。開店前から10数人が並んでいた。


 あっと言う間に満員となる。一皿270円で、わんこそばのように次から次と出てくる。
 結局6皿で切り上げた。美味しいのだが、ゆっくり味わえないで、なぜか急いで食べてしまう。




 「亀戸梅屋敷」~江東区の観光情報が得られる施設で、寄席もあるようだ。




 物産店に「江戸切子」のコーナーがあった。
 上の方はクリスタルガラスの江戸切子、下は従来の江戸切子。
 全て万単位の価格だが、クリスタルの方が高い。


 「亀戸香取勝運商店街」~スポーツの神様である亀戸香取神社の参拝道にある区内で最も歴史のある商店街。 


 「亀戸香取神社」~昔から塚原卜伝や千葉周作などの剣豪が崇拝していたことから、今はスポーツの神様として崇拝されている。


 「亀戸天神社」~学問の神様として親しまれている。藤棚の美しさは広重の「名所江戸百景」にも描かれている。
 現在も藤や梅の名所として賑わう。

このあと、葛飾柴又へも行ったが、あすのあさに〈その2〉としてアップ予定

 これから明日の結婚式前夜の親族の前夜祭。

「東京駅丸の内駅舎」探訪

2019年12月06日 | 登山・旅行

 〈新丸の内ビル7階テラスから〉

 先月の甲州街道歩きで、皇居の外堀から行幸通りの正面にこの東京駅丸の内駅舎を眺めた。
 そのときに、「今度東京へ来る機会があったら、駅舎をじっくり観察してみたい」と思った。

 明後日の東京の姪っ子の結婚式と明日の親族による前夜祭に合わせて、1日余裕をもって、12:25発の飛行機で東京へ飛んだ。
 日本橋のホテルへチェックイン後、東京駅丸の内駅舎へ向かった。

 
 東京駅丸の内駅舎は 明治41年(1908年)3月に着工し、大正3年(1914年)12月に、首都東京の中央駅として開業している。
 その後約100年の間に度重なる復旧工事がされてきた。それにより、創建当初の建物から変わってしまっていた。
 平成19年(2007年)に創建当初の駅舎に復元するという大規模なプロフェクトが始り、平成24年(2012年)に国指定重要文化財にふさわしい創建当時の姿に復元されている。


 丸の内ビル5階テラスから


 丸の内ビル5階テラスからの南ドーム


 行幸通りから


 正面から中央部を


 駅名表示


 駅舎の壁のレンガ、花崗岩でできた窓周り・柱頭飾りなど


 北口ホール(南口も同じ造り)の入口から


 北ドームの上部を見上げる


 北ドームの八角形の天井


 丸の内ビル5階テラスからの夜景


 行幸通からの夜景


 新丸の内ビル7階からの夜景


 宿の近くで夕食に食べた「日光生麺焼きそば」(大盛1080円)~凄く美味しかった。

中村哲医師の銃撃死を悼む & 初雪掻き

2019年12月05日 | 日常生活・つぶやき
     

 恐れていたことが起こった・・・昨日、最近治安の悪くなったアフガニスタンだが、その国の復興支援事業に尽くしてきた功績大の「名誉国民」にも認定されていた中村医師が銃撃されて亡くなった。73歳である。

 中村医師を知ったのは、2008年6月に函館市芸術ホールで開催された講演会だった。
 演題は「医者、用水路を拓く」・・・・「なぜ医者が用水路を?」という率直な思いで参加したものだった。

 内容は、パキスタンとアフガニスタンの国境付近で、1984年からの貧困層や難民の診療に携わり、当初は、診療所や病院の建設に取り組んだが、水がないために、また干魃のために幼い命がどんどん奪われていく。
 井戸や用水路の確保が、結果的に診療で命を救うより多くの命を救い、生活基盤としての農業の振興にも繋がる・・・・「百の診療所より一本の用水路を!」ということで、2000年以降はアフガニスタンを襲った大干魃対策で水源の確保事業、03年からは灌漑水利計画に取り組んだ経過と苦労が中心のお話であった。
 戦乱と大干魃の中、先頭に立ち、現地の人たちを動かして、1500本の井戸を掘り、13kmの用水路(当時)を拓いた。自ら重機を運転する姿が印象的だった。
 診療所や病院の建設も含めて、それらを支えたのが日本からの寄付金によって賄われている「ペシャワール会」という団体である。

 わずか150cmほどの小さな体で、力味のない淡々とした静かな語り口・・・それだけに内に秘められた情熱とバイタリティの偉大さに感動したのを覚えている。

 中村さんと現地の関わりは「山と蝶」だったという。1978年、31歳の中村さんは、社会人山岳会のティリチ・ミール遠征隊に医師として参加していた。
 きっかけは偶然だった。当初予定していた医師が急に行けなくなり、その代わりとして声がかかったのだという。
 もともと山が好きで、カラコルム山脈に憧れがあった中村さんは、2つ返事で引き受けた。
 実はもうひとつ理由があり、それが蝶だった。一帯はモンシロチョウの起源の地と言われており、幼少期から『ファーブル昆虫記』を熟読していた中村さんにとって、いつか行きたい場所だったのだ。

 中村さんは、そんな憧れの地で銃撃され、命を落とした。ご冥福を心から祈る。

〇いきなりのドカ雪~今季初の雪かき



 昨日からの降雪で、今朝起きたら25cm以上も積もっていた。



 シーズン最中でもひと晩でこれだけのドカ雪はなかなかない。



 初雪掻きだが、家の前だけで40分も掛かり疲れてしまった。

 今季も運動だと思って引き受けている亀田本町会館の駐車場だが、10cmくらいなら、週明けの暖気で解けてしまうのて、放って置こうと思った。
 しかし、これだけ降るとそうもいかない。おまけに、木曜日は亀田公民館の受講者の車が多く利用する日である。


 
 これだけ降るとスノーダンプのお出ましである。結局1時間30分も掛かって汗だくになった。
 良い運動にはなるが、普段使わない筋肉なので、明日辺りどこか筋肉痛になるかもしれない?

 今夜は、顧問を仰せつかっている退職組織の理事会の忘年会である。

冷凍アロニアをいただく

2019年12月04日 | 食べ物

 先日の札幌でのHYML忘年会で、札幌のあっきさんから、冷凍した生のアロニアを1kgほどいただいた。
 アロニアといえば、北海道での栽培がメインで、伊達市大滝が有名である。
 彼の士別市の実家でも1000本ほどが栽培されているという。

 私の悩みでもある糖尿病の予防改善や手の冷えに効果があるという、うれしい心遣いに感謝。


 アロニアは、北アメリカが原産のバラ科の果樹で、チョークベリー(Chokeberry)とも呼ばれている。
 ブルーベリーに似た実をつけ、味もブルーベリーの様に渋みが強いのが特徴。
 しかし、花の構造が、ナナカマドに似ているので、ロシアでは「黒い実のナナカマド」ともよばれているとか。
 実の付き方もナナカマドと同じように房状である。

 主成分であるアントシアニンはブルーベリーより多く含まれているらしい。
 しかし、ブルーベリーのように生で食べるには渋味が強すぎるので、加工して食べられることが多い。
 果実酒やジャム、ジュースのほか、最近では錠剤のサプリメントも販売されている。 

 目に効くというアロニアのサプリは、「大滝国際スキーマラソン」の抽選で3年連続で当たっている。
 妻が服用していたが、特に効果は感じられなかったらしい。
 
 今回いろいろ調べてみたが、アントシアニンが目に効くという説には、研究データは十分ではなく、効果は個人差があるらしい。

 このアントシアニンはポリフェノールの一種で、抗酸化物質で、ブルーベリー、ビルベリー、アサイー、プルーンなど、赤紫色の果実に含まれていることが多い物質である。また加工食品としては赤ワインなどに含まれている。
 アントシアニンにはインスリン抵抗性を改善し、糖尿病予備群への予防、2型糖尿病に効果が見られるという実験結果が出ているという。

 そのまま生で食べたい場合は渋抜きをしたほうが食べやすくなるという。あっきさんから、冷凍→自然解凍を2~3回繰り返すと渋みが少なくなると聞いた。


 その方法で食べてみたが、生で食べるのは初めてである。
 確かに甘味もあるが渋味も残っている。ハチミツを掛けてみたら、渋味はそれほど気にならない。

 あっきさんは、10粒ずつ食べ続けたら、手の冷えが改善されたとのこと・・・。
 とりあえず、自分も朝に10粒ずつ食べて続けてみようと思う。妻はジャムも作りたいと話している。