癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

栗城史多講演会

2016年12月04日 | イベント鑑賞・参加

他サイトから借用


 本日、ホテル法華クラブで、登山家・栗城史多(くりきのぶかず)氏を迎えての「函館臨床専門学校創立20周年記念講演会」があったので、聴きにいって来た。演題は「弱者の勇気」だった。
 
 氏は、今金町出身で、これまでに6回、エベレストへの単独無酸素登頂と登山中のインターネット生中継に挑戦している。2012年の4回目の挑戦で、凍傷に掛り、両手の指9本を失っている。その後、復活して、2015年の5回目、2016年に6回目の挑戦をしたが敗退している。現在は、講演活動をしながら、来年の7度目の挑戦の準備をしているという。

 講演は、自分が撮った映像と交互の語りで構成されていて、自分がエベレストに向かうようになるまでの経過、指を失っても、さらに挑戦し続けることなどがおもな内容だった。

 夢は必ず叶う、夢を持ち続けることの大切さを熱く語っていた。それは、父親や自分を支えてくれる多くの周りの人のお陰であるという。

 印象的なこととして、夢を叶えるためには「否定という壁をなくすこと」が大切であり、自分のエベレスト挑戦は、この「否定という壁への挑戦」であるという。普段、講演で学校や企業に行くと、「失敗は悪。失敗が怖い。できない。だからやらない方がいい」という否定という壁をよく感じまるとのこと。

 また、中継登山は、挑戦における失敗と挫折も共有したいとのこと。失敗や挫折で落ち込むことはあっても決してダメなのではなく、成長や学んでいるチャンスなんだと。そして、もっと様々な人達のチャレンジを否定しないで応援し合える世界に向かうことが自分の最終ゴールでとのこと。 

 学生時代に、単独で北米最高峰のマッキンレーに向かったときに、周りの全員が否定的な見方で止めさせようとしたが、父親の「信じているよ」という言葉に後押しされた。これほど失敗し続けても、父は今でも自分を信じてくれていることが大きいとも・・・。 

倒木が凄かった「当別丸山」

2016年12月03日 | 登山・旅行
 朝から快晴で、気温も高い。この天気を逃すのはもったいない。冬山初めとして袴腰山へ向かった。積雪量からしても、第2登山口まで車で入れそうだった。ところが、新中野ダム上の林道分岐にある入林届ボックスのところで、ゲートが閉じられていた。「路肩決壊のため通行止め 開通時期未定」となっていた。多分、今秋の台風以来開いていないようだ。

 まだ、そこから歩く気にはならない。Uターンして、当別丸山へ向かった。秋に登った人が「倒木が物凄かった」と聞いていたので、その様子も見たかった。


登りは、登山道のある真ん中の尾根を登り、下りは右のヤブ尾根を下った

GPSトラックログと苦労した個所

8:20、トラピスト修道院の墓地の駐車場に車を置いてスタート。ここ2~3年は、ここまで車が入れるようになっている。


朝日に輝くルルド

ルルドまでのトドマツ林もたくさん折れたり倒れたりしていた。

◎登りは、展望台に寄って登山道を

旧林道跡から鋭角的に曲がった先の登山道を覆う倒木。登りではここが一番凄かった。


展望台から、函館山と眼下のトラピスト修道院を眺める
いつもは帰りに展望台に寄るのだが、帰りは谷の北側のヤブ尾根を下る予定だったので、先に寄った。


その上のブナも根こそぎの倒木が非常に目に付いたが、登山道を塞いでいるものはわずかだった。


1時間10分で、順調に、一等三角点と天測点のある頂上に到着。ここまでの倒木の様子は想定内だった。
積雪は、下からずっと15cmくらいだったので、履いてきたマリンブーツのままで登った。

◎下りは、倒木のせいで冒険もどきのヤブ尾根。
下りは、深い谷を挟んだ北東側のヤブ尾根を下った。この尾根は1度ずつ登り下りをしている。
雪のある方が歩きやすいだろうし、倒木の様子や核心部の岩場と旧林道が谷を越える個所の様子も見たかったからだ。
15分ほど休んで、9:45、下山開始。


頂上から下り始めて、いきなり尾根を塞ぐブナの倒木にビックリ。跨いだり、潜ったりで通過。
こちらの尾根は、かなりの頻度で倒木に覆われていた。
しかし、尾根にはピンクテープやロープまで設置されていた。
情報まったくなかったこの尾根を初めて登ってネット上にアップしたのは、5年前と下った2年前だ。
そのときにはなかったので、その間、物好きな人が付けたようだ。


深い谷を挟んで、源頭部の険しい岩尾根とその向こうの登山道尾根を望む


尾根のブナが、あちこちで根こそぎ倒れている


いよいよ心配していたナイフリッジの岩場(真ん中)の上に到着。
ここは両側が崖になっているが、いつもは、岩の右の根元を巻くことができた。
ところが、その細い尾根が倒木の根っこで塞がれて、岩場のところまで下りることすらできない。
岩の左の根元は急な沢型の崖になっているが、ヤブ斜面を少し下りて、対岸から登り返すしかない。
高巻きはずいぶんとしたことがあるが、低い方へ下って登り返す「低巻き」は初めてかも?


急なヤブ斜面を下り、岩場の下の崖状地形を挟んで、登り返す急斜面を眺める


少し下って、急な崖を横切ろうとしたが、5mほど滑り落ちてしまった。もっと雪が多ければ雪崩れるかも?
止まったところから対岸に恐る恐る渡り、急なヤブ斜面を登り返して尾根に戻った。


一番心配したところを通過して下って行ったら、テープが2本ぶら下がったところがあった。
細い林道跡が尾根に合流している。以前はもっと広いイメージがあった。
ここからその林道跡へ入らなければならないのだが、もっと下の方のような記憶もあった。
そのまま下ってみたが、やはり林道跡はなかった。戻って、そちらへ進んだ。2年前も下りで同じミスをしている。


次に気になっていたのは、林道跡が深い谷を横切るところだった。
前回も崩れていたので、今回は手前から沢に下りて、対岸の急斜面を登り返すことにした。
下から眺めたら、林道跡が横切る手前から、上から落ちてきた倒木で埋まっていた。

 この後も、倒木が道を塞いでいたが、なんとか登山道へ合流できた。
 登山道へ合流したら、3~4人の登りの足跡があった。こちらのトレースを頼って同じヤブ尾根を下らないことを願いながら、11:20ゴール。下りは1時間35分だった。

 登山道を往復すれば楽だったのだが、物足りないし、ちょっと冒険もしたかったので十分満足の久しぶりの登山だった。
 ただ、このヤブ尾根は、雪があったから崖や急斜面を登り下りできたが、夏は厳しいかもしれない? また、もっと雪が多くなったら、岩場の下の崖は雪崩れる可能性もある。
 
 詳しい山行記録は、下記でどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com (アップ完了) 

◎夜は、函館スキー指導員会の役員懇親会


会場の行啓通りにある「北海道海鮮酒場わたみんち」



役員の改選期で、新旧顔合わせがおもな狙いだった。こちらも会長を退いて2年ぶりに会う顔ぶれもあり、懐かしかった。
これで、8日間で4回続いた飲み会が終了。

著者より贈本『ロシア極東 秘境を歩く』関連

2016年12月02日 | 読書・映画

 本日、北海道新聞社函館支社報道部長・相原秀起氏より、このたび北海道大学出版会から発刊された本人著書の『ロシア極東 秘境を歩く』が送られてきた。

 氏は、北大探検部出身で、記者時代、95年からサハリン・ユジノリンスク支局駐在経験もあり、2013年からの道新連載「極東」を担当していた。この著書は、その取材を基にしたものである。

 まだ読んではいないが、帯には、「探検部出身の記者が道なき道を行く」とあり、目次は、第1章「はるかなる北千島」、第2章「知られざるサハリン」、第3章シベリアの荒野へ」からなっている。これらの地域は、一般的には旅することがで難しい場所なので、貴重な内容である。

 定価は2800円+税で、道内主要書店や、ネットで購入できるTSUTAYA、amozon、楽天市場などでも扱っている。

 相原氏との出会いは、2014年、現在も続いている拙筆による北海道新聞(札幌圏)連載の「ほっかいどう山楽紀行」の2代目の担当編集委員になられたときである。その後、今年の7月に函館支社報道部長として栄転して来られた。この11月から始まった、やはり拙筆による北海道新聞夕刊(道南版・みなみ風)への「どうなん・とうほく山楽紀行」の仕掛け人でもある。 


 これも、昨年、やはり氏からいただいた、「極東DVDシリーズ3部作」の中の第3巻『大シベリアを行く 光太夫とマンモスを追って』のDVDである。 
 やはり、これも、道新連載「極東」の取材班が撮影した映像をもとに、氏が中心となって編集したものである。
 こちらは、地球温暖化でシベリアの凍土が溶けて次々と現れるマンモスの骨や、鎖国時代に漂流してロシアに渡った大黒屋光太夫の足取りを辿った内容である。

 なお、これら3部作のプロローグ映像(10分もの)は、下記で観ることができる。
  https://www.youtube.com/watch?v=-O9_UUmryHc
 こちらは、北海道新聞社で発売している。1巻3500円+税。

 たまたま一昨日、改めてこのDVDを見直したばかりだった。しかも、大黒屋光太夫の波乱に満ちた生涯をもっと知りたくなり、昨日、中央図書館へ出掛けて、吉村昭著『大黒屋光太夫』を借りてきた。
 そのタイミングでの今日の贈本なので、まさに、びっくりぽん!状態だった。 
 

吉村昭著『大黒屋光太夫』

 ちなみに、大黒屋光太夫は、、江戸時代後期の伊勢国白子(現三重県鈴鹿市)の港を拠点とした回船の船頭だったが、天明2年(1782年)、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世に謁見して帰国を願い出、漂流から約9年半後の寛政4年(1792年)に根室港入りして帰国している。
 なお、映画化されている井上靖著『おろしゃ国酔夢譚』も、この大黒屋光太夫が主人公である。

佐々木譲と薬丸岳の作品 & 忘年会

2016年12月01日 | 読書・映画

 自分が読書するときは、家にいることが多いこの時期、山旅のときの停滞日、旅をするときの乗り物の中が多い。どちらかというと、必要に迫られて読む本以外は、時間つぶしに読むことが多い。

 それも、面白い作品を見つけると、その作者の作品ばかり読み続ける癖がある。昔から吉村昭の作品に凝っていたが、ここ3年間は佐々木譲のものが多いし、今年になってからは、薬丸岳のものが多い。

 佐々木譲は、2010年『廃墟に乞う』での第142回直木賞を初め、多くの文学賞を受賞している作家である。1950年夕張市生まれで、現在も中標津町在住なので、北海道を舞台にした作品がほとんどで、歴史物や警察物や社会派的な作品が多い。
 箱館戦争がらみの作品も多い。『武揚伝』では新田次郎賞を受賞しているし、中島三郎助の一生を描いた『くろふね』なども面白かった。個人的には、箱館戦争の脱走兵を主人公にした奇想天外な発想の五稜郭三部作も面白かった。

 一方、薬丸岳は、2005年『天使のナイフ』で第51回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。今年の春に読んだこの作品が抜群の面白さだったので、それ以来、この作家の作品を読み漁っている。2014年『友罪』と2016年『Aでない君と』で、吉川英治文学新人賞も2回受賞している。作品は、ミステリーものや刑事ものがほとんどだが、1969年生まれなので、若い感性での筋立てが非常に面白い。

 昨日と今日は、上掲写真の佐々木譲の2冊を読んだ。

◎今晩は退職組織の理事忘年会
今年で函館支部長を辞任することができて、顧問になった退職組織の忘年会。顧問にも声が掛る。
昨夜も飲んだので、今日はさすがあまり飲みたくなかった。その分、食べ過ぎた感が強い


貸切会場のナイトパブ「酔族館」


支部長挨拶


子ども帰ってじゃんけん大会


全員が音楽専門家のみごとな四部合唱のカラオケ