20:30時点での集合写真
これまで自分の山で、最も多く同行して、一番お世話になった岳友SHOさんが、昨年末で退職し、ニュージランドで新たな人生をスタートすることになった。今日はその送別会を、HYML(北海道の山メーリングリスト)メンバーと彼と親しかった方々も交えて、居酒屋二鳥目本店で開催した。
一次会への参加者が13名、どうしても彼に会いたいと、9時前後に駆け付けた方が3名で、計16
名だった。
彼との最初の出会いは、2002年3月である。狗神岳への林道偵察に出掛けたときに、下山してきた彼と出会った。すでに拙サイトを通して私のことは知っておられた。その後、彼がHYMLに加入してきて親しくなった。一番最初の同行は、彼に誘われて登った
2005年1月の「ルコツ岳」だった。彼は「函館山の会」の会員でもあるが、個人山行では、HYMLメンバーのTaoさんとの3人パーティや2人だけのときが多かった。
彼の登山歴は新潟大学山岳部から始まる。若いころはヒマラヤへ何度も遠征しているし、キリマンジェロやケニヤ山(単独)にも登っている。函館へ戻ってくる2000年までは、主に新潟県の山を舞台にして活躍していて、彼のブログ
「北海道と越後の山」でその記録が見られる。それだけに、50歳近くになって山を始め、一人歩きが多かった自分には、非常に心強い同行者だった。09年3月には、知床の山にも2人で遠征して、遠音別岳など4山に登っている。
知床・遠音別岳の山頂にて(09,3,16) 松倉川・羽衣の滝をバックに(13.6,9)
特筆すべきことは、山だけでなく、
自分にとっては「命の恩人」でもあることだ。2008年の1回目の大腸癌の早期発見は、彼のお陰である。2007年の年末に2人で、八雲町見市温泉の南にある毛無山に登った。そのときに、そのころたまたま血圧が高かったので、内科医である彼にそのことを話したら、「年齢的なこともあるし、動脈硬化の検査をしてみましょう」ということになり、翌年の年明けからその検査が始まった。その過程で、貧血が見つかった。
彼に言わせると「男性の貧血は内臓からの出血が原因のことが多い」とのことで、胃カメラと大腸便潜血検査を受けた。その大腸便潜血検査でプラス反応が出たので、すぐに五稜郭病院での大腸内視鏡検査を手配してくれた。その結果、ステージ3でも不思議でないギリギリの状態でステージ2の大腸癌が見つかって命拾いをした・・・。もし、彼との毛無山への同行と彼の動脈硬化検査の判断がなければ、今頃、自分はこの世にいなかったかもしれない。
最も最近の同行山行の砂原岳でリードしてくれるSHOさん(15,12,1)
今日の送別会は新年会も兼ねたので、参加者には、長谷川さんの思い出や今年の抱負などを語ってもらった。
あっという間に2時間が過ぎ、一度乾杯をしたが、遅く駆け付けた3名を加えて、さらに1時間延長となった。
遅く駆け付けるメンバーは、当初2名だった。ところが、会の最中に電話が入った。札幌のHYMLメンバーで
「北海道の山岳ニュース」のHPと
「山歩人・吉克の山楽日記」というブログも開設している吉克さんだった。仕事ついでに実家のある函館に来ているという。終わる寸前に駆け付けてくれて、さらに盛り上がった。
21:30、遅く駆け付けたメンバーも加えての集合写真
21:45に解散して、その後、吉克さんと帰る方向が同じChiさんと3人で、別の居酒屋で1時間ちょっと二次会へ・・・久しぶりにぎりぎり午前様になった。