癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

ウォーキングで拾った風景

2016年01月15日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

冬の風物詩、桜の剪定作業が始まっていた

 午後から晴れたので、カメラをポケットにしのばせ、
 五稜郭公園と亀田川沿いの遊歩道を10kmほどウォーキングしてきた。


お揃いのベレー帽


長いつらら


凍った堀の雪面に映る影


親子でのそり滑り


亀田川左岸遊歩道のきれいな踏み跡


河畔への除排雪でできた尖峰


亀田川右岸遊歩道の乱れた踏み跡

『慟哭の谷』(木村盛武著)

2016年01月14日 | 読書・映画

 これは、吉村昭の『羆嵐』で有名になった、大正4年(1915年)、当時の苫前村三毛別で起きたヒグマによる死亡7名、重傷3名という史上最悪の獣害事件について、生存者の貴重な証言をもとにした元林務官によるノンフィクションと、それ以外のヒグマ襲撃事件が主な内容である。

 第一部が「慟哭の苫前三毛別事件」で、第二部が「ヒグマとの遭遇」で構成されている。第一部の方は、吉村昭の『羆嵐』を2回も読んでいるし、現場にも2回訪れていて、一昨年にはその前を通り、三毛別山にも藪こぎで登っている。その付近の地形等が頭に入っているので、より臨場感を感じながら読むことができた。
 なお、ウィキペディアの「三毛別羆事件」は、木村氏のこの著書がもとに構成されている。
 
 自分は、山でいつもヒグマの痕跡を目にし、6回の遭遇(クワウンナイ川、緑岳、三頭岳、知床硫黄岳、知床海岸トレッキング、南アルプス経ヶ岳)を経験している。それだけに衝撃的で、参考になったのは、第二部の方だった。

 構成は、第1章「北千島の人食いヒグマ事件と私」、第2章「ヒグマとの対峙」、第3章「ヒグマが人を襲うとき」からなっている。第1章と第2章は、林務官だった著者の実際の経験談だけに、真に迫る恐怖心がある。

 第3章は、「星野道夫氏の死」「林務官の殉職」「札幌簾舞大松寺羆事件」「カムエク福岡大学ワンゲル部員襲撃事件」が取り上げられ、その事件の顛末と検証が書かれている。これを読み進めたら、山に入るのは怖くなるし、ましてや単独行の多い自分だけに、ちょっとビビってしまった。

 自分の遭遇場面は、知床硫黄岳以外は、すべて向こうから逃げて行ってくれたことが幸いだった。また、知床硫黄岳は3名と一緒だったし、人慣れしている感じで、声を掛けても全然動かず、こちらを見ていて襲う気配もないので12mくらい離れたところを静かに通過している。

 たまたま運が良かっただけなのかもしれないが、対峙するとか、威嚇されるなどの恐怖心を感じるような場面には、まだ遭遇していない。そんなこともあり、あまり気にしないで山に入ってきた。しかし、これからは一層慎重に山に入ろうと思う。ただ、記載されているクマによる人身事故数は、年に2~3回と意外に少ないことも分かったので、少し安心した。

ライフスポーツ第1回スキー講習会

2016年01月13日 | スキー・クロカン

第1回記念撮影。自分は左端(Ko氏提供)

 七飯スノーパークを会場とする、函館ライフスポーツのスキー講習会がいよいよ今日から始まった。1月と2月を中心に10回ほどの予定である。

 今回は講師陣が多く、1班あたりの人数が3~4名だった。午前中は降雪が激しかったが、午後からは晴れて気持ちの良い講習ができた。

 我が班は、元準指導員や昨シーズン末に函館スキー連盟始まって以来の76歳での最高齢1級合格者となった方など、3名とも上級者ばかりだった。改めて技術を向上させるというよりは、基礎的な技術の確認から基礎的なパラレルターンへの指導の組み立て等を理解してもらいながらの講習となった。お陰で、自分も一緒に滑りを楽しませてもらった。 


開会式の様子


我が班の3名とともに


我が班の3名の滑り


午後から姿を現した駒ヶ岳

下記の「函館ライフスポーツ」のHPで、ほかの班の様子も見られます。
http://hakodatelifesports.web.fc2.com/0d0_cn.html

XCスキー初滑走in香雪園

2016年01月12日 | スキー・クロカン

1時間半ほど滑り続けたら結構なコースになった

 例年は、年末に伊達市の大滝XCスキーコースへ出掛けて、足慣らしを兼ねて初滑走と練習をすることが多かった。しかし、今シーズンは、ストラクチャー加工をしたために、そのできあがりが遅くなり、今日まで足慣らしもできなかった。

 そこで、いつも自分で雪を踏んでコースを造って練習する香雪園へ行ってみた。着いたら、午前中に誰かが雪を踏んで、何本かスケーティング滑走をしたようだった。コースとしては不十分だったが、雪踏みが省けて、そのまま滑り続けたら、足慣らしには結構良いコースになった。

 初めのうちは、雪が深くてストロークが伸びなかったが、13:30から15:00まで、滑走の感覚と体の動きやフォームを確認しながら、のんびりと滑り続けた。後半は、足下の雪がしまってきて、大きな滑りができるようになった。


登り切った高いところからコースを見下ろす


深い雪の中を歩くスキーで楽しむ人


 このままで、いきなり今週末の「HBCラジオハウス歩くスキー大会」の15kmレースは、ちょっと不安である。そこで、前日に札幌へ早く入り、滝野すずらん公園の常設コースで、翌日に疲れを残さない程度の足慣らしをしようと思っている。

かき小屋知内番屋

2016年01月11日 | 食べ物

店の外観。玄関を入るとすぐに、知内名産品やお土産販売コーナーもある

 3月の北海道新幹線開業を機に、観光客を呼び込もうと、知内町は昨日(1/10)、地元名産のカキを味わえる飲食施設「かき小屋知内番屋」を役場の裏手に開店した。その様子が、新聞やTVで報道されていたので、ドライブがてら出掛けてみた。


店内の様子。杉材で作られたテーブルと椅子が合わせて12卓ほど。この左奥にもテーブルがある。


焼きがき(5個で800円)


かきフライ定食(800円)・・・揚げ立てが食べたかっった。
このほかに、焼きホタテ、ホタテフライ定食、かき飯など、いろいろなメニューがあった。
なお、生食は当たることもあるので、出していないそうだ。


 帰りに、木古内駅前の木古内道の駅に寄ったが、1/13がオープン予定日だった。

SAJスキー指導者研修会(2日目)

2016年01月10日 | スキー・クロカン

 昨日に引き続き、スキー指導者研修会2日目に参加。時折、晴れ間は覗くが、風が強く、降雪もの中の研修だった。
 
 今日は、昨日の内容から、基礎パラレルターンへの展開と、トレーニングとして、外スキーの上に腰を早めに乗せて、高い姿勢で滑る練習もした。疲れないし、スキーのたわみを体感しながら滑ることができた。


逆光の中で滑るボーダーとスキーヤー


昨年まで中段の急斜面にあった林がなくなり、広くなって非常に滑りやすくなった。
今まで一番滑りづらいところだったのが解消された。

上の斜面を下から写す。雪の付きも良く、ねじれがないので快適な斜面になった。


閉会式を締めくくる、参加者最年長のFuさんの音頭による恒例のシーハイル

SAJスキー指導者研修会(1日目)

2016年01月09日 | スキー・クロカン

講師陣によるパラレルターン小回りのデモンストレーション

 昨年の11/3の理論研修に引き続き、今日と明日、七飯スノーパークで開催される全日本スキー連盟スキー指導者研修会・道南会場の実技研修会へ参加した。

 280名ほどが16班に分かれての研修である。自分は2年ぶりの参加だった。一昨年までは12年間、毎年開閉会式での指導員会長の挨拶を依頼されたが、今回からは気軽に参加できるようになった。昔からの仲間に会える楽しいときでもある。30代のころは自分も講師を務めたことがある。

 今日の午前中は、今年の研修テーマ「基礎パラレルターンへの指導の展開」の指導種目の講師陣によるデモンストレーションと解説がメインだった。午後からは、班ごとに、プルークスタンスから基礎パラレルへ、横滑りから基礎パラレルへの指導の展開の実技がメインだった。


開会式


ゴンドラ山頂駅付近の樹氷


ゴンドラ山頂駅でそれぞれの班ごとに集合


最も基礎となる制動プルークのデモンストレーション


自分の「花の1班」・・・ほとんどが70代の元気印ばかり


「花の1班」の滑走プルークの滑り

山と命の恩人・SHOさんの送別会

2016年01月08日 | オフミ・飲み会

20:30時点での集合写真

 これまで自分の山で、最も多く同行して、一番お世話になった岳友SHOさんが、昨年末で退職し、ニュージランドで新たな人生をスタートすることになった。今日はその送別会を、HYML(北海道の山メーリングリスト)メンバーと彼と親しかった方々も交えて、居酒屋二鳥目本店で開催した。
 一次会への参加者が13名、どうしても彼に会いたいと、9時前後に駆け付けた方が3名で、計16
名だった。

 彼との最初の出会いは、2002年3月である。狗神岳への林道偵察に出掛けたときに、下山してきた彼と出会った。すでに拙サイトを通して私のことは知っておられた。その後、彼がHYMLに加入してきて親しくなった。一番最初の同行は、彼に誘われて登った2005年1月の「ルコツ岳」だった。彼は「函館山の会」の会員でもあるが、個人山行では、HYMLメンバーのTaoさんとの3人パーティや2人だけのときが多かった。

 彼の登山歴は新潟大学山岳部から始まる。若いころはヒマラヤへ何度も遠征しているし、キリマンジェロやケニヤ山(単独)にも登っている。函館へ戻ってくる2000年までは、主に新潟県の山を舞台にして活躍していて、彼のブログ「北海道と越後の山」でその記録が見られる。それだけに、50歳近くになって山を始め、一人歩きが多かった自分には、非常に心強い同行者だった。09年3月には、知床の山にも2人で遠征して、遠音別岳など4山に登っている。


知床・遠音別岳の山頂にて(09,3,16)  松倉川・羽衣の滝をバックに(13.6,9)

 特筆すべきことは、山だけでなく、自分にとっては「命の恩人」でもあることだ。2008年の1回目の大腸癌の早期発見は、彼のお陰である。2007年の年末に2人で、八雲町見市温泉の南にある毛無山に登った。そのときに、そのころたまたま血圧が高かったので、内科医である彼にそのことを話したら、「年齢的なこともあるし、動脈硬化の検査をしてみましょう」ということになり、翌年の年明けからその検査が始まった。その過程で、貧血が見つかった。

 彼に言わせると「男性の貧血は内臓からの出血が原因のことが多い」とのことで、胃カメラと大腸便潜血検査を受けた。その大腸便潜血検査でプラス反応が出たので、すぐに五稜郭病院での大腸内視鏡検査を手配してくれた。その結果、ステージ3でも不思議でないギリギリの状態でステージ2の大腸癌が見つかって命拾いをした・・・。もし、彼との毛無山への同行と彼の動脈硬化検査の判断がなければ、今頃、自分はこの世にいなかったかもしれない。


最も最近の同行山行の砂原岳でリードしてくれるSHOさん(15,12,1)


 今日の送別会は新年会も兼ねたので、参加者には、長谷川さんの思い出や今年の抱負などを語ってもらった。
 あっという間に2時間が過ぎ、一度乾杯をしたが、遅く駆け付けた3名を加えて、さらに1時間延長となった。

 遅く駆け付けるメンバーは、当初2名だった。ところが、会の最中に電話が入った。札幌のHYMLメンバーで「北海道の山岳ニュース」のHPと「山歩人・吉克の山楽日記」というブログも開設している吉克さんだった。仕事ついでに実家のある函館に来ているという。終わる寸前に駆け付けてくれて、さらに盛り上がった。

21:30、遅く駆け付けたメンバーも加えての集合写真


 21:45に解散して、その後、吉克さんと帰る方向が同じChiさんと3人で、別の居酒屋で1時間ちょっと二次会へ・・・久しぶりにぎりぎり午前様になった。

ようやく冬らしく・・・

2016年01月07日 | 日常生活・つぶやき

 一昨夜から今朝にかけて2日間、まとまった雪が降り、ようやく冬らしい景観になった。
 午前中、そんな中をウォーキングに出掛けた。


雪をかぶった街路樹のナナカマドの実


雪に大喜びの中国系の観光客で賑わう五稜郭公園内。
年末には「雪がない」とがっかりしていたそうだ。


公園内のシダレザクラ


公園内のアカマツと雪吊りの木々


六花亭の窓に映る雪を被ったサクラの木々


堀周りの遊歩道は、クロカンスキーで走りたくなるほど、幅広にきれいに除雪されていた。


亀田八幡宮のどんと焼き。
我が家は、最近、仏壇以外は正月飾りもしないのですっかり忘れていた。

ライフスポーツコーチ研

2016年01月06日 | スキー・クロカン

 七飯スノーパークで、1/13から講習会が始まる函館ライフスポーツのコーチ研修会が開催された。講師は、顧問の元SAJ理事のKi氏。13名が参加した。

 例年に比べてかなり雪は少ないが、ゲレンデ状態は、昨日の降雪に助けらて、予想していたよりずっと良い状態だった。時折吹雪いたり、晴れ間が覗いたりと目まぐるしい天候だった。

 今回は、「シニア世代にふさわしく、筋力を使わないで、楽で疲れない滑りをするための運動」がメインだった。今のスキーは筋力を使って操作する必要がないほど、性能がアップしている。要は、その性能を引き出す運動が重要である。そのためには、歩行動作を基本とした外足と内足の使い方、体幹を軸とした重心の移動、腰の先行や上体の動き、山スキーを意識したアイスバーンでの滑り方などを中心に研修を積んだ。 


まずは、休憩室で座学からスタート


今日の参加者の集合写真


トレーンでの滑り


最後尾は自分(Ko氏提供)


午後からは、降雪が激しくなり、1時間早く終了した

奥さんの急死の弔問で想うこと

2016年01月05日 | 日常生活・つぶやき

 年末に、自分が函館支部長を仰せつかっている退職組織の役員の奥さんが脳幹出血で倒れたという情報が入っていた。すでに脳死状態で延命治療しか方法はないとのことだった。

 その後、ずっと気になってはいたが、新聞の訃報記事にも出ないし、延命治療が続いているとばかり思っていた。しかし、昨日になって、2日後に亡くなっていて、すでに親族だけで葬儀も終了していたことが分かった。

 そこで、今日、彼と仲の良かった役員と、理事長、副理事長と4名で弔問に行ってきた。

 まったく前兆らしきものもなく、市内に住む娘さんと同居している息子さんと一緒に買い物に行ったときに、車の中で具合が悪くなり、そのまま病院へ運んだとのこと。レントゲン検査の結果、脳幹出血とのことで、彼が駆け付けたときには、心肺停止状態だったらしい。ご夫婦とも何かあったときには、延命治療はしないと話し合っていたそうだ。しかし、もう一人の娘さんが駆け付けるまでと治療をしたら、意識はないが自発呼吸ができて2日間持ったとのことだった。

 自分も15年前に妻を癌で亡くしている。自分の場合は、覚悟はできていたが、彼の場合は、全くの突然の別れなわけで、まだ亡くなったという実感はないだろう。これから、時間が経つにつれて寂しさが増してくると思われる。

 自分の場合は、まだ現職だったので、仕事をしている時や周りに人がいるときは気が紛れたが、一人になったときが辛かった。一番辛かったときは一人で運転しているときと、管理職ゆえに夕方に職場を一人で見回りするときだった・・・良く涙を流しながら運転したり、見回りをしたものだ・・・・ずっと忘れていたが、ふとそんなことを思い出して思わず話してしまった。

 彼は、趣味も多く、いろいろボランティア活動や多くの役職で活躍している方なので、落ち込むことなく前向きに生きて行けると信じている。

 最近、「終活」という言葉をやたらと目にする。今日の5名での話も、それが中心だった。自分もそうだったが、彼も家のことはすべて奥さん任せで、どこに、何があるか全く分からず、大変だったとのこと。

 夫婦はお互いに、子供たちも含めて、お互いが亡くなったときの対応をじっくり話し合っておくべきだということになった。

 そんなわけではないが、たまたま年末に下記の本をネットで買ったは良いが、まだ、全く目を通していない。そのうちにじっくり目を通して、自分が亡くなったときのことを整理して、妻や子供たちと話すなり、書き残すなりして置かなくては思う。


今度は「アイヌ語→日本語辞典」を戴く

2016年01月05日 | 登山・旅行

本日、著者から贈られてきた<アイヌ語→日本語辞典>『イランカラプテ』


2015年2月9日のこのブログにも記載してあるが、2014年に自費出版したアイヌ語辞典『イランカラプテ』を著者である寺口氏から贈られれている。それは、<日本語→アイヌ語辞典>だった。

 しかし、その後、また1年掛けて、今回の<アイヌ語→日本語辞典>を作製したとのこと。今回もA4版、512ページにわたり、アイヌ語3万500後語が収録されている。厚さが2cmもある。良く調べ、集めたものだ。それを、すべて自分一人で調べて整理し、パソコンで打ち込んで、印刷屋に持ち込んでいる。その情熱とエネルギーには頭が下がる。

 だからと言って、寺口氏は、アイヌ語研究家ではない。登別在住で、北海道山岳連盟理事を長い間務め、現在は、北海道山岳ガイドやなど、山岳関係の資格や役職を9つも務める超多忙な方である。

 このアイヌ語辞典を作りたいと思ったきっかけが凄い。2007年にやはり自費出版した『北海道の山辞典』を作製した時に、欲しいアイヌ語辞典が世の中になかったので、自ら作ってしまったという。

 それを面識もない私に直接贈ってくださることは、大変光栄なことであり、大変申し訳ないと、心から感激し、感謝している。

 今回の辞典のことを検索してみたら、下記に詳しく紹介されていた。
室蘭民報 WEBNEWS 2015年12月18日「アイヌ語3万500語収録、登別・寺口さんが辞典出版」


1ページに左から、「アイヌ語」「ローマ字表記」「言語・地名に対する解釈」「地名・山名・動植物等」が収められている。

 
左は、2014年自費出版<日本語→アイヌ語辞典>(贈本)。右は2007年出版の「北海道の山辞典」(購入)

登り初めは家から往復の函館山

2016年01月04日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

旧登山道コースのツツジ山駐車場手前から山頂部を望む

 妻の仕事の正月休みが今日までなので、雪の状態が良ければ、走り初めと登り初めを兼ねて、家から函館山をジョギングで往復するつもりだった。しかし、2日に雨が降ったきりで、その後雪が降っていない。ツルツル路面でとても走れる状態ではない。

 そこで、妻はツルツル路面用に購入した47本スパイクピン底の防寒靴、自分はスパイク長靴で、ウォーキングモードで家から函館山へ向かった。ピンが減るので、なるべく雪の残っている裏通りを選んで歩いた。山は、旧登山道コースを登り、車道を下った。

 家を出たのが10:20で、帰宅したのは15:20。途中での「元祖小いけ」での昼食と山頂展望ハウスでの休憩(合計30分)を含めて、ちょうど5時間だった。歩いた距離は約19km、歩数計は28,500歩だった。


プロノで購入した妻の47本スパイクピン底の防寒靴・・・どんなツルツル路面でもスタスタ歩ける


昼食に寄った十字街の有名老舗「元祖印度カレー小いけ」


辛いけどとても美味しいカレーライス・・・妻は初めてで、自分は数10年ぶり


護国神社の坂の下の「函館山」の石碑と山頂を望む


旧登山道コースの下の方の登山道や階段には、いつもだが滑り止めの砂が撒かれている


杉木立の登山道を行く。足元はしっかりと踏みしめられている。


山頂展望ハウスから函館港を見下ろす。
今年は特に雪が少なく、近郊の山もまだ本格的な雪山登山は楽しめそうもない。
山頂で会った岳友のAさんも、「スノーシューで登れる山がないので、ここに来た」と話されていた。


下山は、ツルツルの車道を下った。


そりで滑った跡や、マウンテンバイクの幅広のタイヤ痕も残っていた。


車道をショートカットして、一部観音コースを下る


今日歩いたトラックログ

XCスキー・ストラクチャー入れ直し後のワクシング

2016年01月03日 | スキー・クロカン
◎朝からの「箱根駅伝」TV観戦

 「箱根駅伝」の復路は、往路に引き続き、青学大の2位を7分以上も離す快走で、2年連続の総合優勝を果たした。1区から一度も首位を譲らず完全優勝したのは、1977年53回大会の日体大以来、39年ぶりだそうだ。

 昨年は5区で“山の神”こと神野大地が驚異の走りで優勝をつかんだが、今大会ではおのおのが下馬評どおりの実力を発揮し、全員でつかみとった栄冠となった。しかも、10区間のうち6区で区間賞という圧勝だった。

 いつも、復路はあまり面白くないので、観ることは少ない。今日も1~3位はずっと同じで、上位チームのデットヒートもなかった。ただ、往路13位と出遅れ、箱根・芦ノ湖で一斉スタートだった日体大が、6区の区間新の快走で流れに乗って4位に入り、総合でも7位に入った。逆に往路6位の日大は、復路15位と振るわず、総合で11位に沈んだ。

 そのほか、9区では襷が繋がらない繰り上げスタートが5チームも出たのは気の毒だった。わずか5秒差で襷を渡せなかったチームもあった。

 TVを観終わった後は、ジョギングかウォーキングに出るつもりだったが、道路がグサグサ・ツルツル状態でとてもその気にはならなかった。そこで、XCスキーのワクシングをした。
 
◎XCスキーストラクチャー入れ直し後のワクシング開始

ワックスを剥がす作業

 自分はXCスキーの板を2台を持っている。それは雪温や雪質に合わせたワックスの違いに備えてである。しかし、どちらも10年以上も使用しているので、本当は新調したいところだが、最近のXCスキーは材質や造りも良くなっているせいか、5万円~10万円と非常に高くなっている。

 せいぜい頑張ってもあと10年は無理だろう。しかも、最近は記録や順位よりも滑走を楽しむことを目標にしているので、今さら高い金を出してまで新調することはない。そこで、滑走面も傷んでいるし、ストラクチャーも減って崩れているので、チューンナップも兼ねてストラクチャー加工をしてもらった。それでも、2台で13,000円だった。

 ストラクチャーとは、サンディング(手加工)やストーンマシン(機械加工)で滑走面につける細かな筋状の溝のこと。ストラクチャーの役目は、滑走面の水分量を調節し、スキーの滑走性を高めることにある。

 この加工は札幌のXCスキー専門店ニッセンスポーツでしか受け付けていない。それも外注だそうだ。注文に出したのが11月10日と遅かったので、できあがって送られてきたのが昨日だった。店の助言で、1台は、-2℃~-10℃のオールランド用の「L6」、もう1台は、0℃~-3℃の湿雪用オールラウンド「RO.6浅」を入れてもらった。傷ついたり、へこんだりしていた滑走面は、完全にきれいになっていたし、丸まっていたエッジも角ばっていた。

 しかし、この後のベースワクシングは自分でやらなくてはならない。まずは、1番柔らかいワックス(ピンク)を、アイロンで溶かしながら塗っては1時間ほど冷し、スクレーパーで削って剥がし、3種類のブラシ(ボア→ナイロン→馬毛)で完全に剥がすという作業を最低でも3回繰り返す。さらに、2番目に柔らかいワックス(バイオレット)と、3番目に柔らかいワックス(ブルー)ごとに、同じ工程を繰り返さなくてはならない。これは、毎年シーズン前には繰り返しているが、なかなか大変な作業である。

 何と言ってもXCスキーは、ゲレンデスキーと違って、自分の体で滑走させるので、滑らなくては身体に負荷が掛って大変である。そのためにも、ベースワクシングと、レース当日の雪温や雪質に合わせたレース用のフッ素入りのワクシングが大切なのである。

 今日は、夜まで掛けて、1番柔らかいワックス(ピンク)のワクシングを3回繰り返し、明日は、バイオレットとブルーをやる予定だ。 

雨で「箱根駅伝」と「相棒・元日スペシャル」ほか

2016年01月02日 | 日常生活・つぶやき

 例年、今日は「箱根駅伝」の往路のレースを観ることが多いが、外は雨だったので、スタートからゴールまで、じっくり観てしまった。

 連覇を狙う青学大は、1区からトップに立ち、3区、4区も合わせて区間賞、2区も区間3位、5区も区間2位と、一度もトップを譲ることなく断トツの独走だった。これは、11年ぶりの快挙だそうだ。
 また、途中棄権やたすきが繋がらないといったハプニングもなく、ドラマチックな場面が少ないレースだった。

 中で印象的だったのは、3強と言われた駒大が1区で13位と出遅れて心配したが、徐々に順位を上げて、きちんと東洋大に続き、3位に入ったのにはさすがだった。また、5区の山登りでは、日大のキトニが14位から8人抜きで6位まで押し上げて区間賞を取ったのが、一番の印象かもしれない。


昨年2度の疲労骨折で万全でないながらも、2年連続トップでゴールした青学大の神野選手。
区間2位だったが「山の神」は健在だった。

 明日も、特に予定もないので、復路もじっくり楽しもうと思う。


 「箱根駅伝」の後は、録画しておいた「相棒・元日スペシャル」(2時間半の長編)を楽しんだ。例年、年末や元日に放映されるスペシャル版は見ごたえがあるが、今回も面白かった。