癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

揃ったXCスキー開催要項

2015年12月17日 | スキー・クロカン

 例年通り、エントリー予定6大会のクロスカントリースキー開催要項が全部揃った。
 上の5大会は、2月7日を皮切りに3月6日までの日曜日ごと5週連続である。
 左から、2/7「札幌国際スキーマラソン(50km)」、2/14「おおたき国際スキーマラソン(15km)」、2/21「恵庭クロスカントリースキー(30km)」、2/28「湧別原野オホーツククロカンスキー(85km)」、3/7「十勝大平原クロカンスキー(42km)」である。

 ( )内の距離は、自分がエントリーする種目の距離だが、すべて、その大会の最長距離種目である。辛くとも、順位がいくら落ちても、完走できているうちは距離を短くするつもりはない。

 なお、これらの大会の要項は、毎年郵送され、PCからrunnetで申し込みができる。12/18から受付が始まる「十勝」以外はすべて、エントリーを終えてある。

 下の1/17「HBCハウス歩くスキー大会(15km)」は、白旗山競技場開催の本格的なコースの大会なのだが、参加料無料な上に、ハウス食品とコープさっぽろの食品詰め合わせのお土産がもらえる素晴らしい大会である。足慣らしには最高の大会で、これには、妻もお土産目的で、毎年、歩くスキーで5kmに参加している。これは、ネット上に要項がアップされ、申し込み用紙も印刷できるようになっている。

 基本的には、どの大会も、一人で運転して車中泊で臨んでいる。体力さえ続けば、80歳くらいまでは参加し続けたいと思っているが、そのうちに、レースより車の運転の方がが大変になるかもしれない・・・。

北海道新幹線開業100日前トークショー

2015年12月16日 | イベント鑑賞・参加

 本日、函館駅前のホテルロワジールを会場に、北海道新幹線開業100日前を記念し、「北海道新幹線サミット」が開催された。

 個人的には、1部の北海道経済・観光をけん引する5人の方々の、北海道新幹線開業に対する期待と開業後の展望についての「パネルディスカッション」が聴きたかった。しかし、申し込みをしていなかったこともあり、2部の18:00からの「トークショー」に妻と一緒に参加した。多分、1部のパネルデスカッションは明日の新聞でも読めるだろう。

 妻は、同時開催の「北海道グルメショー」の方が目当てだったようだ。


 早めに着いたので、まずは「北海道グルメショー」会場へ。100円と500円のメニューがあった


チケットを買ったのは500円の長万部のかにめし2個と、100円の北見の塩焼きそばと釧路のザンギ


迎えてくれた北洋銀行のマスコットほっくーと新幹線開業PRキャラクターどこでもユキちゃん


北海道新幹線関係の展示とパンフレット類のコーナー


北海道新幹線特任車掌・鈴井貴之さん(左)とお笑いのオクラホマの河野真也さん(右)のトークショー
司会は、地元の藤本恭子さん。 


 「北海道新幹線が開業したら」というテーマでのトークショーだったが、HTBの「水曜どうでしょう」の延長上のトークショーのようで、その番組のファンの女性が圧倒的に多かった。
 鈴井貴之さんたる人物も知らなかったが、大泉洋さんや今日の相方の河野さん他を抱える株式会社CREATIVE OFFICE CUEの取締役会長で、北海道を中心に活動するタレント、映画監督、放送作家だった。
 特に、インパクトのある内容でもなかったが、お笑いとして聴いていると、それなりに面白かった。


TVのニュースに映っていた。グリーンのヤッケでカメラを構えているのが自分。

『くろふね』(佐々木譲著)

2015年12月15日 | 読書・映画

 先日、中央図書館中ら借りていた1冊だが、これは、箱館戦争で2人の若き息子とともに戦死した中島三郎助の一代記である、現在の中島町の由来にもなっていて、「中島三郎助父子最後之地」の碑が残り、中島廉売では「中島三郎助祭り」も行われている。

 この本を読むまでは、恥ずかしながら、どのような人物だったか、どんな人生を歩んだ人だったかは知らなかった。

 嘉永6年(1853年)にペリーが浦賀沖に来航の折に、28歳の若さで、浦賀奉行所与力として、通詞と二人だけで、最初に黒船に乗り込んで折衝に当たるなど敏腕をみせ、翌年、日本最初の洋式軍艦・鳳凰丸を建造させている。その後、幕府が創設した長崎海軍伝習所の第一期生として3年後に軍艦操練所教授方になっている。

 明治維新時には、榎本軍とともに行動し、開陽丸の機関長として、軍艦8隻を率いて北海道にやってきた。箱館戦争では、蝦夷共和国の箱館奉行所並みと最前線である千代ヶ岱陣屋守備隊長も兼ねた。最期は父子ともにその陣屋を守って49歳で戦死している。箱館戦争終結6日前のことである。

 三郎助の人生を通して、開国を迫る外国の圧力、やがて開国に至らざるを得なかった経過、そして、江戸幕府の大政奉還、戊辰戦争とその終末を迎えた箱館戦争までの歴史的な経過や背景が詳しく分かった。 

 興味深かったのが、彼を取り巻く当時の歴史上の主だった人物とのかかわりである。
 勝麟太郎(海舟)とは長崎海軍伝習所の同窓であったが不仲であったという(吉田松陰も記している)。伝習所を2年も落第し、卒業もできなかった勝のいい加減な人間性と世渡りの上手さを嫌ったようだ。
 桂小五郎(のちの木戸孝允)は、若いときに中島家に寄宿し造船学を学んだ。三郎助は小五郎の才幹を認めて家族ぐるみで厚遇した。これは、別の資料で分かったことだが、明治9年(1876年)、明治天皇の東北巡幸に随従して五稜郭に向かう途中、中島父子の戦死地付近を通過した木戸は往時を回顧し、人目をはばかることなく慟哭したという。
 榎本武楊は、長崎海軍伝習所以来の仲であり、三郎助父子亡き後も三郎助の三男・與曽八を養育している。

 この小説の最後の一行、「ペリーの来航から16年、日本で最初に近代と接した男が、最後のサムライとして、死んだのである」が端的にこの三郎助の生き方を表現している名文だと思った。
 
 俳人としても有名で、辞世の句は「ほととぎす われも血を吐く 思い哉」「われもまた 死士と呼ばれん 白牡丹」の2句とのこと。すでに死を覚悟していた句でもある。

 この本を読み終わった今日、中島町にある「中島三郎助父子最後之地」へ出掛けて、カメラに収めてきた。

 この標柱は交差点にあるので良く目にしていた。


この石碑と説明板を目にしたのは初めてだったった。墓は浦賀の東林寺にあるという

遊楽部川鳥見ドライブ

2015年12月14日 | 日常生活・つぶやき

オオワシの成鳥

 珍しく3日連続の好天だ。スカッ晴れで気温も高く風もない・・・絶好の登山日和でもある。昨年の今頃は七飯スノーパークで初滑りもしている。しかし、今冬は、12月に入ってからずっと雪が降らず、山の雪も解けて、スキー場に至っては全く雪がない状態だ。

 ここ2日間体を動かさなかったので、11/29の1mほどの積雪で、かんじきを持参しなかったために登頂を断念した袴腰岳のリベンジも考えた。しかし、昨日袴腰岳に登ってきた岳友の報告では、頂上までつぼ足で埋まることなく登ることができたという。それでは面白くないので袴腰岳も諦めた。

 ふと思いついたのが、この時期見られるという八雲町の遊楽部川のオオワシやオジロワシである。自分のカメラでの撮影は無理だが、この目で見るだけでもと、ドライブがてら向かった。 

 しかし、自分のカメラでも、ズームしたものをトリミングしたら、なんとか見れる画像になった。ただ、オジロワシが見られなかったのが残念だった。

 撮影に来ていた人の話では、朝の7時ごろに食餌をするので良く目にできる。しかし、今年は飛来している数が少ないようだとの話だった。


まずは、遊楽部川の河口へ。河口で泳ぐ白鳥と噴火湾を挟んだ羊蹄山とその周りの山々


駒ヶ岳もくっきりと見えていた。


河口の少し上の白鳥と遊楽部岳~太櫓岳の山並み


清流建岩橋たもとのカモの群れ


上流の方へ行ったら、ようやく飛び回るオオワシの姿を捉えることができた。


上空を舞うオオワシの幼鳥と成鳥


オオワシの幼鳥?


セイヨウベツ橋近くの木に止まっているオオワシ


セイヨウベツ橋下のホッチャレ(産卵を終えたサケは命を終える・・・これがワシ類のえさになる)


帰路途中の昼食に食べた八雲町落部のドライブインやかたの「ホタテ丼」

新函館北斗駅舎見学会

2015年12月13日 | イベント鑑賞・参加

南口広場から見た新函館北斗駅は、広いガラス面と濃いグレーのコントラストがモダンな印象。
ガラス越しに見える白い柱は、トラピスト修道院のポプラ並木の枝ぶりをイメージしたもの。
 
 今まで何度か工事中に外観だけは見に行った新函館北斗駅舎だが、2016年3月26日開業の100日前寸前の本日、完成した駅舎見学会が開催された。

 5回に分けて約2000人が対象ということで、前もって往復はがきで申し込んで、抽選に当たったので、3回目の11:50~12:50に見学してきた。
 
 開業したら一度は乗ってみたいとは思うが、いつの日か・・・・?


駅舎東側の立体駐車場


エレベーター・エスカレーターのりばに向かう右手には、イベント交流促進施設。
自治体や法人・団体などがPRイベントやコンサートなどに使うギャラリースペースで


2階のみどりの窓口や改札口へのエスカレーター


2階のスペース。天井には地元産の杉集成材がふんだんに使われている。
杉の生育の北限であるこの地域の特徴を生かした、自然のぬくもりが感じられる。


エスカレーターを降りた正面の軽飲食・休憩スペースコーナー。
青森県八戸市の老舗駅弁メーカー・吉田屋がプロデュースする「お弁当カフェ」やテイクアウトコーナーなどの営業を予定。


2階から眺めた南口駅前広場


北斗産名物の直売所コーナー(今日だけ?)


自動改札口からホームへのエスカレーターや待合室


待合所手前で愛嬌を振りまくご当地キャラずーしほっきー


ホームの様子1。新幹線の車両を停めておくサービスが欲しかった。


ホームの様子2


外に出なければいけない現在の渡島大野駅入口。まだ新幹線駅舎から直接行けない。


在来線にたまたまタイミング良く入ってきた函館行きの列車


直売コーナーでお土産に買ったホッキバーガー

クリファンジョグ

2015年12月12日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

 夕方から妻と二人で、11/28から開催されているクリスマスファンタジーの点灯式に合わせて、家からジョギングで、元町公園まで往復した。暖かい上に、全く雪がないので非常に走りやすかった。


走ったコースのログ・約14km


明治館前のイルミネーション


ベイエリア内のクリスマスツリー


点灯式のゲストが乗るそり


17:00に点灯されるが、17:45に一度消灯され、18:00に点灯式が行われる。


金森ホールで開催されていた「北海道新幹線開業100日前カウントダウンイベント」の「仙台すずめ踊り」


18時の点灯式の花火


八幡坂のイルミネーション

講演会「函館要塞と函館産業遺産研究会」

2015年12月12日 | イベント鑑賞・参加

 午後から、函館中央図書館と五稜郭タワー主催の 「郷土の歴史講座」第41回函館文化発見企画の講演会「函館要塞と函館産業遺産研究会」に参加してきた。


 講師は、元函館産業遺産研究会 幹事 星 守 氏

 函館の近現代史の一面を語る土木遺産である「函館要塞」遺構だが、その現地調査に長年携わってきた「函館産業遺産研究会」が解散以降、市民の記憶から遠のきつつある。
 今回は、北海道新幹線の開業を来春に控え、明治・大正・昭和の歴史を認識する機会として、「函館要塞」の歴史と現状、そして、同研究会の足跡を紹介してくれた。

 いただいた資料の中に、貴重な砲台の復元鳥瞰図があったので、スキャナーで取り込んで記載しておく。現在でも断片的に見て歩ける部分や、立入禁止になっている部分があり、それぞれの砲台の全体像が分からなかったが、この復元図のお陰で、少しはイメージが膨らんだ。

 ちなみに、函館要塞は明治31年(1898年)に起工し、明治35年に竣工している。市民に開放されたのは昭和21年(1946年)で、要塞としての48年の歴史を閉じた。


御殿山第ニ砲台復元鳥瞰図(ツツジ山駐車場上の公園として復元されているところ)

現在の写真

そこに設置されていた28cm榴弾砲



御殿山第一砲台復元鳥瞰図
(現在のアンテナ群や山頂の建物の下にあった。現在は立入禁止になっている)

その内部の貴重な写真


千畳敷砲台復元鳥瞰図
(ここは戦闘指令所のあったところで、現在でも、見て歩くことができる)


薬師山砲台復元鳥瞰図(ここも内部は何度も見ている)


平成8年から平成23年まで活動した「函館産業遺産研究会」の調査研究内容

 「函館山要塞」を観光資源として整備・活用してほしいこと、さらに、研究会の研究成果や収集した歴史的遺物などが、まとめて保管・展示できるところが欲しいとのことで締めくくりとなった。

『peeps hakodate』12月号に掲載

2015年12月10日 | 登山・旅行

『peeps hakodate』12月号の表紙



文字が小さくて読みづらい場合は、ここをクリックすれば拡大画面が見られます。

 11月23日にも取材を受けたことを書いておいたが、本日発刊された、函館蔦屋書店のフリーマガジン『peeps hakodate』12月号に掲載された。

 このマガジンは、昨年『日本タウン誌•フリーペーパー大賞2014』を受賞しているタウン誌で、コンセプトは『函館の新しい「好き」を見つけるマガジン』である。非常にしっかりした取材に基づく素晴らしい内容で、装丁も含めてとても無料とは思えないほど読み応えのある立派なタウン誌である。

 今回の特集は、「好きなものは仕様がない~函館の偏愛なる人々・第2章~」である。
 よくもこんなに色々な分野の趣味の方がいるもんだと感心するほど多種多様な偏愛者21名の名誉ある?一人として1ページで掲載された。

 取材スタッフのSiさんも山をやられ、山の魅力を熟知している上に、拙サイトをよく見てくて下さっている方だったこともあり、とてもよい内容構成になっていたと満足し、感謝している。 

 この特集の目次ページ初めに書かれている文章が、とても気に入ったので、掲載しておきたい。
 好きなものに出会うことで、人生は濃密になる。
 時間の価値が変わり、暮らしが変わり、
 中には周囲が戸惑うほどに、ストイックな生き方へ変貌をとげる人もいる。
 しかし、誰に呆れられようとも、誰に理解されずとも、彼等はいつだって幸福だ。

 
 ~まさに、同感!

 このpeepsの入手先は下記の記事の「もっと読む」をクリックすれば掲載されています。
https://www.facebook.com/pages/peeps-hakodate/524169094346350?id=524169094346350&sk=info&tab=page_info

整備後の高原コースから「海向山~恵山」

2015年12月09日 | 登山・旅行

海向山から下って恵山を目指す


GPSトラックログ

 去る11月11日に恵山支所と山仲間有志で、これまで長い間閉鎖されていた恵山高原コースの整備作業をして、新聞にも掲載された。

 その後、雪が降る前に一度このコースから海向山と恵山に登るつもりだったが、天候や日程の関係で叶わなかった。そこで、多少の雪はあるもののほとんど影響がなさそうなので、今日決行した。

 時期的に、何も観察するものもなく、ただ黙々と歩いた。調べてみたら、下から歩いて海向山と恵山の両方に登ったのは、96年の椴法華コース以来19年ぶりだった。その後は、両方に登るときには火口原駐車場まで車で登ってばかりいたのだ。

 火口原駐車場からの下山は、近道だと思って進んだ道有林境界歩道は、途中の温泉ポンプのところに合流するものと思って進んだが、谷を越えたりしているうちに分からなくなってしまった。GPS頼りで踏み跡を辿って、高原コースの展望台のところで合流した。

 8:20登山口~(50分)~9:10海向山登山道合流~(1時間05分)~10:15海向山山頂10:25~(55分)~11:20火口原駐車場11:30~(45分)~12:15恵山山頂12:20~(45分)~13:05火口原駐車場~(45分)13:50登山口 <トータル5時間30分> 歩数計28000歩。

 花のころや紅葉のころに、1日をゆったり費やすには良いコースだが、両方登るには、健脚が要求されるだろう。一般的には、高原コースの下から登るのなら、どちらか1山に絞るべきだと思った。 


恵山高原コースの登山口。早速「熊出没中注意」の看板が設置されていた。


温泉ポンプ中継所の建物が見えてきた。下の展望台付近まではほとんど雪はなかった。


広い草原へ出る。湧水地点からのゆったりとした小川が流れていた。


3ヶ所の湧水地点。
このあと、草原を横切り、海向山登山道へ合流し、海向山へ。
周回コースを時計回りに回った。


海向山山頂


火口原駐車場手前200m付近で見つけた謎の物体。
岩にセメントで固定されているビニールテープで巻かれた高さ10cmくらいもの。足
跡が登山道から外れていたので辿ってみて発見。
一体何なのか、分かる人がいたら教えていただきたい。


火口原駐車場から恵山を望む


権現堂登山口分岐から火口源と海向山を望む。


下からの噴煙と岩塔を眺めながら登る。昨日のものと思われる単独者の足跡があった。


噴煙を上げる岩の眼下にホテル恵風と恵山灯台を見下ろす


恵山頂上にて。風が強いので早々に下山


火口原駐車場から海向山登山道を少し下って、境界標石や幹の赤ペンキなどがある快適な道有林境界歩道を進む。
これが高原コースの温泉ポンプ中継所に続く歩道だと思ったが、途中で見失ったのか、違ったようだ。


境界歩道を辿って行ったら、こんなところに出た。右側の縁に続く踏み跡を辿って、高原コースの展望台に合流。


 下山後、65歳以上の函館市民は無料の恵山福祉センターの温泉で疲れを癒して、4時前には帰宅できた。

 もっと多くの写真と詳しい山行記録は、下記でどうぞ!
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土方歳三隊と同じ日の「台場山」

2015年12月08日 | 登山・旅行

たまたま朝通った時に堰堤までのゲートが開いていたので、初めてはっきりと台場山を目にできた。


本日歩いたGPSトラックログ

 天候が良かったので、どこか近郊の山と考えていたら、川汲の台場山には積雪期に登っていないことに気が付いた。さらに、ふと「明治元年に森の鷲ノ木に上陸した土方歳三隊が、現在の川汲温泉から川汲峠や台場山を越えた日は新暦の今頃のはず」と調べてみたら、なんと新暦の今日、12月8日(旧暦10月24日)だった。

 土方歳三隊は、前日の12月7日(旧暦10月23日)、本陣を張る予定の現在の川汲温泉(当時の鶴の湯温泉山中旅館)へ斥候を出したら、温泉の近くに敵軍がいることが分かった。温泉まで来たら敵軍がすでに川汲峠へ引き上げていた。そこで、2つの隊をそれぞれ、間道(今日自分が往復した川汲温泉コース)と本道(とっくに廃道になっている旧道)から攻め入らせた。敵軍を台場山(当時は川汲山)や峠付近で撃退し、本陣まで戻った。しかし、夜になって峠を守るために松明を炊いて数人の警備隊が再び登り返している。それが、新暦の昨日、12月7日のことである。峠付近は雪がかなり深かったと記されている。

 本陣を張った温泉で休養を十分取った本隊は、新暦の今日12月8日に、本道と今日自分が往復した間道を利用して川汲峠を越えている。上湯川に1泊し、翌12月9日(明日)に、すでに敵軍が逃げてしまって空になっていた五稜郭に入城している。

 記録によると、台場山も川汲峠も雪が結構深かったようだ。そこで、記念すべきこの日に、土方隊が登った台場山へ登ることにした。すでに廃道になっている当時の本道は、2010年5月10日にも~さんの案内で藪こぎで登っている。
 そちらは、藪が濃く急なので、現在も川汲温泉コースとして利用されている当時の間道を往復することにした。こちらから登るのは、今年の5月以来だ。

 登り1時間45分、下り1時間15分。それにしても、本州から戦いを繰り返して北上し、全員が初めてであろう冬の北海道へやってきて、雪の中を行軍し、山越えまで・・・。ほとんど夏の服装や装備だったに違いない。昔の志の高い武士は凄いと改めて感心した。


川汲温泉の敷地に建つ「土方歳三隊の戦いと野営地」の説明板と箱館戦争戦没者慰霊碑。
8:40、車を川汲温泉入口に置いて、この説明板を読んで、スタート。


今年の5月に、道道の除雪表示柱と木の枝に自分が結んでにおいたピンクテープの地点の踏み跡から川に下りる

 
スパイク長靴でなんなく渡渉し、対岸の登山口へ


急な尾根の末端にジグザクに続く道を登り終えると、尾根の南側に道は続く。鹿の足跡も続く。


尾根に乗ったら、どこかから2日ほど前の熊の足跡が出現。5分ほどの距離で北側の谷へ下っていた。
頂上までの尾根は、両側の谷を挟んだ尾根を眺めながらのアップダウンの多い単調な歩きが続く


306先のコルから342ピークを眺める


このコースで最も大きかったブナの巨木


10:25、頂上到着。積雪は20cm程度。途中は10~15cm程度。
NTT管理道路から登ってきた先週末のものと思われる単独者の足跡が残っていた。
縦書きの説明板には、ここで初めて敵軍と対戦し、勝利を収めて箱館戦争の火蓋が切られたと記されている。
何度も目にしてはいたが、その日が、新暦の昨日12月7日のことだと思うと感慨深いものがある。


頂上から函館山を望む


頂上から三森山(左)と袴腰岳(右の白いピーク)を望む
10:40、下山開始。


帰りに登山道から外れて、尾根をの微かな踏み跡をそのまま進み、229.3mの三角点ピークへ。
比較的新しい四等三角点だった。帰宅後、点名を調べたら「川汲温泉」だった。

 
11:55、川汲温泉到着。現在は日帰り入浴だけ(400円)。浴室はとてもきれいだった。


時間があったので、いつかは食べたいと思っていた臼尻の二本柳旅館の手打ちそば「久蔵」へ


奮発して天ざる。評判通りとても美味しかった。


24枚の写真と、詳しい山行記録は、下記でどうぞ!
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五稜郭公園ウォーキングのち図書館

2015年12月07日 | 日常生活・つぶやき

堀も凍り、堀周りの遊歩道は3mほどの幅で除雪されていた

 一昨日どっさり降った雪はまだ解けないで、昨夜また少し積もった。午前中は天候が良かったので、雪景色になっている五稜郭公園の堀周りを3周ほど歩いてから、函館中央図書館へ行って、本を借りてきた。


凍ってさらっと雪に覆われた水面に映る木の影


完全に凍っているところとそうでない境目のある表門付近の堀


堀周りの様子とランニングやウォーキングをする人たち


凍った水面に風が作った筋模様


氷漬けになっているスイレン(ヒツジグサ)の葉


まだ凍っていない狭いところで泳ぐカモたち


中国系の観光客で賑わう公園内


クリスマスモードになっている中央図書館内。今年で開設10周年らしい。早いものだ。


今回借りてきた6冊

 佐々木譲氏は北海道夕張市生まれで、現在も中標津町在住の2010年度の直木賞作家である。
歴史や犯罪を題材にした作品が多いが、自分的には、昔の北海道を舞台とした歴史物が好きである。とくに、これまでに読んだ箱館戦争の脱走兵を主人公にした奇想天外な発想の五稜郭三部作「五稜郭残党伝」「北辰群盗録」「婢伝五稜郭」は面白かった。読みたいと思っていた本がなかったので、未読の本を借りてきた。
 地名物は、好きな分野で、歴史と地理と旅の感覚で気軽に読めるのが良い。

うれしい薬の効き目実感

2015年12月06日 | 日常生活・つぶやき

 もともと病院嫌いで、少しぐらいの症状は自然治癒力で治ると信じている。現在でも、25年以上の付き合いになる糖尿病も、2回の大腸がん手術後も、薬の世話になる状況ではなく、日常的には、薬やサプリは一切飲んでいない。

 しかし、昔から夜間におしっこに数回起きることは普通だった。一度もおしっこに起きないで朝を迎えるなどということは、昼に大量に汗を掻いたときぐらいで、それでも、年に数えることしかなかった。

 2年前にその夜間回数が4~5回に増えたので、平田泌尿器科へ行って診断してもらったら、軽い前立腺肥大ということだった、そのときは前立腺肥大の薬をもらい、ひと月ほどで改善した。 

 しかし、今年の夏にも、同じような症状になったので、また診断してもらったが、前立腺肥大は前回よりは軽い状態とのことだったが、前回と同じ前立腺肥大の薬を出してくれた。しかし、改善が見られないので、2週間後に相談に行ったら、「エリスパン錠0.25mg」という新しい薬を出してくれた。これを併せて服用したらまもなく改善したので、服用を止めてしまった。

 ところが、ひと月ほど前から、昼も夜も再び頻尿になった。夜トイレに起きるのは寒いし、何度も目が覚めて寝た気がしない。先日、再び病院へ出掛けた。

 今回は、診断はなしで、前回効いた「エリスパン錠0.25mg」だけ28日分を出してくれた。朝食後と就寝前に1錠ずつ飲む小さな薬だが、効果が凄い。ここ3日間、一度もおしっこに起きないで7~8時間も爆睡できた。こんなうれしいことはない。

 薬局からの説明書によると「膀胱や前立腺の刺激症状を改善させる薬です」と書かれている。しかし、ネットでその薬の効能を調べてみると、「中枢神経に作用して、ストレス等の精神的な原因によって起こる消化器疾患、高血圧、心臓神経症、あるいは自律神経失調症の症状をやわらげます。通常、心身症における身体症候、不安・緊張・抑うつ、焦燥、易疲労性、睡眠障害の治療に用いられます。」と書かれていて、どこにも頻尿のことが記されていない。

 ということは、自分の頻尿は、前立腺肥大ではなく、神経的なものなのだろうか?いずれにしても、一度もおしっこに起きないで爆睡できて迎える朝は、この上ない幸福感だ。しばらく飲み続けて、止めても改善されているなら、残しておいて、これからの冬期間の車中泊のときに服用しようと思っている。 

シャコバサボテン

2015年12月04日 | 花・紅葉だより

我が家にはいつごろからあるのか不明だが、何も構わないのに毎年咲き続けるシャコバサボテンがある。
主にクリスマス頃に花を咲かせるのでクリスマス・カクタスという別名があるらしい。
ブラジル原産で、花言葉は「ひとときの美」「美しい眺め」だとか。

11月中旬までベランダに置いて、居間に取り込んだら、蕾がどんどん大きくなり、一気に咲き出した。
来年は、大きな鉢に植え替えて、もっと大株の花を咲かせるようにしてあげたい。




五稜星の夢イルミネーション&忘年会

2015年12月03日 | 日常生活・つぶやき

 今夜は、不肖私が函館支部長を仰せつかっている退職組織の理事会忘年会だった。
 ちょっと遠回りでは7あるが、ウォーキングを兼ねて、「五稜星の夢」のイルミネーションが点灯されている堀周りを廻ってから参加した。


堀の水面に映る電飾イルミネーション


五稜郭タワーのアトリューム内のイルミネーション


五稜郭タワー入口のクリスマスツリー


ナイトパブを借り切っての理事忘年会。ゲームの真っ最中。


最後に「ふるさと」を熱唱して終了

 帰ろうと思ったら、別のテーブルに座っていたグループの会長さんから「坂口さんですよね」と声を掛けられた。「私も山をやっているので、いつもブログやホームページを読ませていただいております。一昨日も砂原岳に登っていましたよね」とご挨拶をいただいた。大感激!