たまたま朝通った時に堰堤までのゲートが開いていたので、初めてはっきりと台場山を目にできた。
本日歩いたGPSトラックログ
天候が良かったので、どこか近郊の山と考えていたら、川汲の台場山には積雪期に登っていないことに気が付いた。さらに、ふと「明治元年に森の鷲ノ木に上陸した土方歳三隊が、現在の川汲温泉から川汲峠や台場山を越えた日は新暦の今頃のはず」と調べてみたら、なんと新暦の今日、12月8日(旧暦10月24日)だった。
土方歳三隊は、前日の12月7日(旧暦10月23日)、本陣を張る予定の現在の川汲温泉(当時の鶴の湯温泉山中旅館)へ斥候を出したら、温泉の近くに敵軍がいることが分かった。温泉まで来たら敵軍がすでに川汲峠へ引き上げていた。そこで、2つの隊をそれぞれ、間道(今日自分が往復した川汲温泉コース)と本道(とっくに廃道になっている旧道)から攻め入らせた。敵軍を台場山(当時は川汲山)や峠付近で撃退し、本陣まで戻った。しかし、夜になって峠を守るために松明を炊いて数人の警備隊が再び登り返している。それが、新暦の昨日、12月7日のことである。峠付近は雪がかなり深かったと記されている。
本陣を張った温泉で休養を十分取った本隊は、新暦の今日12月8日に、本道と今日自分が往復した間道を利用して川汲峠を越えている。上湯川に1泊し、翌12月9日(明日)に、すでに敵軍が逃げてしまって空になっていた五稜郭に入城している。
記録によると、台場山も川汲峠も雪が結構深かったようだ。そこで、記念すべきこの日に、土方隊が登った台場山へ登ることにした。すでに廃道になっている当時の本道は、
2010年5月10日にも~さんの案内で藪こぎで登っている。
そちらは、藪が濃く急なので、現在も川汲温泉コースとして利用されている当時の間道を往復することにした。こちらから登るのは、今年の5月以来だ。
登り1時間45分、下り1時間15分。それにしても、本州から戦いを繰り返して北上し、全員が初めてであろう冬の北海道へやってきて、雪の中を行軍し、山越えまで・・・。ほとんど夏の服装や装備だったに違いない。昔の志の高い武士は凄いと改めて感心した。
川汲温泉の敷地に建つ「土方歳三隊の戦いと野営地」の説明板と箱館戦争戦没者慰霊碑。
8:40、車を川汲温泉入口に置いて、この説明板を読んで、スタート。
今年の5月に、道道の除雪表示柱と木の枝に自分が結んでにおいたピンクテープの地点の踏み跡から川に下りる
スパイク長靴でなんなく渡渉し、対岸の登山口へ
急な尾根の末端にジグザクに続く道を登り終えると、尾根の南側に道は続く。鹿の足跡も続く。
尾根に乗ったら、どこかから2日ほど前の熊の足跡が出現。5分ほどの距離で北側の谷へ下っていた。
頂上までの尾根は、両側の谷を挟んだ尾根を眺めながらのアップダウンの多い単調な歩きが続く
306先のコルから342ピークを眺める
このコースで最も大きかったブナの巨木
10:25、頂上到着。積雪は20cm程度。途中は10~15cm程度。
NTT管理道路から登ってきた先週末のものと思われる単独者の足跡が残っていた。
縦書きの説明板には、ここで初めて敵軍と対戦し、勝利を収めて箱館戦争の火蓋が切られたと記されている。
何度も目にしてはいたが、その日が、新暦の昨日12月7日のことだと思うと感慨深いものがある。
頂上から函館山を望む
頂上から三森山(左)と袴腰岳(右の白いピーク)を望む
10:40、下山開始。
帰りに登山道から外れて、尾根をの微かな踏み跡をそのまま進み、229.3mの三角点ピークへ。
比較的新しい四等三角点だった。帰宅後、点名を調べたら「川汲温泉」だった。
11:55、川汲温泉到着。現在は日帰り入浴だけ(400円)。浴室はとてもきれいだった。
時間があったので、いつかは食べたいと思っていた臼尻の二本柳旅館の手打ちそば「久蔵」へ
奮発して天ざる。評判通りとても美味しかった。
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