癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

曲がったクリファン

2013年12月14日 | イベント鑑賞・参加


 毎年1回は見に行く「函館クリスマスファンタジー」(12/1~24)の点灯式(毎日18:00)に出掛けた。
昨日の強風で、18mあるツリーの上の方がみごとに曲がってしまったそうだ。
2~3日中には直すとのことなので、貴重な画像となった。
今年は1万個増やし6万個の電飾になったせいか、これまでよりきれいな感じがした 
今日は、「弘前ナイトクリスマスファンタジー」とのこと。
弘前市長を初め特別列車で200名の弘前市民がやってきたらしい。


点灯式のステージへと進む橇を模した車
弘前市と函館市の両市長、商工会議所会頭、観光協会関係者などのお偉い方々が乗っていた


点灯と同時に上がる花火


七財橋の上から撮影


弘前から持参したアップルパイの配布所


いただいたアップルパイ~巨大アップルパイを切り分けたもの

妻がスマホで撮影した動画(花火も見られます)~youtube


過去の画像は下記でどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com/xmas.htm

読み始めたイザベラバードの「日本奥地紀行」

2013年12月13日 | 日常生活・つぶやき

 市立中央図書館でイザベラ・バードの『日本奥地紀行』(高梨健吉訳・平凡社)を借りてきた。まだ横浜に到着して、東京に滞在した後、日光までの旅の部分(全体の1/5ほど)までしか読んでいないが、非常に面白い。

 先入観のまったくないイギリス人女性の眼で、明治11年当時の日本の様子をきめ細かく観察し、表現していることが凄い。当時の日本人がいくら詳しく書いても敵わないであろう。初めて眼にした日本というすべてが新鮮で、興味の対象であり、驚きの連続だからである。何より凄いのは、きめ細かな観察力だ。当時の人々のくらしの様子、風俗、文化、建物、集落などなど・・・まさに社会学的観察記録を読んでいるようだ。まるで、タイムマシンに乗って、当時の日本を見ているような楽しさがある。

 西洋人はほとんど足を踏み入れていない土地に、イギリス人女性が一人で乗り込むという旅行者というよりは冒険家ともいえる面白さもある。客観的な観察も凄いが、妹宛の手紙として記述されているので、遠慮のない主観を交えての観察や感想がまた面白い。

 例えば、浅草の浅草寺や日光東照宮の描写などは、よくそのようなところまで目が向くものだと思うほどきめ細かな観察や描写の緻密さと文章表現に感心してしまう。また、旅の途中で出会ういろいろな階層の日本人の観察も面白い。 この後、益々冒険的要素が強くなってくるはずの東北の旅、そして、津軽海峡を越えて函館に入り、アイヌの人たちの多く住む平取までの旅で、当時の函館や北海道がどのように描かれているのか非常に楽しみになってきた。楽しみながら、チビチビ読み進めて行くつもりだ。

年賀状印刷&アクセス数

2013年12月12日 | 日常生活・つぶやき

 まだちょっと早いと思ったが、年賀状を印刷した。ひと言コメントをゆっくり書きたいこともあった。ここ20年ほどは、その年に登った山で強く印象に残った山の写真と近況報告で構成している。

 今年の写真は、天候に恵まれた9月9日に、年甲斐もなく、日帰り登山に挑戦した日高山脈最高峰の幌尻岳を隣の戸蔦別岳から撮ったお気に入りの1枚だ。高度感のある細い七ッ沼カール壁上のコルを越え、一番奥に見える頂上まで往復したのが懐かしい。また、近況では、<3月に古希を迎えるが、今年もがんばりたいこと>を列記した。

 最近の年賀状は、表も裏もPC印刷で、ひとことのコメントもなく、型通りの絵や言葉だけで味気ないものが多い。はっきり言って、そのような賀状は、名前を確認するだけで何の印象も残らない。些細なことでも良いので、その人らしさが伝わる賀状はとてもうれしい。

 自分も両面印刷だが、写真も近況も自分の元気なことを伝えたいと思っている。また、空いているところに、ひと言だが、必ずその方への直筆コメントを入れることにしている。


 昨夜、古くからのお付き合いになる東京のお台場なにわやさんから、「おしかった!」というコメントの画像が届いた。何がおしかったのか思ったら、このブログの親サイト「一人歩きの北海道山紀行」のアクセス数が230万件に6人遅くて、キリ番(キリの良い数字)をゲットできなかったと言うことらしい。

 昔は、この数字が増えていくことがうれしくて、自分でもキリ番をゲットしたり、キリ番をゲットした方に記念品を贈ったりしたこともあった。しかし、最近は数字が大きくなってしまい、自分自身がその変化にすっかり疎くなってしまっている。

 それにしても、15年という年月の積み重ねではあるが、我ながら凄いアクセス数だと思っている。ほかのサイトを見ても、これだけ多いアクセス数は目にすることはほとんどない。最近は、9年目になるこちらのブログのアクセス数も増加気味だ。ホームページにしてもブログにしても、この数字は「読んでくれている人がこれだけいるんだ」という証拠であり、更新の大きな原動力や励みにもなっている。基本は自分の記録のつもりではあるが、すべて、読者の皆様があっのてホームページであり、ブログである。
 この場を借りて厚くお礼を申し上げたい。「ありがとうございます。今後ともお付き合いの程よろしくお願い致します」 

旧戸井線ウォーキング

2013年12月11日 | 日常生活・つぶやき

今日歩いた旧戸井線の市街地部分~番号は下の写真との対応

 12月は天候が安定しないのと山は中途半端な積雪で、例年山行回数がぐんと減る。身体が鈍るので、最近は、12km以上2時間以上の速歩ウォーキングを心掛けている。そのときどきでコースを工夫している。一昨日は裏道を歩きながら函館公園を往復したら、約13kmで16,000歩ほどだった。

 今日は、家を出て、旧戸井線のJR線路との接続部分から湯ノ川まで往復してみた。歩いた距離は約13.5kmで、あちこち写真を撮って歩いたので歩数は15,000ほどだった。

 ちなみに、旧戸井線とは、五稜郭駅から戸井駅までの29.2kmを結ぶ予定で、昭和12年着工したが、戦時中の18年に中断した未完成の鉄道路線である。現在、線路跡は道路や遊歩道となっているほか、トンネルやアーチ橋が現存する。

旧戸井線に関しては、下記が詳しい。
http://www.hakobura.jp/db/db-view/2012/07/post-214.html


①JR線路のと接続部分だった地点は緑地公園になっていた。


②国道5号線までの間は住宅街の中の道になっている。


③国道5号線との交差点。ここから「本通富岡線」となる


④赤川通との交差点


⑤五稜郭公園線との交差点


⑥本通3丁目交差点~ここから「川原緑道」(自転車道と遊歩道)となる


⑦花園通りとの交差点~ここから「緑園通」(自転車道と遊歩道)となる


⑧函館大学附属有斗高校の横を通る


⑨アーチ橋の下を通る~雰囲気からして、これはこの戸井線の工事時に造られたのでは?


⑩榎本町への道路に架かる陸橋


⑪函館南茅部線との交差点~ここで戻った

いずれは、湯ノ川から戸井までの残り23kmの現存部分を歩いてみたいと思っている。 

手作りの漬け物

2013年12月10日 | 食べ物

 妻が、何を思ったのか、「ニシン漬けを作りたい」と言い出した。それも、冷蔵庫でできると言う。浅漬けの素で浅漬けを作るのとはわけが違うだろうと思った。キャベツ、大根、ニンジン、身欠きニシン、糀、鷹の爪、塩などを大きなフリーザーバックに入れて、手もみをして、チルドルームに入れること数日・・・・おいしい立派なニシン漬けができ上がった。反省点は、身欠きニシンが柔らかすぎたことと糀が少なかったこと。身欠きニシンはもっと堅く干した物を買った方が良いのだろうか?

 妻の弁・・・ただ、冷蔵庫へ入れっぱなしだったわけではないとのこと。平べったくして、下に水が溜まるので、まんべんなく浸かるように、1日に4~5回ひっくり返していたそうだ。そして、「おいしくな~れ」とおまじないをしたとのこと・・・。 

 昔はどこの家でも、漬け物は自分の家で漬けていた。我が家でも祖母から母へ、母から亡妻へと受け継がれてきたいろいろな種類の漬け物があった。子供の頃は我が家でもかなり多くの漬け物を漬けていた。自分は母が漬けるニシン漬け、サケの飯鮨、我が家独特のさきイカを入れる朝鮮漬けが特にお気に入りだった。それも氷が混じったものをジョリジョリと食べるのが好きだった。

 今の家を建てて同居した母が張り切っていろいろな漬け物を漬けた。ところが、ことごとく酸っぱくなり、失敗作だった。その原因は、物置が鉄筋コンクリート造りの1階部分なので、いくら寒くても室温がマイナスにならないことだった。それ以来、母は漬け物を止めた。漬け物樽や漬け物石が今でもたくさん物置に残っている。その後、漬け物は少しずつスーパーで買って食べるものになってしまった。

 考えてみれば、漬け物は、冬期間の野菜不足を補う保存食でもあり、身体に良いとされている発酵食品でもあった。今は野菜は年中出回って野菜不足の心配はなくなり、核家族化して大量の漬け物は必要なくなり、漬け物を漬ける家は少なくなった。スーパーで買う漬け物はおいしいが、いろいろ添加物が入っているようだ。その点、冷蔵庫で手軽にできる手作りの漬け物は大歓迎だ。


 さて、1日中雨の今日は、ウォーキングもできず。「山と渓谷」2月号の「室蘭岳(スノーハイク)」の初稿が届いたので、その校正と大幅な加筆部分の執筆、さらに、北海道新聞札幌圏版連載中の「ほっかいどう山楽紀行」12/27掲載予定の「塩谷丸山」の原稿書き、その後、スキーのワクシングに勤しんだ。

スキーの準備

2013年12月09日 | スキー・クロカン

ぞくぞくとクロカンスキー(スキーマラソン)大会の要項が届く。
今年のクロカンレースのエントリー予定は下記の5大会だ。
1/19 HBCラジオ歩くスキー大会(15km)札幌(白旗山競技場)
2/02 札幌国際スキーマラソン大会(50km) 札幌(札幌ドーム周辺)
2/16 恵庭クロカンスキー大会(30km) 恵庭
2/23 湧別原野オホーツククロカンスキー大会(85km) 遠軽~湧別
3/02 十勝大平原クロカンスキー大会(58km) 帯広
 例年、函館XC-KID'Sの仲間でバスを仕立てて参加する2/9予定の「おおたき国際スキーマラソン大会」は、八雲町立黒岩小学校の閉校式と重なってしまい、参加できないのが残念だ。その分、数年ぶりとなる「恵庭」へ参加することにした。


 自分の場合は、スキーと言っても、ゲレンデスキーとクロカンスキーと山スキーの3種類である。それぞれ用具(板・ビンディング・靴・ポール)が全部違うので、それぞれメンテナンスも違う。

 4シーズン目になるゲレンデ用の板は、エッジや滑走面調整が面倒なので、今年は業者のチューンナップに出したが、8,500円もした。これで、あと2~3シーズンは乗れるだろう。
 山スキーの板は、深雪や柔い雪を滑るので、エッジはそれほど気にならないので、いつもシーズン前のベースワクシングだけだ。特に今の板は、Fuさんの形見の3年目を迎える板なので、まだしっかりしている。
 一番手が掛かるのが、クロカン用である。下り以外はすべて自力での推進滑走なので、ワックスが合わないとまともに身体に負荷が掛かる。それだけにシーズン前のベースワクシング(堅さの違う3種類のワックスをそれぞれ塗っては剥いでを数日繰り返す)とレース前の雪温や雪質に併せたワクシングが大切になる。
 クロカンの2台の板も靴もすでに10年を経過しているので、新しいのが欲しい。しかし、年々高くなっていて手が出ない。せいぜいレースを楽しむのもあと5年くらいだろう。今のままで我慢しようと思っている。

 さて、それぞれの滑降・滑走日数を数えたことはないが、昨年の記録をもとに数えてみたら、下記の通り、合計で43日だった。
○ゲレンデスキー(フリーと指導とイベント参加)~13日(12月下旬~3月下旬)
○クロカンスキー(練習とレース)~12日(12月下旬~3月上旬)
○山スキー(登山)~18日(12月下旬~6月上旬)

函館蔦屋書店オープン

2013年12月08日 | 日常生活・つぶやき

 12月5日、石川町の函館新道へ繋がる道路沿いに、「函館蔦屋書店」がオープンした。同グループとしては初めて直営レストランやコスメショップを併設した、郊外型の複合商業施設で、今後、函館をモデルとした店舗を全国に100店程度展開する計画らしい。
 
 駐車場は650台収容。店内に設置された約300席のいすで、購入前の書籍を読んだり、CDを聴くこともできるとのこと。

 コンセプトとして次のようなことが書かれている。
------------------------------------------------------------
その場所を、みんなの居場所に。

もう、商業施設をつくるだけで、地域がいきいきとする時代ではありません。
買い物だけならネットでもいい。求められているのは、ゆっくりと過ごせる空間でした。
本とおいしいコーヒーがあって、家族や友達とおしゃべりしたり、子どもたちもワイワイできる場所。学校や職場以外の、いわゆる第三の活動の場としても使える。働く人たちが、お客さまと名前で呼び合うようないい距離感もできる。ものを買う場所は、ヒトもコトもつながる場所であるべきだと思います。函館蔦屋書店がめざすのは、これからの時代のスタンダード。

地域のみなさんが気持ちよく過ごせる”居場所”になります。
------------------------------------------------------------

  話題になっていた店なので、オープン2日目の夜に妻と一緒に偵察を済ませ、今日は日曜日なので、どのくらい混んでいるか見たくて、ウォーキングの途中に寄ってみた。
 さすが、もの凄い混みようだった。特に家族連れが多かった。それでも駐車場から車が溢れている状態ではなかった。先日はほとんど空いていた椅子や机が、全部塞がっていた。本を読む人、音楽を聴く人、中には図書館同様、勉強をしている高校生が目立った。営業時間が7:00~25:00というのも凄い。時間さえあれば1日中過ごせる空間である。これで、人の流れが、さらに北進しそうなのが恐ろしい。

「イザベラ・バードの歩いた道」の記念碑&講演会

2013年12月07日 | イベント鑑賞・参加

蓴菜沼園地に建てられた「イザベラバードの歩いた道記念碑」(中央)、右は「明治天皇蓴菜沼小休所」の碑

 昨日の新聞に 「イザベラ・バードが歩いた道」の記念碑が、大沼国定公園内の蓴菜沼園地に建てられたことが報じられていた。そのうちに見に行こうと思っていた。しかし、たまたま、今日の午後から函館文学館で「イザベラバードが見た函館」という講演会があるとの情報をいただいたので、その前に出掛けてカメラに収めてきた。

 設置者は「イザベラ・バードの道を辿る会」(事務局は日高管内平取町)で、その目的は、1878年(明治11年)に北海道を初めて女性一人で旅した英国人旅行家イザベラ・バードの歩いた道をフットパスとして紹介するためのようである。

 イザベラ・バードは、北海道南部の太平洋沿岸(函館~室蘭~平取町)を旅して、旅行記「日本奥地紀行」(1885年)によってまだほとんど知られていなかった北海道と東北地方を世界に紹介した。1878年(明治11年)8月17日に函館を出発した彼女は、この地蓴菜沼に夕方に到着。当時、開拓史高官がよく利用した「宮崎旅館」(現存しない)に宿泊したと考えられる。

以下、読めるように、3つに分割して撮影してきた。

イザベラバードの旅装と当時の札幌本道~蓴菜沼~森方面へと歩いた道


彼女の著書の中の蓴菜沼の様子を綴った文章の紹介


イザベラ・バードの紹介


○講演会「イザベラ・バードの見た函館」(函館文学館)

 この講演会は、桜井健治氏(日本近代文学会会員)が講師の函館文学館連続講座「函館・文学の散歩道」第3回目の講座であった。知り合いの館長に電話したら、「今回は人気があって定員の50名はとっくに超えていますが、申し込みを受け付けています」とのことだった。

 90名ほどの参加者だった。3回の講座の中で、今回が最高人数だったとのこと。文学というよりは、イザベラ・バードの名前に惹かれた歴史好きが多かったようだ。この講座を教えていただいたharpbabaさんご夫妻、箱館歴史散歩の会主催の中尾さん、古道研究家でイザベラバードの歩いた東北・北海道の道すべてを自転車で踏破しているも~さんなどの顔もあった。

 当時の外国人の行動は通常開港された5都市から40km以上外へは出歩けなかったが、イザベラ・バードは、イギリスの公使が外務省に働きかけて、フリーパスポートを持参していたので、どこでも歩けた。旅行家としての高い評価を受けていたことが分かる。

 「日本奥地紀行」は、妹に当てた手紙形式の通信記録とのこと。函館には、1887(明治11)年8/10~15と平取から戻った9/12~13に滞在。38報には、短い期間にもかかわらず、エゾに関する基本認識を覚え書きという形で書かれていることが凄い。その中に、函館の人口や地理的条件、風の強いこと、町の様子、生活のしやすさ、清潔さ、学校の数の多さ、特に昼働く丁稚たちの夜間学校があったこと、4つの教会があってそれぞれ伝導所があったことなどなど、先進的な都市であったことことが驚異的な印象で記されているとのこと。39報には、函館の病院設備や施術のすばらしさや1日の患者が160人もいたこと。懲役所の待遇の寛大さなどが述べられているとのこと。

  これを機会に、「日本奥地紀行」をぜひ読んでみようと思った。旅の記録と言うよりは、よく調べていて、日本文化論としても一級の紀行文であるとのこと。

撮り鉄気分

2013年12月07日 | 日常生活・つぶやき

 12月1日からクリスマスまでの週末・祝祭日に函館~大沼公園間を「SLはこだてクリスマスファンタジー号」が1日2往復運行する。

 久しぶりに雪景色となった今朝、妻に付き合って五稜郭駅北側の跨線橋へ出掛けて、撮り鉄気分を味わってみた。真上から撮影したら煙にまかれてしまった。

 内部は、きれいにクリスマス仕様で装飾されているらしいが、往復2,660円払ってまで乗りたいとは思わない。






ニチロビルとカフェ&デリまるせん

2013年12月06日 | レトロ建築・古民家カフェ

 大手町にある一見して特徴があまりなさそうなニチロビル。しかし、かつて、函館がもっとも繁栄した時代を支えた北洋漁業の覇者として君臨し、世界最大の水産会社とも呼ばれたニチロ(旧日露漁業株式会社、現株式会社マルハニチロホールディングス)の当時の本社ビルである。戦前の函館最大オフィスビルだった。
 
 昭和4(1929)年竣工の1号館(現存せず、現在の函館国際ホテル)から始まり、昭和9(1934)年竣工の2号館、そして昭和13(1938)年には、戦後HBCホールとして親しまれた大講堂を持つ3号館という三つの巨大ビルディングを完成させた。

 2号館1階のアーチ窓のデザインなどに昭和初期らしいモダンさも見られる。また、外壁には茶色のペンキが塗られているが、当時は薄黄色などカラフルなタイルが張られ、とても派手な装いだったようだ。

 このニチロビルは、日本最初のコンクリート寺院である東本願寺函館別院、旧丸井今井百貨店(現在のまちセンの前身)、百十三銀行(現在のSEC電算センタービル)、元町カトリック教会など、名だたる鉄筋コンクリート建築物を手がけた木田保造の施工によるものだ。

 実は、自分が子供の頃、生まれて初めて映画を見たのは、現存する3号館(右側のビル)の4階にあったHBCホールのような気がする。当時、父に連れられて、ここでよく見た映画はチャップリンの無声映画だったと思うのだが・・・?
               ↓

他サイトから借用

カフェ&デリ マルセン 
 この北洋漁業全盛期の函館の象徴でもあるビル2号館1階に、この11月1日、湯川町3の「カフェまるせん」が移転し、「カフェ&デリ マルセン」として開業した。

 昨日、箱館歴史散歩の会の後、内部を見たくて、昼食がてら寄ってみた。 カフェが入居した1階は事務所として使われていたが、高い天井には板が張られ、室内は壁で分割されたとのこと。

 まず着手したのは、ビルを建設当時の姿に戻す作業。後付けされた天井板をはがすと、しっくいの装飾が現れ、北洋漁業の全盛期を物語る、威風堂々とした内観がよみがえった。ビルの物置にしまわれていた家具も一部再利用しているらしい。室内には昭和初期のモダンな雰囲気が漂う。












十五穀米の「ごはんプレート」コーヒー付き(960円)
多くの新鮮な野菜が食べられ、とてもヘルシーな感じだ。もちろん味も最高!



ニチロビルの一筋北側に建つ「函館大手町ハウス」

 大正7年に浅野セメント株式会社函館営業所として建てられた。
3連アーチの玄関や塔屋の装飾はヨーロッパ建築を思わせる。

ピリカスキー場今季限りで廃止

2013年12月05日 | スキー・クロカン

 今朝の新聞に掲載されていてビックリした。数年前からその可能性は予想されてはいたし話題にも上っていた。つい先日も今金スキー連盟の幹部の方々と話していたが、はっきりするのは今シーズン終わってからだと思っていた。

 このスキー場ができてまもなくの頃の3年間、八雲町黒岩に住んでいたので、車で30分ほどで行けるスキー場だった。良く、仕事が終わってから出掛けて、ナイターを滑って、クワプラザピリカの温泉に入って帰ってきたものだ。

 リフトは1本だけだが、いろいろな斜面があり、北向き斜面なので、雪質の良いスキー場だ。特にリフトに向かって右の2本の斜面は、緩斜面の上の方で基礎的なことを確認して、捻れのない急斜面へ入っていけるので、上級者の指導や自分が楽しむには最高の斜面だった。最近は、函館から遠いこともあり、何かイベントがあるときにしか行くことはなくなった。

 皮肉なことに、今シーズン限りで閉鎖が決まったこのスキー場を会場に、1/11~12に、300名が参加する函館地区の全日本スキー指導者研修会(実技)が開催される予定だ。当日は、さらに長万部にある東京理科大の学生100名が入る予定だとか・・・スキー場始まって以来の大賑わいになるだろう。スキー場では今から昼食などの受け入れ態勢にてんやわんやしているとのこと。リフト待ちの列も凄いだろう。

 なんとか、民間の企業が買い取りに名乗り出ることを期待したいが、スキー人口の減少で、どこも苦労している。なかなか無理だろうと思われる。

第112回箱館歴史散歩の会<講演会>

2013年12月05日 | 日常生活・つぶやき

 箱館歴史散歩の会の例会は、12月~3月は講演会となる。それも、主宰である中尾仁彦氏の歴史の話と医療関係者の話の2本立てである。今回の内容は、上記であった。

 今年は100回記念に参加しただけで、とんとご無沙汰だったが、今回は、先日購入した『市電で巡る函館100選』にも関わるし、路面電車100周年にちなんだ話であったこと、さらに、医療関係の話は、興味のあるホスピスの話でもあり、講師が、いろいろと縁があり、お世話になった函館おしま病院の看護師長さんでもあったことなどで、久しぶりに参加した。往復12kmのウォーキングを兼ねて・・・。


箱館歴史散歩の会主宰・中尾氏

 路面電車へ移行する前の明治5年の札幌本道の開通に伴って、明治6年に運行された函館~森間の「乗合馬車」や、明治16年に運行されたという西部地区の「市中乗合馬車」のことは、今回、初めて知った。
 さらに、明治30年開通の「箱館馬車鉄道」、そして、大正2年開通の「函館水電電車」(路面電車)へと移行発展してきたそれぞれの歴史を路線図や写真等の資料を基に詳しく話された。いつものことであるが、具体的な逸話やこぼれ話などが面白い。

 町並み形成との関わりでは、「人口重心推移図」や「人口および自動車保有台数の推移」ももとに説明をいただいた。昭和50年代までは、市電路線図に沿って町並み形成が進んだことが良く分かる。しかし、その後は車社会になり、人口の北進・東進が進み、脱市電に拍車が掛かったことがとても良く理解できた。


函館おしま病院ホスピス病棟看護師長・吉村氏

 ご自身がホスピスに関心を持ったきっかけから始まり、ホスピスとはなんたるかの説明、いろいろな入院患者さんの事例、それに関わる職務上の悩みや生き甲斐などの話が興味深かった。「ここに来て良かった」と言われ、穏やかな気持ちで死を受け入れてくれる姿が一番の励みになるとのこと。 
 
 実は、この函館おしま病院が開院される前のことだが、後に院長になられる福徳先生や後に総看護師長になられる間島さんには、亡妻が亡くなるときに、個人的にいろいろ相談に乗っていただき、とてもお世話になった。このようなホスピス専門の病院や相談に乗ってくれる機関がもっと増えてくれることを願いたい。

 そんな縁もあり、7年ほど前に、この病院の職員研修会で講演を依頼されたことがある。依頼された内容は、「癌で亡くなった妻への家族としての看護や思い」と「四国遍路」の2本立てであった。45分ずつ話した。今日の講演が終わって、講師の看護師長さんにそのことを話したら、「私もお聞きしました」と覚えていて下さった。

-------------------------------------------------------
 <次回「第113回」のご案内>
 平成26年1月17日(金)10:00~12:30 会場;函館市地域交流まちづくりセンター
 演題①「一人で歩いた東海道ほか五街道と函館の結びつき」講師;中尾氏
 演題②「介護予防」の話と生き生き体操(実践)
    講師;スポーツクラブルネサンス函館 インストラクター 介護予防運動指導員 長瀬和美氏

 ★五街道の歩き旅の話は、ぜひ聞きたいと思っていたので、必ず参加するつもりだ。

不思議な「もちもちシュー」

2013年12月04日 | 食べ物

 先日のトライアスロンクラブとクロカンキッズの合同忘年会で、差し入れされたもちもち感の不思議なシュークリームを口にした。 
 手に取ってみると、シューがまるで大福のように実にしっとり・もっちりとして、ズシッと重い。中のクリームもびっしり詰まっていて、とてもおいしかった。シュークリームは好きで良く口にするが、いままで食べたことのない不思議な感じだった。 

 そのときは、どこの商品か分からなかった。今朝になって、気になって「もちもち感のシュークリーム」と検索したら出てきた。北斗市市役所(旧上磯町役場)近くの「Joli Creer(ジョリクレール)」という洋菓子店だった。いろいろな創作洋菓子で有名な店らしい。

 シュー(皮)のもちもち感は、北斗市産「ふっくりんこ」の米粉を使用しているからだそうだ。その名もずばり「もち×もちシュー」・・・納得。

 それを知ったらまた食べたくなった。店までの距離を地図で測ったら、およそ8kmくらいだった。昼食後、今日のウォーキングのコースに決めてスタート。国道229号線をひたすら歩いて、1時間20分、歩数計は1万歩ちょっとだった。しかし、往復はきついので、近くの清川口駅からJRを利用して戻った。



国道229号線から北斗市役所やかなでーるなどへ入る交差点の角にある店舗。


手前と奥がもちもちシュー、間の2つはマルメロパイ
もともちシュー2個とマルメロパイも1個ずつを一気に食べちゃった・・・。
明らかにカロリーオーバー・・・夕食はおかずだけにしよう。



 トイレを借りに北斗市役所へに寄った。「北斗函館駅開業まであと最大848日」の看板が立っていた。
 この駅名、函館市では「新函館」を主張し、駅ができる北斗市では「北斗函館」を主張して、平行線のままだ。妥協案として函館商工会会長の「新函館北斗」も提案されている。近いうちに両市は協議に入るらしいが、どこに落ち着くのだろうか?
 自分的には、少年時代を過ごした故郷である旧大野町に駅ができるだけに、北斗市の気持ちはとても良く理解できる。


つい最近市民投票で決まったご当地キャラクター「ずーしーほっきー」

はこだて未来大学の学生が考えたいくつかの中から投票で決まったらしい。名物のホッキ寿司が基になっているらしい。きもかわいいとの評判だが、ぬいぐるみになったときにどうなるか?

ワンコインでの思わぬ出会い

2013年12月03日 | 日常生活・つぶやき

 朝、いきなりベランダ窓が真っ赤に染まってびっくりした。何ごとかと思って外を見たら、日の出の太陽光線が窓に飛び込んできたようだ。

 今日は、全国的にも穏やかな天気のようだった。函館も、昨日はみぞれと強風で荒れた天気だったが、今日は打って変わって穏やか1日だった。雲は多かったが、風がほとんどないので、午前中に港の方へウォーキングに出掛けた。5分ほどしたら携帯が鳴った。

 北海道新聞連載の「ほっかいどう山楽紀行」の担当編集委員のKuさんからだった。「原稿まだ届いてないのですが・・・」とのこと。曜日を勘違いして今日は月曜日だと思っていた。慌てて家へ戻り、すでに書き上げていた「伊達紋別岳」の原稿と写真メール添付で送った。

 暖かくて歩いていても汗ばんでくるくらいだった。外で工事をしている人たちも、「今日は、暖かくて助かるわ~。昨日はひどかったけど・・・」と話していた。


港の岸壁から眺める一昨日登った七飯岳や横津連峰は真っ白だが、釣り人は気持ちよさそうだった。


 宮前町にある中華料理店「李太白」(りはく)が12/1~3日の3日間限定の10周年記念感謝のキャンペーンとして、ワイチョイスセットと五目あんかけ焼そばを500円で提供していた。本格的な中華が500円で食べられるという。

 今日で最後なので、昼食時に妻と一緒に出掛けた。もの凄い混みようで外には妻に並んでもらって、こちらは車の中で待機。携帯に「店の中に入れたよ」と電話が入ったので行ったら、何と妻の後ろに、すぐ近くにお住まいの中学時代の恩師ご夫妻が並んでいるではないか。

 2ヶ月前の同期会でお会いしたばかりだった。待つ間もずっとおしゃべりをしていたので、退屈しなかった。順番が来て、6人テーブルに通されたので、恩師ご夫妻も同席させてもらった。500円の美味しい料理とともに、思わぬ幸せなひとときを過ごすことができた。


ワンチョイスのチンジャオロース定食
~これが500円で食べられるなんて幸せ。


五目あんかけ焼そば~これも500円