癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

「日本奥地紀行」読破

2013年12月16日 | 日常生活・つぶやき

スケッチはイザベラバード自身の手による

 悪天候の日が続いたこともあり、イザベラバードの『日本奥地紀行』を一気に読み終わった。
 どう見ても、旅行家ではなく探検家であり、社会学者である。若い通訳一人を伴ってとは言え、47歳のイギリス女性が単独で、明治になって間もない頃の外国人が足を踏み入れたこともない、情報もない辺境の地やコースをあえて選んで過酷な旅を続ける姿には驚いてしまう。

 東北の地方の人々のくらしの貧しさの描写は、これまで、時代劇映画などでイメージしてきたことに比べると、それを遙かに超える酷いものである。現在は、どんな田舎に行っても、貧富の差や地域差を感じることがないだけに、わずか150年でここまで発展したものだと、変なところで感心してしまった。しかし、その辛辣な表現に比べて、彼女が非常に気に入った山峡の美しさの表現がまた緻密ですばらしい。

 東北の旅では、宿に着くと、珍しい外国人を見ようと中庭まで人垣ができ、宿を出れば村はずれまでぞろぞろ追い掛けてくる。宿のほとんどはプライバシーなどない部屋ばかりで、蚤や蚊で悩まされ、思うような食事も手に入らない。雨の中でも留まることなく旅を続け、洪水に遭遇したり、度重なる馬からの落下・・・精神的に本当にタフな女性である。この旅は最後まで言うことの聞かない馬との闘いの連続だったようである。特に北海道の雇う馬は、馬子は親切だが、ほとんど野生の馬を捕まえてきては虐待して無理矢理馴らせて、提供されるという状態なのにも驚かされた。

 東北の旅に比べると、当時外国文化がいち早く入っていて、彼女の頼れるイギリス人が住んでいて長期滞在ができた函館は、ホッとできるところだったようだ。「風の都」と称し、当時の商業都市の町の様子を詳しく表現している。屋根に石を並べている木造の町屋が並ぶ様子は貧弱でマッチ箱みたいだと表現し、大火のことにも触れている。

 函館からは、当時の七飯を通り、当時の札幌本道を抜けて蓴菜沼の宮崎旅館に泊まり、翌日森で1泊して、森から室蘭まで汽船に乗る。その後、白老~苫小牧~平取へと進むが、その途中は、もっぱらアイヌとの交流と観察である。特に平取や白老での滞在中の細かな民族・風俗・文化の観察と調査は微に入り細に入り、非常に詳しく記述している。アイヌ研究文献としても貴重なものであろう。それらの中で、アイヌの人たちの純朴さや礼儀正しさや優しさを讃えているのがうれしい。

 平取からの帰路、白老では、通訳を連れないでアイヌの案内人と二人で、道なき道を馬で分け入り、樽前山の外輪山にも登っているようだし、有珠でも有珠山の外輪山にも登っているようだ。室蘭からは陸路を通り、当時三険路のひとつと言われた礼文華峠越えの様子も詳しい。その後、長万部~八雲~森~函館と進んでいる。八雲と森の間の道はほとんどなく砂浜を歩いたようだ。その部分は快適な旅だったと記している。

 いま、このイザベラバードの歩いた道を辿る人が増えているという、道内でも、函館から平取までの彼女の歩いた道をフットパスに指定して、歩く事業が展開されている。これからは、山旅ついでに、それらの足跡を意識して辿ってみたいものだと思う。