静内農業高校の生徒による二十間道路の3kmにわたるコスモスロード
新しずない町や新冠町は、日高の山ついでに何度も訪れているので見るところが残っていない。たまたま、この時期、桜並木で有名な二十間道路のコスモスが見頃だと知ったので行ってみた。
3kmの長さは見事。農業高校の手によるだけに、肥料が効いているのか、花も大きくて立派だ。
この二十間道路は、桜の頃、2回訪れているが、その歴史は全然知らなかった。
調べてみたら、和種馬の大型改良のため明治5年に開拓使次官だった黒田清隆が進言し、明治10年、アメリカ人技師エドウィン・ダン(Edwin Dun)が門別・新冠・静内の3郡にまたがる約7万haに及ぶ大規模な牧場を設計。野生馬2226頭を集め、明治16年、宮内省所管・新冠牧馬場(後に新冠御料牧場と改称)を開設した。
この牧場を訪れる皇族のための行啓道路が二十間道路のルーツで、その幅が二十間(約36m)であることから、二十間道路と呼ばれるようになった。龍雲閣まで直線で7㎞にわたる。
のちに、両側に約3,000本にのぼる樹齢100年のエゾヤマザクラなどの並木が植えられて、今日のスケールの大きな桜並木となった・・・ことが分かった。
そこで、まだ行ったことのない二十間道路の奥の旧新冠御料牧場の方へ行ってみた。
「宮内省新冠御料牧場事務所」の建物。大正9年新築。昭和46年に現在の事務所かできるまで、牧場運営の要として使用されていた。
「龍雲閣」~明治41年に客舎(貴賓舎)として建築に着手され、翌42年竣工。
当時、御料牧場となってから20年を経過しており、宮中御料馬の生産ならびに北海道産馬の改良の本務の他、日露戦役中、陸軍の要望に応えて軍馬の拠出をした当場にとって、皇族をはじめとして斯界の文武にわたる高位高官の士をお迎えする機会は多く、これら貴賓の宿舎として造られた。 特に二代にわたる天皇陛下が、それぞれ皇太子の御時に行啓されいる。
広い敷地内の道路ぞいに続く歴史を感じる松並木。
エドウィン・ダンが紹介したという当時の新冠御料牧場のチャシ(牧柵)
二十間道路沿いに設置されてい船山馨の静内開拓を描いた作品「お登勢」の石碑
予報が外れて、見事な天気になったが、午後からは新冠温泉で文藝春秋を持ち込んでまったり過ごしている。
ロケーションの良い丘の上にある新冠温泉レコードの湯。
新冠温泉で夕食に食べた「ウルトラカツカレー」~なんてことはない、入れ物がウルトラなだけで、ボリュームは普通だった。これに蓋がされて出されたときには驚いたが…。