昨日とは打ってかわって、小春日和の良い天気になった。まだ11月中は夏山モードで登りたい。そこで、昨日、二股岳下山後、二股口古戦場の台場山に寄ったこともあり、川汲の台場山を思いついた。3年前の春に、箱館戦争当時の古道の踏査研究家・も~さんの案内で、江戸・明治・大正時代の川汲山道(旧道)を歩いて以来だ。さすが、太平洋側の影響の大きい山で、雪は全くなかった。
ちなみに、函館近郊には「台場山」が3ヶ所ある。いずれも、箱館戦争時に旧幕府軍の土方歳三隊長が、政府軍の侵攻に備えるために砲台を築いた山である。南茅部側からの侵攻に備えたこの「川汲峠の台場山」、森・大沼方面からの侵攻に備えた「峠下の台場山」と江差方面からの侵攻に備えた「二股口の台場山」である。
今日は、NTT管理道路を往復しようと思って出掛けた。全く雪が見えないのがうれしい。しかし、頂上へ着いたら、『夏山ガイド』からも削除されて、廃道になっていたと思っていた川汲温泉前からの尾根道がきれいに刈り払いされていた。このコースは廃道になっていると思っていたことと温泉側の取り付き部分が分からなかったので、まだ歩いていなかった。
これ幸いと、その登山道を下って、新川汲トンネルも潜ることになるが、函館南茅部線(道々83号線)を歩いて戻り、循環縦走することにした。
登山道にしては、昔からずいぶんと歩き込まれている旧道のような感じだった。歩いている内に、ふと、も~さんの研究記録を思い出した。この道は、登山道となる前の江戸時代~明治時代の川汲山道の間道として利用されていた旧道だったのである。
も~さんの調査研究によると、鷲ノ木に上陸した土方隊が川汲温泉(当時は鶴ノ湯温泉)から川汲峠へ侵攻する際、当時の川汲山道の本道とこの間道の二手に分かれて登っている。川汲山道の本道を登った本隊が川汲峠で待ち伏せていた政府軍に手こずっているところへ、この間道を登った迂回隊が現台場山(当時はカックミ山、毛無山、木無山などと呼ばれていた)を越えて上からの攻撃が功を奏して、政府軍を撃退させたとのこと。
このコースの歴史的なことは下記のも~さんの研究記録が詳しい。
http://dp04131457.lolipop.jp/oldroad/05-kakkumi.pdf
下って行ったら、川汲温泉ホテルの前で川汲川にぶつかる。幸い、水量は足首ほどの岩盤の上の流れだった。スパイク長靴でなんなく渡渉し、車道へ上がることができた。ホテル入口から100mくらい函館寄りの地点だった。そこに標識がぜひ欲しいところだ。
あとは、車道を歩き、2kmちょっとの新川汲トンネルを潜って、1時間でスタート地点へ戻ることができた。
今日のGPSトラックログ(赤は登山道、緑は車道歩き)
NTT管理道路入口ゲート
川汲峠手前の道とNTTの無線中継所
頂上から望む函館山
頂上から望む三森山(左)と雪を被った袴腰岳(右奥)
きれいに刈り払われていた川汲温泉コース(江戸時代~明治期の川汲山道の間道)
川汲川を渡渉して車道へ。川を渡る手前に「史跡台場山登山口」の標識があった。
この標識は、車道の脇にあれば、分かりやすいのに・・・。
詳しい山行記録は、下記でどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)