つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

美学講座へ

2021年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム

どうしても受けてみたいと思う講座を見つけたので、12月と1月の2回だけ受講させていただくことにいたしました。

と言っても文化センターの講座ですので、堅苦しいことはなく芸能人のお話なども混じえ、平明な内容の講座でした。

講師は大学で美学をご研究なさっていらっしゃるお若い先生でいらっしゃいました。

テーマは「かっこいいの美学」

特に私の受けさせていただいた2回の講座は「かっこいいの定義」「かっこいい生き方」をテーマにしたお話でした。


日本にカッコイイという言葉が今のように頻繁に使われるようになったのは、まだ歴史が浅く1960年代のことだそうです。
まさに戦後、私の生まれた時代からということになります。

英語のcoolやフランス語のchicが主に「カッコイイ」の意味になります。

日本語では恰好がいい(格好がいい)という言葉は既に存在していて、元々は「適切である」とか「うってつけ」の意味が強かったようです。「恰好の餌食」などという言葉が日本にはありますね。

が60年代以降はアメリカロック的な自由な若者の新しいかっこよさ、それと同時にヨーロッパ的な高級な大人の知的なかっこよさの2つの概念が主流となり日本独特の「かっこいい!」の概念を育んできたようです。手っ取り早く言えば破壊と防備。革新と保守。外国のそんな対立する概念が戦後の日本のカッコイイを生んだということでしょうか。

どうしてカッコイイの美学に興味を持ったかといえば、結局今現在の「カッコいい」という私達の概念が「美しい」に繋がり、美術品への興味、アートばやりの現象を起こしているのではないか?という疑問を常々持っていたからです。


カッコイイ!と思う対象は人によって確かに随分違いますが、例えば室町時代の絵画と江戸期の絵画、どちらをカッコイイと思うかか?と聞かれたら、多くの方が、江戸期の作品の方にカッコいい!とおっしゃるのではないか?特に外国の方達は北斎や若冲などを選ばれるのではないか?

厳重に管理されたお教室でマスクをして受講させていただいた講座で、結局「こうだ!」という答えは見つかりませんでしたが

1960年代の若者が1番カッコいいと思っていたのは三島由紀夫。世界ではケネディ大統領。そんな情報は沢山得ることが出来ました。



この講座をきっかけに考えさせて頂いた事と

当店のホームページの1月の画家の言葉👨‍🎨



情致の線の局所を求め工夫致居候。

局所は美にてはなく超越的玄妙なるものに帰し可申存候、

美を八釜敷云出したるは西洋舶来にて

東洋的には美は極致には無之候。

              小川芋銭


について次回また少し書かせて頂こうと思っています。




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