
昨年、お客様からお送りいただいた山野草の寄せ植え、全てではないと思うのですが、幾つか今年も生き生きと成長をしてくれています。
ただ、それぞれの名前を記してある小さな札がバラバラな位置になってしまって、どれがどの植物なのか?わからなくなってしまいました。
店を閉めて帰る時には、翌日日光を浴びてもらうように外に出して帰りますが、そのうちにこんな黄色いお花が咲いて。。

あら?っと始めは嬉しく思っていたのですけれど、このお花、どう考えてみても庭に咲いている雑草と同じ???と気づいてしまいました。
普通なら何の躊躇もなく、抜いてしまうと思うのですが、敵もさるものだなぁと感心して、とりあえずお花が終わるまではこのままにしました。

常識の境界線はあるようでないものですね。
雑草も山野草も紙一重。その境界線を決めるのも私です。
そして、その常識で自分をも縛ってしまう。
自分を縛って苦しくなった時、思い切ってその境界線を遥かに跳びこえようとしなくても、その線上に紛れてしまうと全てが楽になることもあるかもしれないとふと考えました。
植木鉢の隅っっこにちゃっかり花を咲かせるようにです♪

とても久しぶりに小泉匡さんの小人さん達を飾らせていただきました。
画廊のあちこちに佐野作品に紛れて飾ってある小さな作品に気づいて、早速お求めくださったお客様もいらしてくださいました。


ジシバリかな?
(葉の形がよく見えないから
違っているかもしれないけれど)
そこに咲いた意味を感じたくて
花言葉を調べてみた
ーー束縛
ーー忍耐
もう一つ
きっと
これ
ーー人知れぬ努力!
花は
ちゃんとわかってる
どんな花にも名前を与えようとする科学と花の名前に拘るなという芸術の間に紛れながらなら
まだ自分の伸びしろがあるのかもしれないと思っています。ジシバリというお名前は忘れても
この小さな花に今感じている逞しさと可憐さはずっと忘れないだろうと思います。
コメントをいただいて更に今の自分を確認できました。ありがとうございました。
夏美