トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

イスタンブルの中心イスティクラル通りで男が発砲。5人負傷

2015年07月19日 | 国内
7月21日 イスタンブルの中心イスティクラル通りで、身元不明の男が発砲し、5人を負傷させました。男は5人のグループと口論していたそうです。

 Hurriyet

観光客の多いイスタンブル・ベイオール地区のイスティクラル通りで、7月20日午前5時頃のことでした。グループ5人のうちの4人が負傷し、通りがかりのツーリスト1人も脚に負傷しました。目撃者が警察に通報し、すぐに警官と医療チームが到着しました。警察は証拠を集め、容疑者の捜索を開始。負傷者たちはシシリ訓練研究病院へ搬送されました。 

・・・口論していて発砲というのですから、ISとかテロリストではなさそうですね。それにしても、街中で軽々しく発砲しないで欲しい。


伝統のオイルレスリング(ヤール・ギュレシュ)選手権がまもなく開催

 24日~26日、トラキアのエディルネ県に2000人以上のレスラーが集まり、「第654回クルクプナル・ヤール・ギュレシュ(オイルレスリング)選手権大会」が始まりますが、今年は見物客も記録破りになるだろうと予想されます。

 Hurriyet

そこで、トルコ伝統のオイルレスリングについて:-
最古のスポーツ
今年で654回になる競技大会「クルクプナル・オイルレスリング大会」は1361年に始まりました。2010年には、ユネスコに“無形遺産競技”に認定され、2001年には、ギネスの世界記録で、最古のスポーツ競技と認定されました。

 Hurriyet

オイルレスリング発祥の伝承
レスリングの発祥は、オスマン帝国の建設者オスマン1世の息子オルハン・ベイ(1326~1362)の治世、オスマン帝国が初めてヨーロッパ遠征を行ったときにさかのぼります。オスマン軍はトラキアの一部を征服し、帝国の本拠地ブルサに引き上げる途中でした。

 sabah.com.tr

40人の隊の中の2人の兵士が、いまのギリシャ領のサモナで休憩中の遊びに、レスリングを始めました。勝負はなかなかつかず、2人はエディルネ近くでまた、試合を再開しました。朝から夜中まで戦っても勝負がつかず、とうとう2人は疲労困憊して死んでしまいました。

それから何年か後、オスマン軍がまたヨーロッパ遠征を行なったとき、死んだ兵士の仲間が、2人を埋葬した場所のすぐそばに、泉が湧き出ているのを見つけました。彼らはこの地を、40人の兵士に因んで「クルク(40)プナル(泉)」と名づけました。

sabah.com.tr

20世紀初頭のバルカン戦争と第1次世界大戦で、サモナはギリシア領になりました。その後、クルクプナル・オイルレスリングは中断したり、他の場所で行われたりしましたが、1923年、トルコ共和国が誕生した翌年、エディルネ教育局のハビブ・セヴュク局長が競技を復活させました。それ以来、大会は毎年、エディルネで開催されています。

大会の勝者にはバシュペヒルヴァン(レスラー頭)という称号と賞金が贈られます。オスマン時代には賞品として、純血種の馬やラクダ、牡牛が贈られたそうです。


自然破壊に抵抗する黒海岸の勇気ある女性たち

働き者で、勇気もあると言われる黒海地方の女性たちが、この地方に計画されている“グリーンロード”プロジェクトに反対する抵抗運動の中で、自然保護のシンボルになっています。

 Hurriyet

山岳地帯の自然とライフスタイルを守ろうという女性たちの努力は、2,3週前、“抵抗するおばさん”ラビア・オズジャンの姿がソシアルメディアに流れて、世の注目を集めました。

黒海地方では、勇敢な女性はオズジャンおばさんだけではありません。女性たちはみな、清流や環境を破壊する鉱山や水力発電所の建設プロジェクトに抵抗しています

 Hurriyet

ナズル・ゲメト・ウヤヌクさん(27)は、2012年以来、黒海岸アルトゥヴィン県の町アルハヴィで、建設プロェクトに抵抗してきました。女性たちはグループを「スズメ・タカ」と名づけ、女性たちだけでこのエリアを守るためのプロテストを行なってきました。

「アルハヴィは私たちにとって、とても大切なところ。祖先が暮らし、私が育った土地です。
ここの人々は自然と離れて暮らすなんて考えられません。人々の生活は、そっくり自然の中にあるのです」とウヤヌクさんは言っています。「私たちの暮らす場所と未来、そして自然を守るために、私たちは戦いぬきます」

・・・何年か前、アルハヴィで山の中のお家に泊めていただきました。まさに自然と溶け合った暮らしでした。あのお宅のお母さんも、お嫁さんも、プロテストしているのかなあ。


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ラマザン明けの休暇中、サフランボルのホテルは満杯でした

2015年07月18日 | 観光
7月20日 ユネスコの世界遺産に登録され、世界で最もよく保存された史跡のひとつとして知られる北部トルコの町サフランボルが、ラマザン明けの休暇中、ホテルは満杯状態だと、ネジュデト・アクソイ町長が言いました。

 Hurriyet

サフランボルは18世紀から20世紀のオスマン・スタイルの伝統的な家々や建造物で知られています。町はオスマン時代の家々の修復をつづけてきましたが、この35年間で、865軒の60%が修復を終えました。

「町のホテルはいま、内外のツーリストでいっぱいです。この休暇中に、7万人以上のツーリストが滞在すると予想しています」と町長。ユネスコは1994年、サフランボルを世界遺産に認定しました。


自然公園が石炭発電所の建設で石炭灰に蔽われるかも

北西部のチャナッカレ県と西部のバルケシル県の境に位置する「イダ自然公園」が、石炭灰に蔽われる脅威に曝されています。この公園の近くに、石炭発電所の建設が計画されているのです。

 Hurriyet

いままで手つかずの自然のままだった公園が、「チュルプラル石炭発電所」の建設中に放出する灰や埃を浴びることになるかもしれません。しかし、計画されている石炭発電所の環境アセスメント(CED)は、6月10日、環境・都市計画省に認可されています。トルコの建築法では、自然保護エリアの建設プロジェクトはすべて、作業開始の前提条件として、環境アセスメントに従わなければなりません。

25年間、チュプラル石炭発電所が操業すると、6500万トンの石炭が使用されると予想されます。公園は石炭灰に蔽われる脅威に直面しています。環境活動家たちは、チャナッカレのカラビガ地区にはすでに13の石炭発電所があることを力説し、この量は環境だけでなく、人間の健康も脅かすと警告しています。


「オスマンの“秩序と公正”を再現しよう」ダヴトオール首相

アフメト・ダヴトオール首相が、オスマン帝国の“秩序と公正”を、今日の世界にもたらすと宣言しました。7月17日、ラマザン明けのスピーチで、首相は「オスマンの秩序と公正を、現在と未来にもたらそう」と、イスタンブルの公正発展党(AKP)本部で言いました。

 Hurriyet
17日、ラマザン明けの祝いに、イスタンブルのブルーモスクで、支持者たちに手を振るダヴトオール首相(中央)
 

AKP党員たちが「アフメト・ホジャ(先生)、オスマンの時代を再現して」という声に応えて、首相はこの発言をしました。首相はまた、先月の総選挙でAKPが議会の過半数を割った後の政治的展望についても語りました。

元教授であるダヴトオール首相は、2001年刊行の「戦略的深部」という著書で、トルコの地理的・経済的な力とオスマン帝国史の上に描いたビジョンを示しています。「トルコの新しい対外政策」の著者、アーロン・スタイン氏は、今年初め、Hurriyet 紙のインタビューに応えて、「ダヴトオール首相は、AKPが2002年に政権を得た後、政府の中東政策を劇的に変化させた建築家だ」と言っています。

トルコはもっと中東とかかわるべきだという意見に批評家は懐疑的ですが、ダヴトオール首相はエルドアン大統領の後継者に指名される何週間か前、昨年のラマザン中に、そうした批評家たちの疑念を激しく非難しました。


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英国の国会議員がトルコの市民権をとって永住

2015年07月18日 | 
7月19日 5月にトルコの市民権をとったイギリスの議会人ロバート・ウォルターさんは、この国に永住すると言っています。イギリスの保守政党の国会議員で、ヨーロッパ委員会の国会会議代表団長でもあるウォルターさんは、人々も,食物も、暖かさも含めて、トルコが大好きだそうで、トルコ人妻のフェリデ・アルプさん同様、2重国籍を持ちたいと思っていました。

 Hurriyet

「私の妻は2重国籍を持っています。私も持ったほうがいいでしょう? 私たちは2人そろって両国の市民になりたかったのです」と、エーゲ海岸のリゾートの町ボドゥルムの家で、ウォルターさんは言いました。

彼とアルプさんは2011年に結婚しましたが、市民権を得るのに3年待ちました。2人は1年の大半をボドゥルムで過ごすことに決めていましたが、市民権がないと、90日以上はトルコに滞在できないという問題がありました。

「トルコでは予想できない問題も起こります。そのひとつは私の姓の“W”という文字の問題です。トルコのIDカードでは、私の姓は“Walter”でなく“Valter”になっています。私の税金や銀行口座の証書には“Walter”と書かれていますが、市役所では“W”が問題になります」とウォルターさん。

トルコ語のアルファベットには“W”“X”“Q”の文字はありません。従って、IDカードにそれらの文字は使えないのです。因みに、クルド語のアルファベットにはこれらの文字があるので、クルド系の市民にも問題が起こっているそうです。

・・・ワタナベさんもIDカードを所得したら、Vatanabe さんになるんでしょうね。


「核協議の合意は両国の関係を改善するだろう」とイラン大統領

イランのハサン・ロウハニ大統領がエルドアン大統領との電話会談で、イラン核協議の最終的合意の重要性と、ウィーン合意がイランとトルコの関係に及ぼす肯定的影響を力説しました。イランのIRNAによると、ロウハニ大統領は、「この合意はイランと近隣諸国、とくにトルコとの関係に影響を及ぼすだろう。わが国は過酷な制裁を解除されたら、容認できる解決を見出せるだろう」と言ったそうです。

 Hurriyet
写真は2014年1月撮影のもの


ロウハニ大統領はまた、中東の安定を回復させるためのトルコとイランの協力について述べ、「中東諸国は両国の協力に注目している。両国はウインウインの解決を達成できる。中東諸国を動揺させるテロを根絶し、テロ問題と立ち向かうために、両国の協力を強化する必要がある」と語りました。

ロウハニ大統領はトルコに、核問題に関する協力に感謝の言葉を述べました。IRNAによると、エルドアン大統領はロウハニ大統領に祝いの言葉を述べたそうです。「わが国は中東問題でイランと協力する用意がある。両国の緊密な協力によって、問題を解決できる」とエルドアン大統領が言ったと、IRNAは報じています。

トルコ当局はまだ、この電話会談について発表していません。


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ラマザンは終わった。3日間の祝祭

2015年07月17日 | 国内
7月18日 トルコのムスリムも、世界のムスリムも、17日はラマザンのお祝いの準備でした。17日~19日は役所も民間企業も学校もお休みです。ただし、商店はこのときこそかきいれどき、休まず働きます。みんな家族や友人や親戚へのプレゼントを買いに来るからです。街頭の物売りだって休みません。

 Hurriyet
キャンディ屋さんを訪れる主婦たちの顔も晴れやか


ラマザン中は、全国の行政がイフタル(ラマザン明けの夕食)を提供しました。7月15日には、チャナッカレ県のエーゲ海の島ギョクチェアダで開催されたイフタルの会には3000人が参加し、コンサートやスーフィーの修行僧の旋回パフォーマンスを楽しみました。

エルドアン大統領はラマザンの祝辞で、国民の団結を呼びかけました。「国内外で厳しい事態が起こっているときだからこそ国民の団結が大事です。ラマザンの祝典が国民の心をひとつにするよう願います」

人民民主党(HDP)のセラハッティン・デミルタシュ共同党首とフィゲン・ユクセクダー共同党首も「祝祭は人々が憎悪や敵意を忘れ、友情をもって抱きあうときです」というラマザンのメッセージを送りました。


4000年昔のタブレット(書字板)が中央アナトリアで発見された

中央アナトリア・カイセリ県のキュルテペーカニシューカルムの商業地区遺跡が、いま考古学者たちを驚かせています。女性の権利を記したタブレットが、ブロンズ時代の居留地から出てきたのですから!
 Hurriyet

この地方の古代古墳の発掘は1948年から始まっていました。これまでに、ここがアナトリアの記述史が始まった場所であることがわかり、2013年には、中東最大の記念碑的建造物も発見されています。何百年も昔の赤ちゃんのガラガラや、ロバの売買に関する書字板も出土しています。

先月、キュルテペの2015年の発掘が始まりました。発掘隊のリーダーであるアンカラ大学のフィクリ・クラクオール教授は、16日、ドーアンニュースに「この遺跡はアッシリア人の商業情報を知ることができる貴重な書字板のためだけでなく、当時のあらゆる階層の人々の社会生活についての情報を得られる、すばらしい場所です」と語りました。

 Hurriyet


感情のこもった手紙

「女性の権利から、出産時に決められた養子や結婚のことまで、書字板には、4000年昔のアナトリアの、あらゆる種類の文明的社会的データが盛り込まれています。妻から夫への感情のこもった手紙や、姑についての苦情を訴える女性の手紙もあります。こういうものは、帝国の公式アーカイブでは見つけられません」とクラクオール教授。

キュルテペで出土した23,500点の、楔形文字の書字板の多くは、商取引に関するものでした。「キュルテペはアナトリアの開明が始まった場所です。この地域の人々は、アナトリアの他の地域の人々よりずっと早く、読み書きができました。

Hurriyet
博物館に飾られた数々の書字板


キュルテペの書字板の90%はアンカラのアナトリア文明博物館で見られます。いくつかは遺跡にも展示されていますが、まもなく、カイセリに建設中の新しい考古学博物館に移されます。この博物館は歴史的カッパドキア地方で、最も重要な博物館になるでしょう。「この巨大な遺産がユネスコの世界遺産に入ることを期待しています」と教授は言いました。


かつて7万人が暮らした広大な遺跡

古墳エリアの中の居住区では、初期ブロンズ時代、中期ブロンズ時代、鉄器時代、古代ギリシア、古代ローマの遺物が出土しています。最も重要な発見のひとつは、BC2000年の書字板で、これは、当時、アナトリアにはいくつかの王国があり、カニシュ王国が最も有力だったことを示すものです。


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塩湖の水が赤くなった

2015年07月17日 | 国内
7月17日 トルコで2番目に大きな湖トゥス・ギョル(塩湖)が真っ赤になりました。

 Hurriyet

中央アナトリアの塩湖は面積1665平方キロ、冬は氷のようなブルーになり、夏は白く見えますが、その湖の一部が赤く変わっています。色が変わったのは微小な藻類の一種が原因だそうです。

 haber7 com

この地域の研究開発マネジャー、メフメト・サイト・コユンジュ氏によると、この地域は、今年は例年より雨が多かったため、湖の塩分が劇的に影響を受けたのが、湖の色が変わった原因だということです。「塩分レベルが下がるのを防ぐために、微小な藻類がグリセリンとビタミンAを生み出します。ビタミンAは、一般にベータカロチンと言われている化合物をつくります」とコユンジュ氏。

 haberturk com

色の変化は不気味ですが、化合物は人間にも動物にも有益だそうです。「藻類は湖の塩の生産の速度を早め、塩の品質にもよい影響を与えます」とコユンジュ氏は言っています。この有用な化合物を収穫すれば、コスメ産業に利用できるかも?


「PKKとオジャランの会見が許されなければ休戦はない」PKK幹部

 収監中のリーダー(オジャラン)との会見が許されるまで、PKKが休戦に応じることはないと、PKKの幹部ジェミル・バユクが言いました。

 Hurriyet
「オジャランに会わせろ」とPKK幹部


「リーダーのアポ(PKKのリーダー、アブドゥラ・オジャラン)の釈放と自由な交渉条件が実現しなければ、終戦や平和プロセスの話合いはできない」とバユクが、クルド語新聞「アザディヤ・ウェラト」のインタビューで言いました。

「クルド国家をバカにしてはいけない。“イムラル島の隔離”が戦いの原因だ」と、クルディスタン・コミュニティ連合(KCK)の共同議長バユクは言いました。KCKはPKKを含む上部組織で、北イラクのカンディル山中のPKK本部を拠点としています。イムラル島とは、当然、オジャランのこと。オジャランは終身刑の判決を受け、マルマラ海のイムラル島で服役中です。

親クルド政党・人民民主党(HDP)のセラハッティン・デミルタシュ共同議長は、このインタビューの2日前に、PKKに武器を置くよう呼びかけましたが、デミルタシュ氏も自分の呼びかけだけでは足りないと言っています。彼も、PKKに武装放棄させるためには、オジャランの役割は大きいという意見です。


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ギョベクリテペで世界最古の象形文字が発見された

2015年07月16日 | 文化
7月16日 研究者たちによると、南東部シャンルウルファ県の12000年昔の遺跡ギョベクリテペの発掘中に見つかったオベリスクに描かれている絵は、世界最古の象形文字かもしれないということです。

 Hurriyet

「ギョベクリテペで出土したオベリスクに描かれている絵は、世界最初の象形文字と思われます。ハゲワシの翼の中に人間の頭部が描かれ、ステラの下に、頭部のない人間の体が描かれています」と、シャンルウルファ博物館館長で、ギョベクリテペ発掘隊長のエルジャン氏は言いました。
「この絵の周囲に、ツルとかサソリとか、さまざまな絵が描かれています。これは世界最初の象形文字かもしれません。これらは思いつくままに描かれた絵ではありません。私たちはチャタルホユクの遺跡でも、BC6000~5000年の、この種の壁画を見ています」

 Hurriyet

ギョベクリテペで見つかった遺物から、古代の埋葬の習慣について知ることができると、エルジャン館長は言っています。「12000年昔には、墓はありません。死体は屋外に置き、鳥が食べました。こうすることによって、魂が天に昇ると、人々は考えたのです。これは“天空葬”と呼ばれ、ギョベクリテペのオベリスクの絵は、それを描いたものです。ギョベクリテペは世界最古の神殿の発祥地です」

ギョベクリテペは宗教儀式のセンターであり、レーダー調査によって、この地域には23の神殿があったことがわかったと、エルジャン館長は言いました。

 Hurriyet

T型のステラ
発掘隊が“T型ステラ”と呼んでいる2つのオベリスクは向かい合って立ち、その周囲を丸型の小さなオベリスクが取りかこんでいます。オベリスクは、当時の人々が礼拝した聖なる存在を象徴していたのだろうと、エルジャン館長は言っています。

「私たちは“C神殿”の中央ステラの前で、小型の豚の像を見つけました。ステラはギョベクリテペの人々にとって、聖なる存在を象徴していたと思われます。この時代の人々は、毎年、ある時に、これらの神殿に集まり、宣誓と礼拝を行っていたのでしょう。式を終えると人々は平野に帰り、日常の生活にもどったのでしょう」

Hurriyet

保護屋根プロジェクト
発掘現場に保護屋根をつくるためのインフラ作業は終わりました。「ギョベクリテペの発掘現場で出土する遺物を保護する目的で、私たちは保護屋根プロジェクトの準備をしています。クラウス・シュミット教授のご存命中は、教授がこのプロジェクトを主導していらっしゃいましたが・・・私たちは屋根プロジェクトのインフラを終え、いま屋根建設の準備中です」とエルジャン館長は言っています。


国境警備のトルコ軍用車がシリア側から攻撃された

南部ハタイ県のシリア国境近くをパトロール中のトルコ軍用車が攻撃を受け、国境軍はただちに応戦したと、7月15日、トルコ参謀本部が声明文で発表しました。

 Hurriyet
シャンルウルファ県スルジのシリア国境近くで、トルコ側から撮った写真。トルコ兵が警備に立っている。


声明によると、第2国境連隊コマンド隊に属する軍用車が、パトロール勤務中、国境のシリア側のオリーブの繁みから攻撃を受けたそうです。銃弾は歩兵ライフルから30発発射され、狙撃者は4人と思われると、声明は言っています。

その直後、攻撃を受けた軍用車から1300メートル離れた地点にいた軍用車も、シリア側から、歩兵ライフルによる60発くらいの攻撃を受けました。「攻撃に対して、トルコ軍がただちに応戦すると、何人かがシリア方向に逃げて行った」と声明文は言っています。

・・・トルコ軍を攻撃してきたのは、政府軍? IS? トルコ軍を攻撃したら、おまえら、ヤバイよ、と言いたくなりますね。


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エルドアン大統領がジャーナリストを大統領宮殿見学ツアーに招待

2015年07月14日 | 国内
7月15日 エルドアン大統領は7月15日、ジャーナリストたちを、贅沢過ぎると論議の的になっている大統領宮殿見学ツアーに招きました。

 Hurriyet

エルドアン大統領はジャーナリストたちを自分のオフィスに迎えました。オフィスの天井は高さ8メートル。かつてオスマンの宮殿で使われた“ブフール”と呼ばれる香料の香りが漂っていました。

「私がいちばん気に入っている場所はここです。私はここで最大の安らぎを感じます」と大統領はジャーナリストたちを図書室に案内しました。古い手書きの原稿はアンカラの民族学博物館のものだと、エルドアン大統領は強調しました。数点の絵画はイスタンブルのドルマバフチェ宮殿とアンカラ・チャンカヤの古い大統領宮殿に飾られていたものだそうです。

Hurriyet

その後、グループはオスマン・カリグラフィー(書道)が飾られた廊下を歩きました。「このコレクションは、アブドゥラ・ギュル前大統領夫人ハイルニサさんが集めたもので、私たちが引き継ぎました」と大統領は言いました。

 Hurriyet

エルドアン大統領はまた、巨大な大統領センター内の会議場に、2300人収容できるオペラ・ステージがまもなくできあがると発表しました。別棟の住居棟も建設中だそうで、「ここは住居とオフィスに使われます。私はこちらに移ることになるでしょう」と大統領は言いました。


「PKKは絶対に武装放棄しなければならない」HDPのデミルタシュ氏

人民民主党(HDP)のセラハッティン・デミルタシュ共同党首が、クルド労働者党(PKK)に、トルコ政府に対して武器を置くよう呼びかけました。しかし、彼は「私の呼びかけは最終決定にはならない」と強調しました。

 Hurriyet

「PKKに脅威でありつづけることを止めさせる方法は交渉です。われわれの呼びかけが聞き入れられなくても、私はいまも今後も呼びかけつづけます。PKKは絶対にトルコ政府に対して武器を放棄しなけれればなりません」と、デミルタシュ共同党首は14日、民放ハベルテュルクで語りました。

デミルタシュ氏はまた、PKKの収監中のリーダー、アブデュラ・オジャランの役割は、PKKに武器を置かせる決定的要因となることにあると言いました。ダヴトオール首相と公正発展党(AKP)のチームが、連立組閣のための話合いの第1ラウンドとして、HDPの本部を訪れたのは、デミルタシュ氏はこの呼びかけを行ってからまもなくでした。

ハベルテュルクで、デミルタシュ氏はまた、HDPが提示した基本方針を守ってくれれば、AKPとCHP(共和人民党)との連立は“非常に有益だ”とも言いました。


連立組閣協議の第1ラウンドで、AKPとCHPが雪解け

ダヴトオール首相は3野党との協議の第1ラウンドで、各党に暖かいメッセージを伝え、第2ラウンドにも希望を持たせました。

 Hurriyet
7月15日、連立組閣協議の第1ラウンドとして、ダヴトオール首相(中央)は、親クルドの人民民主党(HDP)のセラハッティン・デミルタシュ共同党首(右)とフィゲン・ユクセクダー共同党首と会談しました。


公正発展党の党首であるダヴトオール首相の人民民主党(HDP)本部訪問は、3番目になりましたが、CHPのクルチュダルオール党首やMHPのバフチェリ党首との会談より長くなりました。長いこと棚上げされていた平和プロセスが、ダヴトオール首相とHDP幹部との協議で最大の議題になりました。

「いっしょに武装放棄を起こしましょう。皆さんが呼びかけてください。トルコ中の武器すべてを放棄させましょう」とダヴトオール首相は会談後の記者会見で言いました。首相とHDPの会談は、HDPのデミルタシュ共同党首がPKKに武器を置くよう呼びかけたすぐ後に行われました。

ダヴトオール首相はデミルタシュ氏の呼びかけを“正当な、よいこと”であり、草の根の意志でもあると言いました。会談中、首相はデミルタシュ氏のことばを引用し、「民主主義は育っています。武器は最小限まで減らし、やがてゼロにするべきです」と言いました。「AKPの13年間で民主的改革は大きく行われましたが、武装解除はまだできていません。平和プロセスが再開したら、その時はHDPが武装解除に貢献しなければなりません」


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黒海岸の地元民が道路建設に反対。コマンド隊も出動の騒ぎに

2015年07月13日 | 国内
7月13日 黒海岸の町リゼの地元民グループが人間の鎖をつくって、道路建設のブルドーザーを阻止し、コマンド隊が出動する騒ぎになりました。

 Hurriyet
ソシアルメディアのスターになった“レジスタンスおばさん”ハヴァ・ベカルさん


政府は、北部トルコに2600キロの道路をつくり、8県の高原牧草地を結ぶ“グリーンロード”プロジェクトを進めています。

 Hurriyet

このプロジェクトに対する激しい抵抗が、リゼのチャムルヘムシン地区で起こりました。地元民は道路の建設で、手つかずの自然の中に家屋や工場が建設されることを恐れ、ユカル・カヴン高原とサミスタル高原を結ぶ道路建設に反対しているのです。

7月10日、地元民グループはブルドーザーがサミスタル高原近くで動きはじめたことを知りましたが、道路の真ん中に壊れたブルドーザーが置かれて、彼らは車で工事現場に行くことができませんでした。

 Hurriyet

7月11日、300人ほどの人々が、石を運んで、べつの道をつくり、コマンド隊が警備している工事現場に到着しました。地元民グループはコマンド隊に臆するところなく、ブルドーザーの前に立ちはだかり、工事を中断させました。

グループの最年長のハヴァ・ベカルさんは、ソシアルメディアで注目を集めました。彼女は棒切れを片手に、治安部隊を非難しました。「こんな道路は要らないよ。政府って、だれだ? 政府は私らのおかげで、政府になったんだろ」

 Hurriyet

夕方、憲兵隊が現場に到着し、活動家たちを現場から強制排除しました。

 Hurriyet

黒海岸地方を変容させる建設プロジェクトは、最近、中央政府と、直接影響を受ける地元民の間の紛争の種になっています。

・・・リゼは全国一のお茶の産地です。丘の斜面に茶畑がひろがる、のどかな風景です。


国会代表者委員会の野党メンバーが大統領宮殿訪問を拒否

国会代表者委員会の3野党のメンバーが、エルドアン大統領への儀礼訪問を拒否したと、7月12日、Hurriyet 紙が報じました。拒否の理由は、この訪問が論議の的になっている大統領宮殿で行われるためだそうです。

 Hurriyet

イスメット・ユルマズ新国会議長が、国会代表者委員会の18人のメンバーに、委員会の選挙の終了に際して、エルドアン大統領への儀礼的訪問に参加するよう要請しました。18人のメンバーのうち、8人は公正発展党(AKP)、4人が共和人民党(CHP)で、愛国者運動党(MHP)と人民民主党(HDP)が3人ずつです。

7月11日、ユルマズ新議長は最初の会合で、大統領との会見のために予定を取っておくよう委員会メンバーに依頼しました。しかし、CHPとHDPのメンバーは大統領宮殿での会見には反対すると言いました。HDPのスルル・シュレイヤ・オンデル議員は、「ユルマズ議長の派遣団に参加する気はない」と茶化しました。

エルドアン大統領が大統領宮殿の外の住居で委員会と会うことを受け入れれば、訪問は行われるでしょう。でなければ、訪問には、AKPの8人のメンバーだけが参加することになるでしょう。


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イスタンブル西部で難民キャンプ建設に反対の声

2015年07月11日 | 国内
7月12日 イスタンブルのチャタルジャ地区に難民キャンプを建てる計画に、一部の市民組織と、チャタルジャのジェム・カラ区長が反対の声を上げました。

 Hurriyet

「平穏なこの地域の静けさを、難民キャンプによって壊したくありません」と、カラ区長が言っていると、7月10日、ラディカル紙がニュースサイトで報じました。カラ区長は共和人民党(CHP)ですが、多くの市民組織が区長とともに、キャンプ建設反対の陳情を始めました。

「当局が、この地域は農業用地と集水地域と決めたのですから、チャタルジャには、建築物はいっさい建てられないはずです」とカラ市長は言っていますが・・・。


ウイグル人追放に対する抗議後、アンカラのタイ大使館が閉鎖した

ムスリムのウイグル人をタイが中国に強制送還したことに対し、トルコで抗議の声が上がりましたが、金曜、タイ政府は駐トルコ大使館と領事館を閉鎖しました。

 Hurriyet

イスタンブルで、反中国のデモ隊がタイ領事館を襲い、看板を引きおろし、器物を破損したため、アンカラのタイ大使館とイスタンブルのタイ領事館は一時閉鎖しました。

新疆ウイグル自治区には、トルコ語を話し、ほとんどがムスリムである少数民族ウイグル人がいますが、彼らが中国政府に文化的・宗教的弾圧を受けていると報じられたため、ウイグル人に親近感を持つトルコ人の間でプロテストが起こりました。

軍事政権が支配する王国タイは、6月、新疆から逃げてきたウイグル人、ほとんど子供と女性172人をトルコに送りましたが、7月8日には、約100人のウイグル人が中国に強制送還されました。アメリカを初め、人権団体、国連は、中国のウイグル人国外追放に避難の声を上げています。

7月9日、アメリカはタイを非難し、失望を表明する声明を出しました。「7月9日、100人余のウイグル人を中国に強制送還したことを非難する。彼らは中国帰国後、厳しい処遇を受けるかもしれない」

・・・東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)の旗を振っている写真の男は、トルコ人ではなく、トルコ在住ウイグル人でしょう。


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島に住むウサギたちに14年間、水を運ぶ人々

2015年07月10日 | 国内
7月11日 西部ムーラ県マルマリス地区のコルサン島に住むウサギたちは、地元の人たちが14年間、飲み水を運んでやっているおかげで、生きのびてきました。

Hurriyet

クズクム・ビーチ近くのオルハニエ湾に位置するこの島は、15年前に放たれた30匹のウサギが、いまは300匹以上に増えています。ウサギたちが生きのび、繁殖することができたのは、クズクム海岸の水上スポーツ施設の経営者と作業員たちが、300メートル離れた海岸から島へ、定期的に水を運んでいるからです。

施設の経営者フェルハン・アタシュさんは、「15年前、30匹のウサギが島に放たれましたが、雨が降らなかったとき、ウサギたちは死にはじめました。それで、地元の人々がウサギのために、飲み水を運びはじめたのです」と言いました。

 Hurriyet

「14年間、私たちは、小船やスピードボートで、1日おきに島に水を運んできました。私たちは古くなったパンや、スイカなどフルーツも与えています。ウサギはいま、300匹くらいでしょう」と彼は言い、ウサギたちのために、半永久的な対策を考える必要があると付け加えました。


親ウイグル集団がアジア人旅行者を中国人と見て攻撃

中国からタイへ逃げたウイグル人をタイ政府が中国へ送還したことに抗議して、アンカラのタイ大使館の前でデモを行っていた集団が、アジア人女性旅行者を中国人と見て攻撃しようとしました。

 Hurriyet

200人のウイグル人をタイ政府が中国に送還したことに抗議する集団が、イスタンブルのタイ領事館を攻撃した翌日の7月9日、アンカラで他の集団がタイ大使館の前でデモを行いました。この集団は、通りかかった女性ツーリストを中国人とまちがえ、攻撃しようとしましたが、群衆の中の1人の男が女性を助け、彼女は無事逃げられました。

タイ大使館前に集まった集団は、国粋主義的・宗教的スローガンを唱え、「トルコ人はウイグル人を守れ」「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」と叫んでいました。集団はその後、中国大使館へ向かい、建物に入ろうとしたため、機動隊が催涙ガスで排除しました。中国がウイグル人を弾圧しているという報道が流れた後、過激国粋主義者たちがアジア人を攻撃する事件が起こっています。

愛国主義者運動党(MHP)のデヴレト・バフチェリ党首は、Hurriyet 紙のインタビューで、国粋主義者のアジア人に対する攻撃を軽視し、「アジア人はみんな釣り上った目をしているから、彼らを区別するのはむずかしい」と言いました。

・・・中国政府のすることに腹が立ったからといって、中国人ツーリストを攻撃しようなんて、とんでもないヤツラですね。バフチェリも、この程度の人間なんですね。


イスタンブル警察がISIL募集者の捜索を始めた

イスタンブル警察テロ対策部隊は、7月10日、夜明けの捜査を行い、ヨーロッパでのISILの募集に助力していると思われる容疑者、少なくと30人を逮捕しました。

 Hurriyet

イスタンブル・ガジオスマンパシャ地区のユルドゥス・タブヤのテマシャ通りのアパートを初め、多くの住居が手入れの対象になりました。早朝の手入れで捕まった容疑者たちは、健康チェックのため、ファティフ区のハセキ訓練研究病院に送られ、その後、尋問のためイスタンブル警察に送られました。


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