7月21日 イスタンブルの中心イスティクラル通りで、身元不明の男が発砲し、5人を負傷させました。男は5人のグループと口論していたそうです。
Hurriyet
観光客の多いイスタンブル・ベイオール地区のイスティクラル通りで、7月20日午前5時頃のことでした。グループ5人のうちの4人が負傷し、通りがかりのツーリスト1人も脚に負傷しました。目撃者が警察に通報し、すぐに警官と医療チームが到着しました。警察は証拠を集め、容疑者の捜索を開始。負傷者たちはシシリ訓練研究病院へ搬送されました。
・・・口論していて発砲というのですから、ISとかテロリストではなさそうですね。それにしても、街中で軽々しく発砲しないで欲しい。
・・・口論していて発砲というのですから、ISとかテロリストではなさそうですね。それにしても、街中で軽々しく発砲しないで欲しい。
伝統のオイルレスリング(ヤール・ギュレシュ)選手権がまもなく開催
24日~26日、トラキアのエディルネ県に2000人以上のレスラーが集まり、「第654回クルクプナル・ヤール・ギュレシュ(オイルレスリング)選手権大会」が始まりますが、今年は見物客も記録破りになるだろうと予想されます。
Hurriyet
そこで、トルコ伝統のオイルレスリングについて:-
最古のスポーツ
今年で654回になる競技大会「クルクプナル・オイルレスリング大会」は1361年に始まりました。2010年には、ユネスコに“無形遺産競技”に認定され、2001年には、ギネスの世界記録で、最古のスポーツ競技と認定されました。
最古のスポーツ
今年で654回になる競技大会「クルクプナル・オイルレスリング大会」は1361年に始まりました。2010年には、ユネスコに“無形遺産競技”に認定され、2001年には、ギネスの世界記録で、最古のスポーツ競技と認定されました。
Hurriyet
オイルレスリング発祥の伝承
レスリングの発祥は、オスマン帝国の建設者オスマン1世の息子オルハン・ベイ(1326~1362)の治世、オスマン帝国が初めてヨーロッパ遠征を行ったときにさかのぼります。オスマン軍はトラキアの一部を征服し、帝国の本拠地ブルサに引き上げる途中でした。
レスリングの発祥は、オスマン帝国の建設者オスマン1世の息子オルハン・ベイ(1326~1362)の治世、オスマン帝国が初めてヨーロッパ遠征を行ったときにさかのぼります。オスマン軍はトラキアの一部を征服し、帝国の本拠地ブルサに引き上げる途中でした。
sabah.com.tr
40人の隊の中の2人の兵士が、いまのギリシャ領のサモナで休憩中の遊びに、レスリングを始めました。勝負はなかなかつかず、2人はエディルネ近くでまた、試合を再開しました。朝から夜中まで戦っても勝負がつかず、とうとう2人は疲労困憊して死んでしまいました。
それから何年か後、オスマン軍がまたヨーロッパ遠征を行なったとき、死んだ兵士の仲間が、2人を埋葬した場所のすぐそばに、泉が湧き出ているのを見つけました。彼らはこの地を、40人の兵士に因んで「クルク(40)プナル(泉)」と名づけました。
それから何年か後、オスマン軍がまたヨーロッパ遠征を行なったとき、死んだ兵士の仲間が、2人を埋葬した場所のすぐそばに、泉が湧き出ているのを見つけました。彼らはこの地を、40人の兵士に因んで「クルク(40)プナル(泉)」と名づけました。
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20世紀初頭のバルカン戦争と第1次世界大戦で、サモナはギリシア領になりました。その後、クルクプナル・オイルレスリングは中断したり、他の場所で行われたりしましたが、1923年、トルコ共和国が誕生した翌年、エディルネ教育局のハビブ・セヴュク局長が競技を復活させました。それ以来、大会は毎年、エディルネで開催されています。
大会の勝者にはバシュペヒルヴァン(レスラー頭)という称号と賞金が贈られます。オスマン時代には賞品として、純血種の馬やラクダ、牡牛が贈られたそうです。
大会の勝者にはバシュペヒルヴァン(レスラー頭)という称号と賞金が贈られます。オスマン時代には賞品として、純血種の馬やラクダ、牡牛が贈られたそうです。
自然破壊に抵抗する黒海岸の勇気ある女性たち
働き者で、勇気もあると言われる黒海地方の女性たちが、この地方に計画されている“グリーンロード”プロジェクトに反対する抵抗運動の中で、自然保護のシンボルになっています。
Hurriyet
山岳地帯の自然とライフスタイルを守ろうという女性たちの努力は、2,3週前、“抵抗するおばさん”ラビア・オズジャンの姿がソシアルメディアに流れて、世の注目を集めました。
黒海地方では、勇敢な女性はオズジャンおばさんだけではありません。女性たちはみな、清流や環境を破壊する鉱山や水力発電所の建設プロジェクトに抵抗しています
。黒海地方では、勇敢な女性はオズジャンおばさんだけではありません。女性たちはみな、清流や環境を破壊する鉱山や水力発電所の建設プロジェクトに抵抗しています
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ナズル・ゲメト・ウヤヌクさん(27)は、2012年以来、黒海岸アルトゥヴィン県の町アルハヴィで、建設プロェクトに抵抗してきました。女性たちはグループを「スズメ・タカ」と名づけ、女性たちだけでこのエリアを守るためのプロテストを行なってきました。
「アルハヴィは私たちにとって、とても大切なところ。祖先が暮らし、私が育った土地です。
ここの人々は自然と離れて暮らすなんて考えられません。人々の生活は、そっくり自然の中にあるのです」とウヤヌクさんは言っています。「私たちの暮らす場所と未来、そして自然を守るために、私たちは戦いぬきます」
・・・何年か前、アルハヴィで山の中のお家に泊めていただきました。まさに自然と溶け合った暮らしでした。あのお宅のお母さんも、お嫁さんも、プロテストしているのかなあ。
「アルハヴィは私たちにとって、とても大切なところ。祖先が暮らし、私が育った土地です。
ここの人々は自然と離れて暮らすなんて考えられません。人々の生活は、そっくり自然の中にあるのです」とウヤヌクさんは言っています。「私たちの暮らす場所と未来、そして自然を守るために、私たちは戦いぬきます」
・・・何年か前、アルハヴィで山の中のお家に泊めていただきました。まさに自然と溶け合った暮らしでした。あのお宅のお母さんも、お嫁さんも、プロテストしているのかなあ。
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