あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

ロンドン條約問題の頃 2 『 藤井齊の同志に宛てた書簡 (1) 』

2021年09月07日 05時27分11秒 | 藤井齊


藤井齊 

・・・前頁 ロンドン條約問題の頃 1 『 民間團體の反對運動 』 の 続き

軍部と政党との正面衝突
眞に注意しなければならないのは、流の本當の力をなす陸海軍部全体が、
この問題によつて反政党の立場に立ち、そして陸海軍の急進分子間に提携、連絡を生じた事である。
其の間の事情に付ては、之を知るべき文章記録を存しないが、
當時 帝都に近き霞ケ浦航空隊にあつて、海軍側革新派の中心であつた
藤井齊より九州熊本の同志に宛てて、中央の情勢を報告した書簡によりてその大略を窺ふことが出来る。

(1)  昭和五年一月二十二日附
    霞ケ浦航空隊藤井齊より九州の同志に宛てたるもの

御書簡有難く拝見、
中央の情勢いささか申し述べ僕の意見もそへ度存候。
日本國民党は八幡博堂氏 ( 土佐の人、信州に長く在り 痛快男子、三十歳位新聞関係の人 ) が信州國民党を組織し、
此地に於て日本大衆党を奪還し、勢を得、行地社に合同を申し込みたる様子、
長野氏、津田氏個人として之に加る。
西田氏またかの不戰條約問題に於ける内閣倒壊の際、
頭山、内田翁一派 及 明徳会より信州國民党を擴大して大衆自覺運動のために、日本國民党は組織せられたり。
それ以前に、西田氏、津久井竜雄氏 ( 高富門下 ) 中谷武世の三名にて大衆運動をなさんとする議ありたり。
ここに於て此等の人々は皆、日本國民党結成準備會には出て相談しつつありき。
その内 中谷、津久井氏等は地盤を別にして、愛國大衆党を組織し各々別方面に戰ひ、
將來は合同せんとの約束にてこの二党 ( ( 註  日本國民党、愛國大衆党 (愛國勤労党と後に改稱) )) に分れたり。
然るに中谷氏は性格的に、國民党を嫉妬せる傾向にて、日本新聞紙上に國民党広告を妨害せりとの批難あり
又 對立せんとの意味にて大衆党を急造し、地方代表は獨斷にて相談なしに發表せりとて、
これ等の人々より不満の聲擧れり。
呉の毛利氏亦然り、
大衆党は津久井氏の急進愛國勞働者聯盟 ( これも有力なる團體は分裂せり ) を唯一の地盤となし
今や殆んど有名無實の態たらくなり。
綾川氏 ( 綾川武治 ) は直接關係なきが如し。中谷氏獨舞台の如し。
田口氏 ( 田口康信 ) は客分の形、目下東京近傍にて一二ケ所に靑年及勞働者の塾を拵へ、
これを以て改造に當たらんとせられつつあり。
羽田に四、五十名の團體あり。奈良に江藤少將が組織せる大和民衆 ( 農民 ? ) 党あり。
對等の合同ならばなすも、支部としては賛成せずと主張の由。
兎に角、大衆党は大をなさず國民党に糾合せらるゝやの感あり。
但し、綾川、田口氏等は直ちに合同すまじ。

國民党は大車輪の働きをなしつつあり。
八幡氏大いに戰ひつつあり。
二道三府二十五県に組織官僚せりと。
その執行委員長は北氏一派の寺田氏 ( 秋水会 ) なり、
統制委員長は西田氏、幹部の肝は政治的大衆運動にあり。
今度の選擧にも代議士として當選可能の所は大いに戰ひ、然らざる所も大衆獲得のため戰ふ由。
僕思ふに、この党の将来幾多の曲折あらむも、その目的は経済社会問題をかかげて政治闘争をなす等より、
大衆の自覺糾合組織をなすにあるべしと。
議會進出も亦一の方法たるが故になさざるべからざる事、
然れども最も大事なるはこの大衆の組織の外に、戰闘的分子の血盟に依る革命手段にあり、
そは大衆を率いこの大勢を以て壓倒するか、或は戰闘的分子のみを以てするかはその時による。
行地社の腹は陸軍軍人にあり。
然れども隠忍自重に過ぎて容易に大川氏は之をあかさず今や人材も離れたり。
西田氏は金解禁に際して安田銀行の不正貸出し大穴ありと暴露し、
又 井上蔵相の○○○○事件を摘發し其他首相に金の入りこめることを暴露し、
内閣倒閣を企てたるも早く知られて恐らくは失敗ならむ。
政党を叩き潰してヘトヘトになすにあり。
選擧を何回も繰り返さすれば既成政党は立つ能はざるに至る。
中央の情勢は大體此の如し。
九州には獨立に九州國民党を組織するを可なりと信ず。
要は大衆の自覺奮起とその組織にあり。
その中に戰闘的分子の血盟を目論むを要す。
大衆自覺なくんば維新あらむも失敗に歸す。
而して改造の端緒は、大衆の經濟的貧窮の原因を知ること、才能あるも學校に入れず、
出世は出來ず、黄金大名の奴隷たる境涯より自由ならむとする氣運を爆發せしむるにあり。
このために既成指導階級の不正義暴露及倒壊運動の必要あり。
彼の不戰條約は機運すら段々似而非日本主義者は淘汰せられつつあり。
日本精神に綜合せられたる社會主義が本流をなしつつあり。
但し改造具體案未だ確立せるものなし。
今度は中央集權的官吏制度は打破せられ社稷體統の純日本的制度たらざるべからず。
この制度研究に三代を費せる久留米出身の権藤翁を初めて知れり。
學識高邁未だ此の如きを知らず。
その著 『 自治民範 』 は必讀の良書。
僕等佐賀の同志野口君 ( 今水戸の県廳に務む拓大出の靑年 )
( 註 金鶏學院安岡の門下にて井上昭、藤井齋の聯絡の端緒を作り、
又 井上を金鶏學院に關係せしめ、金鶏會館にて四元義隆
、池袋正釟郎と相結ぶ機縁を作る )
と我等の友人三四名にて毎月一二回翁を訪ひ改造案を練ることに約せり。
この地方 ( 茨木県下 ) には靑年に二、三、中年に二名 眞の同志あり。
靑年の中に大いに革命の氣運の捲き起さんと思ふ。
事をなすは靑年なり。
・・・・以下略。

「 右翼思想犯罪事件の綜合研究 」 ( 司法省刑事局 )
これは「 思想研究資料特輯第五十三号 」 (昭和十四年二月、司法省刑事局 ) と題した、

東京地方裁判所斎藤三郎検事の研究報告  
第四章  ロンドン軍縮条約と其影響 
現代史資料4  国家主義運動1 から

次ページ 
ロンドン条約問題の頃 3 『 藤井斉の同志に宛てた書簡 (2) (3) 』 に続く


ロンドン條約問題の頃 3 『 藤井齊の同志に宛てた書簡 (2) (3) 』

2021年09月05日 18時53分39秒 | 藤井齊


藤井齊 

軍部と政党との正面衝突
真に注意しなければならないのは、流の本当の力をなす陸海軍部全体が、
この問題によつて反政党の立場に立ち、そして陸海軍の急進分子間に提携、連絡を生じた事である。
其の間の事情に付ては、之を知るべき文章記録を存しないが、
当時 帝都に近き霞ケ浦航空隊にあつて、海軍側革新派の中心であつた
藤井斉より九州熊本の同志に宛てて、中央の情勢を報告した書簡によりてその大略を窺ふことが出来る。

(2)  昭和五年四月八日附霞ケ浦航空隊藤井齊より九州の同志に宛てたるもの
昨日 西田氏訪問。
北---小笠原---東郷---侍從長、内閣打倒 ( 勿論 軍事參議官、樞府 ) 不戰條約の場合と同様
軍令部長一日に上奏をなし得ざりしは、西園寺、牧野、一木の陰謀のため、言論其他の壓迫甚しい。
小生、海軍と國家改造に覺醒し、陸軍と提携を策しつつあり。御健戰を祈る。

(3)  昭和五年五月八日附霞ケ浦航空隊藤井齊より九州の同志に宛てたるもの
先日は御書簡有難く拝見。
牛深 ( 熊本県下 ) への轉任の由、それ以上西へ行かば何処に行かるる積りなりや十萬億土あるのみか。 呵々。カカ・・笑
軍縮問題は天の下せる命運であつた。 ( 中略 )
議會中心の民主主義者が明かに名乗りを上げて來たのである。
財閥が政權を握れる政党、政府、議會に對して國防の責任を負ふと云ふし、
浜口は軍令部、參謀本部を廢し、帷幄上奏權を取り上げ、軍部大臣を文官となし、
斯くて兵馬の大權を内閣即ち政党の下に置換へて、大元帥を廢せんとする計畫なり。
今や政權は天皇の手を離れて最後の兵權迄奪はんとす。
不逞逆賊の政党 ( 財閥 ) 學者所謂無産階級指導者、新聞、彼等は天皇を中心とせる軍隊に刃を向け來つた。
戰は明かに開始せられた。
國體變革の大動亂は捲き起されつつある。
我等は生命を賭して戰ひ、彼等を最後の一人迄もやつつけなければならぬ。
海軍の中で靑年士官は勿論、將官級の有力なる人が同志となつた。
陸軍の靑年士官と提携は出來た。
而して又陸軍の重鎭或師團長と海軍のそれとの提携も成つている。
○○中にも一名ある。
北氏一派と陸海軍との聯絡は出來た。
これからは益々この結束を固め、深くし、広くし、勃々然たる力となさねばならぬ。
而して生野と大和の旗擧が又必要、民間同志の火蓋を切る必要がある。
恐らくはここ數年であらう。
これ總て先輩同志の言、急迫せる ( 不明 ) 御察を乞ふ。
當地方には有力眞劍の士數名あり、明日會合。
小生はこの問題を促へ活動している。先日は同志數名と海軍省に海軍次官を訪問した。
職權を以て追ひ出すと云ふ迄突込んで行つた。
今相當のセンセイションを捲き起している様子。愛國提言はこれはと思ふ聯中に皆配つた。
鈴木は又一方を會明隊に配つた。
當隊の司令を中心として軍令部長其他へどんどん迫つている。
内閣も近い内に倒れるであらう。
然し其はほんの一部のこと、只糸口に過ぎない。
軍部對政党の溝深刻化しつつあり。只軍人中の ヌエ をたたき切る必要がある。
北氏は軍令部長、同次長にも會つて最後の方法の処迄話したと云ふ。
軍令部の中には段々明らかに解つて來た。
一途は革命維新に通じている。陸、海、國民、の三軍の聯絡はここに取られた。
要は氣運の作成と、同志の鐵の如き團結にある。
希くはこの氣運の急迫を察し、益々御奮戰下さらむことを。
死を決するの用意己にととのへり。
小生は全力をあげて大局の運行に力をつくす。 決意。


「 右翼思想犯罪事件の綜合研究 」 ( 司法省刑事局 )
これは「 思想研究資料特輯第五十三号 」 (昭和十四年二月、司法省刑事局 ) と題した、

東京地方裁判所斎藤三郎検事の研究報告 第四章  ロンドン軍縮条約と其影響
現代史資料4  国家主義運動1  から

次ページ 
ロンドン条約問題の頃 4 『 藤井斉の同志に宛てた書簡 (4) (5) (6) 』 に続く


ロンドン條約問題の頃 4 『 藤井齊の同志に宛てた書簡 (4) (5) (6) 』

2021年09月03日 09時06分23秒 | 藤井齊


藤井齊 

軍部と政党との正面衝突

真に注意しなければならないのは、流の本当の力をなす陸海軍部全体が、
この問題によつて反政党の立場に立ち、そして陸海軍の急進分子間に提携、連絡を生じた事である。
其の間の事情に付ては、之を知るべき文章記録を存しないが、
当時 帝都に近き霞ケ浦航空隊にあつて、海軍側革新派の中心であつた
藤井斉より九州熊本の同志に宛てて、中央の情勢を報告した書簡によりてその大略を窺ふことが出来る。

(4)  
昭和五年六月七日附當時霞ケ浦航空隊附なりし藤井齊より九州熊本の同志に宛てたるもの
拝啓
先日の大暴風雨は近來稀なるもの、九州地方の損害甚大なりし由 如何御座候也。
農村の疲弊、農民の苦勞、全國町村長會議愈々時機通り來申候。
八月の休に九州迄遊びたきも或は不可能なるやも知れず。
大兄若し出馬關東に來られなば住むべき処有之、水戸の近く大洗と云ふ所に眞乎革命家あり。
井上昭氏也。
護國堂とて日蓮の寺に住す。
氏も亦 大兄の來るのを喜び居り候。
又 氏の親友同志 熊本市外花岡山祇園平三恵庵前田虎雄氏と御聯絡御とり下され度候。
右御見舞迄。

(5)  昭和五年八月十四日附當時霞ケ浦航空隊附なりし藤井齊より九州の同志に宛てたるもの
御書簡拝見
憂國概言のことに付出版違反とかにて謹愼一週間を命ぜられたり。 面白い世の中なり。
樞府は強硬論者八名、議長、副議長伊東、金子等もその内。
伊東は總理になりたいと言ふ。政府の斷末魔なり。
政友の森恪は面白き奴と云ふ。やや革命を解するか。
--中略--
九州にては ( 太刀洗飛行四聯隊 ) 大尉原田文男、中尉小島竜己 ( 鹿児島四十五聯隊 ) 中尉田中要、中尉菅波三郎
( 都城二十三聯隊 ) 少尉下林民雄、中尉朝井憲章  ( 福岡二十四聯隊 ) 中尉小河原清衛、同西村茂
( 大村歩兵四十八聯隊 ) 中尉末松竜吉 ( 佐賀大隊 ) 若松満則 ( 大分歩四十七聯隊 ) 少尉鎌賀晴一
を御訪問。
急を要する時期是非御訪問。
人物をたしかめ本物は聯絡固くせられ度し。御願す。
若松は面識あり。其他も大丈夫との話はあり。
御訪問後はお知せ下され度。

(6)  昭和五年八月二十一日附當時霞ケ浦航空隊附なりし藤井齊より九州の同志に宛てたるもの
( 御一讀後焼却を乞ふ )
御書簡有難く拝見。
--中略--
日本の堕落は論無き処なり。在京の同志といふも局地に跼躋して蝸牛角上をなす。
多く頼む可らず。
北---西田 この一派最も本脈なり。
先の不戰條約問題以來 北---小笠原長生---東郷。
今度の海軍問題に於て
陸  第一師團長  眞崎甚三郎
海  末次信正    加藤寛治
( こは積極的に革命に乗り出すことは疑問なれども軍隊の尊嚴のためには政党打倒の決心はあり )
霞ケ浦航空隊司令小林省三郎少將、長野修身 ( この二人は兄弟分 )
而して
○○○○○○
は北、西田と會見せり。
第一師と大いによし。
一師、霞空は會見せり。
斯くて革命の不可避を此等の人々は信ぜり。
然れども之をして起たしむるは靑年の任なるは論をまたず。
四十を過ぎたる者は自ら起つこと稀なるべし。
豫後備にて有馬良橘大將よし。

西田氏等今や樞府に激励すると共に、政党政治家資本閥の罪状暴露に精進しつつあり
( 牧野の甥、一木の子、大河内正敏の子が共産党にして、宮内省内に細胞を組織しつつあること攻撃中 )
所謂怪文書は頻りに飛びつつあり。
財部は武人が云ふことをきかざるを以て、文官たる法務官を使用して各方面に了解を求めつつあり。
憲兵司令部にある同志は之もつかまへて掘り出さんと計劃中の由、吉村と云ふ法務官なり。
小生等もこれに調べられたり。
今や 『 憂國概言 』
は出版法違反とかにて謹愼を申渡され始末つきたけれども餘罪ある見込とか、
即ち我々の同志運動を極力この目明し文吉が取調べ中なり。
御要心ありたし。
文書の始末は十分に御願ひす。

東京憲兵分隊長は同志なり。
憲兵は一般に警察よりはこの運動に理解あり。

安岡正篤は國家の基礎工事を受持ち、現代文化に汚されたる農村の靑年を集めて晴耕雨読、
哲学と經綸と詩と与ふ可く東京附近に山林を買ひ入れたり。
即ち権藤先生の自治思想を以て國礎を固め、人物の續出、革命の長養をなさんとす。
これも大いに必要なり。
明治維新の失敗はこの欠乏にあり。
眞の革命児は第一線に倒れ、第二流以下の人物朝に起れり。
制度は總べて官僚的國家主義---獨逸---を模倣し、
今や英國流の政党専制、天皇輕視の實現に努力する時代となれり。
第二維新にこの欠陥あらしむべからず。
---権藤先生の書は後送する筈。
先生は現代に於ける第一の經綸家也、大化革命に於ける南淵先生也、
安岡氏は北氏と提携する可能大いにあり。自ら名言せり。
時勢逼迫せば提携せざるべからず。

大川氏は北氏に離れ行動中。
只その牧野 ( 牧野伸顕 ) によつて大權降下を考へ居ると言ふは當人之に讃せず。
故に大川氏を救ふの道は牧野を倒すにあり。
然らば北氏と合一せんか。
大川氏の下には金子中佐あるのみ。具體的の運動は爲し居らず。
皆この一味は氏によつて何事かなさんとするもの、積極的ならず。

満川氏はあまり活動し居らず。北氏とはよし。
田口氏も學者なれば打開には多くを望むべからず。
今は妻は病床に臥し、児は飢になきつつ然も塾を開き、ささやかながら活動中の心事察すべし。

日本國民党は寺田氏しつかりせず。八幡氏また金なければ働けざる人物、
西田氏手を引いてより有名無實なり。
---手を引きしは財界攪乱の怪文書事件に頭山翁がおこりしためなり。
鈴木善一君のみはしつかりし居る ( 井上日召氏下に現今在り )

内田良平翁が大日本生産党なるものを計畫中、之は生産者を第一とせる党。
大本教 を土台にせむとの考、成功難からむ。
國民党はこれに合同するやも知れず。今や殆んど取るに足らず。
斯る運動は本脈にあらず、末の問題なり。
潰す方或は可ならむ、若し作るとせば西田氏を當主として表面政党、
裏面結社のものたらしめて農民労働者を團結せしむべきのみ。

愛國社勤勞党も有名無實なり、中谷氏はヒステリーにして同志より嫌はれつつあり。
綾川氏は日本新聞に籠りて筆を振ふのみ、實兵殆んどなし。
津久井氏の一統は團結最も健固なり。高富の國家社會主義一派也。
同氏は有望、西田氏ともよし。
元々、日本國民党は、西田、津久井、中谷 三氏にて計畫せしもの
途中に別れし時も只方面を異にして活動せむと兄弟的に成立したる党也。
欠陥はここにあり。
中央の状況 以上の如し。

人、夫々運動の方針を異にす、己の立場を固守して人に下らず、性格のためもあり、功名心もあり。
---即ち俺の地盤の者を引張つたからと何かと言ふものあり、
この人民を利用する心---既成政党、無産党式の心理起る時 日本主義者も堕落なり。
人を利用して己の地歩を占め、功名を高からしめんとす、悲しむべき人性也。
或は新日本の崩壊もここに原因せむか、嚴重に戒しむべき點なり。
この故に眞の革命家を養ひ、團結し、續出せしむべきを要す。

小生の方針は
民間に於ては、北、西田氏を中心とし
海軍に於ては、末次、小林を中心とし
陸軍は眞崎、荒木 ( この二人はよし ) を中心とし、
而して
○○○○を戴き ( ○○○は○○○○と最もよし、○○○には御帰朝後手を伸さむ )
この團結を以て斷行せむとす。
今や海軍軍人の日米戰爭を望むや切なり。
一九三六年以後は勢力益々衰ふる故に、同年頃は開戰すべしと云ふものあり。
然れども飛行機等實戰に使用し得るものは八十機に過ぎず、在庫品は一機もなし。
機械の不良なる、十年は後れたり。
財政は立ち行かず。地方は極度に衰へ、人心の萎縮此の如し。
戰ふべきからざる論なし。
若し戰ふとも負くるかやつと引分くるかなり。
日露戦争の時は國民に意氣ありたり、今は然らず、よくて引分なり。
米國を抑ふべからざるは勿論順序は先づ國内の革命なり。
この革命をやり切らぬ日本ならば日米戰は無論、再び地上に生存する価値無き國也。
農村の窮乏は言語に絶す、革命の遠からざらむ事は明白也、
丁度仏蘭西革命、ロシア革命の前夜の如し。
浜口内閣をして生殺のままに長生せしめよ海軍問題を長引かしめよ。
これ打開を早からしめて日本を救ひ、海軍を救ふことなり。
先づ國亂は風前の燈火たらしむるを要す、
ここに眞乎の國民は金剛不懐の力を振ひ起さむ---以下數行略。

「 右翼思想犯罪事件の綜合研究 」 ( 司法省刑事局 )
これは「 思想研究資料特輯第五十三号 」 (昭和十四年二月、司法省刑事局 ) と題した、
東京地方裁判所斎藤三郎検事の研究報告  第四章  ロンドン軍縮条約と其影響
代史資料4  国家主義運動1  から


次ページ 
ロンドン条約問題の頃 5 『 藤井斉の同志に宛てた書簡 (7) (8) 』 に続く


ロンドン條約問題の頃 5 『 藤井齊の同志に宛てた書簡 (7) (8) 』

2021年09月01日 14時58分45秒 | 藤井齊


藤井齊 

軍部
と政党との正面衝突
真に注意しなければならないのは、流の本当の力をなす陸海軍部全体が、
この問題によつて反政党の立場に立ち、そして陸海軍の急進分子間に提携、連絡を生じた事である。
其の間の事情に付ては、之を知るべき文章記録を存しないが、
当時 帝都に近き霞ケ浦航空隊にあつて、海軍側革新派の中心であつた
藤井斉より九州熊本の同志に宛てて、中央の情勢を報告した書簡によりてその大略を窺ふことが出来る

(7)  昭和六年四月十日附大村航空隊に轉じたる藤井齊より九州熊本の同志に宛てたるもの
( 秘 )  火中
拝啓、先日御送のものうけとれり。
久敷失礼 其後如何に候也、小生頑健先日久留米に會せり
江崎 ( 佐賀、大尉 )  小河原清衛 ( 福岡歩二十四中尉 )   若松 ( 若松満則 佐賀大隊附 )  皆大丈夫也。
九州に於ては菅波君 ( 鹿児島歩四十五少尉 ) を第一とす。
三月二十六日上京せり。
三聯隊田中、野田兩中尉に會へり、ともに大丈夫。
来々年○○○○○近衛に師團長たらるる由、これは好機なり。
一切の戰備を速やかに完成するを要す。
其他行地社の狩野、建國會の赤尾、愛國勤労の津久井 其他、國民の鈴木 ( 鈴木善一 ) 等會し
全日本愛國者共同闘爭協議會を作りたり、これから日本の戰線統一の基礎たらしむべきものと云へり
---中略---
其他政敎社大分よろし、倒閣維新聯盟を作れり。
左派は不振、共産党は根氣よく活動しつつあるものの如し。
彼等智見足らず 時空の認識即ち物を具體的に見ることは能はざるが故の妄動なり。
然れども必ずや吾人の大道に轉じ來るの日あり。
氣運は動きつつあり。
民政は近く倒れむ、政友に移らむか。
宇垣に大野望あり。
兄を東京に呼ばんとの話  日召師等の間にありたり。
御健闘を祈る。
・・・・

(8)  昭和六年六月十三日附大村航空隊 藤井齊より九州熊本の同志に宛てたるもの
( 一読後火中のこと )
久敷失礼。
益々御健勝のことと思ふ。
勤勞新聞 ( 註 天野辰夫等の愛國勤勞党の機關紙を指す ) 有難く拝見。
熊本の方は狀況如何、又 兄の勤勞党に關する意見如何。
小生はそのヂャーナリスト多きと、ビラと演説と文章のみにて維新が出來るとは更に思ひ申さず。
只日協 ( 全日本愛國者共同闘爭協議會 ) と云ひ、國民党 ( 註 生産党の前身 日本國民党 ) と云ひ、
この党と云ひ 民衆を自覺させるに役立つ位の程度、維新の原動ともなるまい。
建設に於て邪魔になるものの多きことも考へておかねばならぬ。
即ち名誉心大なる故なり。
地涌の菩薩は黙々として只劍によつて自ら敵を倒すことのみ精神行動を集中している。
現代の弊は弁論に堕することだ。
如何に日本人の心魂を毒し、至誠の精神を賊せるぞ、
只吾人は此等の党の行動文書---文書は行動を誇大に報告している。
而して他を煽動せんとするもの人を相手に而も利用して事をなさうなんか云ふことは最も惡い。
左翼の大衆運動はこれである。
所謂日本主義者も段々これにかぶれている。
大衆に革命は出来ない! 出來るやうなら革命の必要なし。
---中略---
暗殺は革命の大部を決す。
生やさしい考はやむべし、共産党の方がまだ日本的だ。
ここ一、二年のうちに大破壊が始まるであらう。
---中略---
建設の具體策 及 思想は 権藤翁の 『 自治民範 』 ---北氏の 『 改造法案 』、この二つ也。
中央に於て心配を頼むべきは、西田 、北、権藤、井上の數氏
---中略---
小生はここに陸海民間に數十の血盟志士を得たり。
乾坤一擲の業必ずなすべきを疑はず。
---以下略。

「 右翼思想犯罪事件の綜合研究 」 ( 司法省刑事局 )
これは「 思想研究資料特輯第五十三号 」 (昭和十四年二月、司法省刑事局 ) と題した、

東京地方裁判所斎藤三郎検事の研究報告  第四章  ロンドン軍縮条約と其影響
現代史資料4  国家主義運動1  から

最初のページ 
ロンドン条約問題の頃 1 『 民間団体の反対運動 』 に戻る