あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

二月二十六日・大雪の朝

2021年06月01日 04時22分43秒 | 道程 ( みちのり )

この年 ( 昭和十一年 ) に入ってからは寒気ひときわきびしく、
余寒というのに度々の大雪に見舞われ、
うるう年のせいか、
こうした天候の異変も、人々に名にかしら世の兇変を予感せしめていた。

二月二十三日の正午頃からふり出した雪は、
翌二十四日も一日中降りつづいて、帝都を白一色におおってしまった。
そしてそのあくる日の二十五日も相変わらずのどんよりした雪模様の寒空で、
いまにも白い物をふらせるかに思われたが、どうやら日中はもちこたえた。
だが、とうとう夜半からふり出した雪は、
あけ方頃から一層激しくなって帝都はふたたび銀一色におおいつくされてしまった。

     
見事な牡丹雪がひっきりなしに舞い降りるこの早朝、
麹町南部一帯永田町から日比谷方面にかけて交通は厳重に遮断され、
該当頭巾を眼深かに、着剣した武装兵が緊張した面持ちで、
三宅坂、永田町一帯をつつむ要所要所に突っ立っていた。
半蔵門から三宅坂寄り、平河町から府立一中より、赤坂見附から山王下
に至る雪乃道路上には歩哨戦が布かれ、
その後方に機関銃をすえた部隊まで配置されて 蟻一匹も通さぬといった厳重ぶりである。
   
ここ中央官庁街に向かう電車は一地点まで来ると停車して引返し、
バスはこの地域を迂回してあらぬ道をたどる。
せき止められた地点には好奇心に満ちた市民が立ち止まって無表情で兵隊たちを見守っていた。
何かあったなとは直感できても一切の報道機関は沈黙を守っているので真相はつかめない。
朝来、放送を中止していたラジオが全国取引所の一斉休業を報じた。
大事件の突発!
それだけは間違いなかった。
それでも耳の早い市民の間には
『 岡田総理がやられた 』
『 斎藤内大臣も鈴木侍従長も銃殺されたらしい 』
『 第一師団の兵隊が革命をおこしたのだ 』
といった情報が流れて、不安は刻一刻とますばかりであった。
しかも その朝の新聞は
真崎大将の出廷、特別弁護人満井中佐の熱弁等、
昨今の相澤公判の紛糾を大々的に報じて、
何事かおこらねばすまない陸軍内部の情報の緊迫を伝えていた。
人々は陸軍に一大事件が突発したことは想像しえても、それ以上のことは分からない。
噂のままにその日は雪に暮れてしまった。
夜に入ると各商店は早くから戸を閉め、銀座、新宿などの盛り場もいつになくひっそり静まりかえっていた。

午後八時十五分、ラジオは今朝来の沈黙を破り、
街々には号外の鈴音が鳴り響いた。
ようやく事件の一端が発表されたのである。
「 本日午前五時頃 一部青年將校等は左記箇所を襲撃せり。
首相官邸、( 岡田首相即死 )。齋藤内大臣私邸、( 齋藤内府即死 )。渡邊敎育總監私邸、( 敎育總監即死 )。
牧野前内大臣宿舎 ( 湯河原伊屋別館 ) 牧野伯不明。鈴木侍從長邸、( 鈴木侍從長重傷 )。
高橋大蔵大臣私邸、( 大蔵大臣負傷 )。東京朝日新聞社。
これら將校等の蹶起せる目的はその趣意書によれば、
内外重大危急の際、元老、財閥、官僚、政黨等の國體破壊の元兇を芟除せんじょ
以て大義を正し 國體を擁護顯現せんとするにあり。
右に關し在京部隊に非常警戒の處置を講ぜしめたり 」

つづいて東京警備司令部から第一師團官下に戰時警備が下令されたる旨、
およびこれに伴う司令官香椎中將の告諭が放送された。

・・大谷敬二郎著  『 二 ・ニ六事件 』  大雪の朝 から