中橋基明 中島莞爾
前頁 憲兵報告・公判状況 9 『 對馬勝雄、竹嶌継夫 』の続き
第十一回公判公判狀況
一、日時
五月十四日 午前九時開廷
午後十一時十五分---午後一時 休憩
午後三時四十五分閉廷。
二、場所
代々木練兵場仮兵舎内第一公判廷
三、進捗狀況
高橋蔵相私邸襲撃組タル中橋基明、中島莞爾ノ兩名ニ對スル事實竝證據調ヲ終了セリ
四、被告ノ陳述中重要ト認ムル點
1、中橋基明 < 註 1 >
二月二十七日給養ノコトニ關し近歩三聯隊副官ト首相官邸ヨリ通話シタル際、
聯隊副官ハ 「 歸ツテ來ヌカ 」 ト慫慂しょうよう シタルヲ以テ
「 戒嚴部隊ニ編入セラレ麹町地區ノ警備ニ服シテ居ルノダカラ、 歸ル譯ニハ行カヌ 」
ト答ヘ、給養ニツキ交渉シタる所
「 歩一ヨリ給養ヲ爲ス筈 」 トノ返事ナリシガ、
其ノ後ニ田中大尉 ( 軍吉? ) ガ電話ニカカリ、
「 今ノハ聯隊長ノ意圖デハナイカラ安心シテヤレ 」
ト言ハレタリ、云々
2、中島莞爾
なし。
( 以上 )
憲兵報告・公判状況 11 『 安藤輝三、坂井直 』 に続く
二 ・二六事件秘録 ( 三 ) から
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
< 註 1 >
近衛歩兵第三聯隊長は ( 園山光蔵大佐 ) 聯隊副官 ( 檜山成敏少佐 ) と共に、
二十六日夜 陸相告示を携行し、
首相官邸正門に来り 「どうか」 と言はれましたので、異状はありませぬと答へ、
又 「 兵隊に注意して呉れ 」 と言はれましたので、「 兵は大切にします 」 と答へました。
近歩三の 田中 ( 軍吉 ) 大尉は、二十七日夜
給養の件に就て、食糧は運搬しないと言ふ事を云ひ、外套と手套を持参して呉れました
二十八日午前七時頃、近歩三より 命令として、
二十六日出動せる部隊は歩一に集合、中橋部隊は赤坂見附を通過帰還すべし
との事を電話を以て受領せるも、当時戒厳命令にて行動隊は全部麹町区警備隊となりありしを以て指揮系統異なり、
且つ 他部隊には斯くの如き命令来らず。
故に之れが命令を戒厳司令部に提出方を栗原中尉に依頼しました。・・・中橋基明中尉の四日間
< 註 2 >
小藤大佐殿の命令に依り、
大佐殿は陸相官邸に位置せられ、本部は鉄相官邸に置きました。
何時頃 『 一師戒厳第一号 』が下命されたものやら分かりません。
私は予ての命令に依り、
午後九時鉄相官邸に命令受領者を集め、『 麹町地区警備隊命令 』 を下達しました。
この命令は聯隊長どの自ら起案され、
佐藤裕雄大尉 ( 兵器局銃砲課 ) が筆記したものであり、原文は歩一田中少佐殿が持って居られます。
命令要旨
『 本職は行動全部隊の長として、永田町附近の治安維持に任ず。各部隊は本夜給養を主とすべし。』
此の際 近衛師団部隊に対する部署を明確ならしむる為、
次の命令を午後八時半頃、陸相官邸に雄て柴大尉より受領しました。
『 戒作命令第九号
命令二月二十七日午後七時 於 戒厳司令部
二月二十六日出動せし将校以下は、第一師団麹町地区警備隊長小藤大佐の指揮下に在りて行動すべし。
戒厳司令官 香椎浩平 花押 』・・・山口一太郎大尉の四日間 3 「 総てを真崎大将に一任します 」