香田淸貞 丹生誠忠
前頁 憲兵報告・公判状況 5 『 磯部浅一、香田清貞 』の続き
第七回公判公判狀況
一、日時
五月七日 午前九時開廷。
午前十一時---午後一時四十分 休憩。
午後三時二十五分---午後四時十五分 休憩
午後四時四十五分閉廷
二、場所
代々木練兵場仮兵舎内第一公判廷。
三、公判進捗狀況
香田清貞ノ國家革新思想ヲ抱持スルニ至リタル原因、動機、經過、
今回ノ事件ヲ起スニ至リタル原因、動機、準備、計画着手後ノ行動等ニツキ事實竝證據調。
丹生誠忠ノ位記、勲章、年金ノ有無、前科ノ有無、經歴、家庭ノ狀況、
生計ノ狀態、趣味、宗教、信仰等ノ訊問、公訴事實ニ對スル異見ノ概要。
四、審理ノ内容
1、香田淸貞
(イ) 國家革新思想ヲ抱クニ至リタル原因、動機、經過
幼年學校ニ入リテ敎育ヲ受ケ、國體ニ關スルボンヤリシタル観念ヲ得ルト共ニ
冬休ミ外出時等ニ於テ見聞セル社會相ト國體観念トノ間ニ矛盾ヲ感ズルニ至リ、
之ガ解決ニツキ焦慮シ、
軍人生活ヨリ退カントノ考ヲ起シタルコトモ屢々ニシテ、
豫科ヲ卒業、歩一ニ配属セラレ、士官學校本科ニ入學シタル頃ハ
士官學校ニ於ケル敎育方針ノ過渡期ニシテ、在學中三回位 方針ノ變化アリ。
斯ノ如キ狀態ニテハ國軍ノ根幹タル將校ヲ養成スルニ不適當ナラント感ジタルヲ以テ、
自分ハ自分ノ考ヲ以テ一貫シタルガ、
結局矛盾ノ解決ヲ爲シ得ズシテ不安ノ儘 卒業歸隊シ、初年兵敎育ニ當ルコトゝナリタルガ、
此ノ初年兵敎育ヲ爲シツツアル間ニ於テ國體観念ニツキ大ニ敎ヘラルゝ処アリ、
今其ノ一、二ノ例ヲ擧グレバ、
兵ハ一身一家ヲ顧ミズ 天皇陛下ノ爲ニ只管 忠節ヲ盡シ、
而モ何等ノ報酬ヲ求メズ、忠節ヲ盡スコト其レ自體ニ満足ヲ感ジ喜ヲ抱キアリ。
一方、其ノ身上ヲ調査スルニ、毎年中隊ニ入隊スル初年兵ノ數ハ約七十五名ナルガ、
内 軍事救護ヲ要スト認メ報告スル人員ハ二十名 乃至ないし 三十名ノ間ヲ上下シアルノ狀況ニシテ、
尚ホ 此ノ外ニ生活ノ不安アルモノハ多數アリ。
眞ニ生活ニ不安ナシト認ムルモノハ約十五名位ニ過ギズ。
自分ハ中隊長トナリテ感ジタルハ、中隊全員ガ自分ノ如キ不肖ノ者ヲ中隊長トシテ立テ、
訓示、指示等ヲ与フレバ將校以下此ノ訓示、指示ヲ實行スル爲ニアラユル努力ヲ捧ゲテ惜マズ、
是レ中隊長ハ上陛下ノ身代りト信ジアルガ爲ナリト信ズ。
此等ノ實例ヲ見テ我ガ國體ノ眞ノ姿ヲ認識スルコトヲ得タル感ヲ深クセリ。
爾來、下士官兵ニ對スル精神敎育ニ於テ、
忠節ヲ盡スニハ一切ヲ捧ゲテ陛下ニ奉公シ、奉公スルコトニ依リテ満足シ、
喜ヲ感ズル如クナラザルベカラザルコトヲ鞏調シ、
一面斯ノ如キ實ニ麗ハシキ精神ヲ以テ奉公シアル者ノ生活ノ不安ヲ看過シ置クハ
陛下ノ大御心ニ叶ハザルモノト信ジ、上司ニ對シ屢々意見具申ヲ爲シ來レリ。
其後、例ノ十月事件起リ、之ガ研究ノ爲將校室ニ於テ中少尉會ヲ開きタル際、
栗原氏ガ具體的運動ニ入リアルニアラズヤト思料セラルル如キ意見ヲ發表シタルガ、
之ニ對シ賛意ヲ表スル者ト反對ノ意見ヲ有スル者トヲ生ジ、
先輩ハ栗原氏ニ對シ壓迫ヲ加フルガ如キ態度ニ出ヅルニ至リタルガ、
自分ハ以前ヨリ社會ノ矛盾ヲ痛切ニ感ジアリシ折柄トテ無下ニ壓迫スベキモノニ非ズトノ感ヲ抱キ、
栗原ニ對シテ其ノ内容ヲ聽カントセシ処、
菅波大尉ガ詳シキヲ以テ同人ニ會ツテ見テハ如何ト勧メラレ、
菅波大尉ハ同期生ニシテ人物モ良ク知リアルヲ以テ其ノ氣ニナリ、
神宮アパートニ菅波大尉ヲ訪レ 其ノ話ヲ聽キタルガ、
此ノ時 疑問ヲ感ジタルハ該計畫ニハ決行後ノ建設計畫トモ稱スベキモノアルコトナリ。
之ニ關シ考ヘタル結果、建設計畫ヲ有スルコトハ我ガ國體ト相容レズトノ結論ニ到達セリ。
此ノ點ヲ説明スレバ、我國ニハ立派ナル國體現存シ、
唯ダ之ニ不純ナル塵ガカカリ泥ガ着キアルニ過ギズ。
此ノ塵ヲ払ヒ泥ヲ拭ヒ去ルコトニ依リテ國體ノ光ハ直ニ發スルモノナリト信ズ。
其処ニ何等ノ建設ヲ要セザルモノナリト確信ス。
今回ノ事件ニ於テ憲兵隊ノ方ヨリ取調ヲ受ケタル際、
之レ丈ケノ大事件ニ建設計畫ヲ有セザル筈ナシト言ハレタルモ、
自分ハ斯ノ如キ確信ヲ有スルコトヲ以テ辯明シタル次第ナルガ、
此ノ結論ヲ得テ菅波大尉ニ意見ヲ述ベタル処、同感ナリトノコトナリキ。
尚ホ、大御心ハ如何トノ疑問ヲ抱キタルヲ以テ、
アラユル勅語、詔書等ヲ拝讀スル内、
昨日モ申上ゲタル昭和元年 今生陛下朝見式ノ際 賜ハリタル勅語ニ及ビタル時、
大御心モ亦 維新ヲ要望セラレ給フコトヲ發見セリ。
即チ、該勅語ノ中ニハ四ツノ事項ニツキ示サレアリ。
(一) 思想ノ問題
(二) 經濟ノ問題
(三) 國防ノ問題
(四) 大權ノ問題
是レナリ。
( 茲ニ於テ勅語ノ一節ヲ奉讀シテ一々説明ス )
而シテ、陛下ノ大御心ヲ翼賛シ奉ルハ臣下トシテノ責務ニシテ、
之ガ實現ヲ圖ルコトハ臣民トシテ怠ルベカラザルコトナリト信ズ。
扨さテ、
此ノ大御心ヲ翼賛シ奉ル上ニ於テ軍人トシテ爲スベキコトハ如何ト云フニ、
軍人トシテ爲スベキコトハ大權ノ擁護、顯現ヲ圖ルニ在リトノ結論ニ達シタリ。
之レガ實現ノ方法手段ハ、將校團ヲ中心トシテ上下左右ニ此ノ精神ヲ普及シ
---國體擁護、顯現ノ精神ハ國民全般ニ明確ニ意識セシムルヲ要スルモ、
先ヅ 近キヨリ遠キニ及ボスヲ捷径しょうけいトストノ建前ヨリ---
苟モ國體破壊ノ事實ヲ認ムル場合ハ之ガ排除ニ當ル如クセザルベカラズトノ考ヲ以テ努力シ來レリ。
(ロ) 今回ノ事件ヲ起スニ至リタル原因、動機
爾來各種ノ事件勃發し、最後ニ永田事件ノ起リタル際
自分ノ臆病ナリシコトヲ痛感シテ大ニ恥ヂ、爾來精神修養ニ努ムルト共ニ
萬一ノ場合ノ決心ニ影響スル所ナルモノト認メ家庭ノ整理ヲ爲シタルガ、
永田事件ニ對シテハ不祥事ナリトノ感ヲ抱キタルモ、
セメテ此ノ事件ニ依リテ反省ノ實ヲ現ハスニ至レバ幸ナリトノ感ヲ抱キ
狀況ノ推移ニ注意シアリシガ、期待ハ全然裏切ラレ、反對ノ方向ニ進ミツツアルヲ看取セラレタリ。
即チ、渡邊敎育總監ノ名古屋及士官學校ニ於ケル訓示ハ其ノ現レナリ。
眞崎敎育總監ノ更迭ハ明ニ統帥權干犯ナリト信ズルニ至リタルハ、次ノ二點ニ在アリ。
(一) 眞崎閣下ヲ訪問シタルトキ、
閣下ハ、世間デハ自分ガ今回ノ更迭ニ同意シタル如ク傳フ嚮モアル様ダガ、
自分ハ同意シタモノデハナイ、ト洩ラシ、
(二) 私ガ、勅裁ヲ經タル省部規定ニ違反シタノハ違勅ノ責ガアルノデハナイカト質問シタル処、
閣下ハ、自分ハ法令ノコトハ判ラヌノデ研究中デアル、ト答ヘタリ。
渡邊敎育總監ノ訓示ガ眞ナリト信ズルニ至リタルハ次ノ點ニアリ。
(一) 對馬氏ヨリ聽キタルコト、
(二) 士官學校長ガ百八十度ノ方向變換ノ訓示ヲ受ケテ 困ツタトノ言ヲ洩シタルコトヲ副官 (?) ヨリ聽キタルコト。
右ノ如キ狀態ニ推移シ、而モ我國内外ノ情勢ハ非常ナル危機ニ迫リアリ、
今ニシテ國民全般ニ確固タル國體ノ認識ヲ与ヘ置クニアラザレバ
一大事ニ臨ミテ非常ナル難局ニ逢着スベシ
---我國ハ神國ナルヲ以テ如何ナル難局ニ逢着スルモ
必ズヤ之ヲ打開セザレバ已マザルモノト確信スルモノ---、
之ヲ救フノ途ハナキモノカト同志ニ相談シタルモ誰モ名案ノ持合ハセナカリシヲ以テ、
或ハ最後ノ手段トシテ大ナル獨斷ニ依リテ解決セザルベカラザルニアラズヤト心私カニ感ジ、
爾來現地演習ノ地理實施、現地演習ノ指導等ノ爲出張勝ニシテ、
二月二十二日歸任シテ二月二十三日村中ヨリ今回ノ計畫ヲ聞キ、
決行ノ決意ヲ爲スニ至レリ。
(ハ) 上部工作ニ就テ
本件ヲ決行スルニツキ自分ノ一番心配シタルコトハ
此ノ大ナル獨斷ガ大御心ニ合スルヤ否ヤノ點ニアリタリ。
尤モ、我々自身ハ大御心ニ合スルモノトノ確信ヲ有スルモ、
神ナラヌ身ノ考ヘタルコトナルヲ以テ、此ノ不安ヲ有シタル次第ナリ。
之ガ爲、我々ノ今回ノ擧ガ天聽ニ達シタル場合、
御下問ニ對シ 我々ノ氣持ヲ正シク奉答シ得ル人ニオ願シテ
我々ノ精神ヲ眞直ニ聖斷ニ愬うったヘテ頂クコトガ一番大切ナリト考ヘ、
陸軍大臣閣下、各軍事參議官閣下等ニオ願シタル次第ニテ、
國家樞要ノ地位ニ在ル方々ヲ利用シテ我々ノ私慾、私見ヲ遂ゲントノ考ハ毛頭有セズ。
上部工作ト云ヘバ兎角誤解ヲ招ク虞おそれアルヲ以テ、此ノ點特ニ御諒察ヲ切望ス。
(2) 陸相官邸ヲ中心トスル地區に兵力ヲ配置シタル眞精神ニ就テ
我々ノ精神ガ曲ゲラレテ天聽ニ達スルガ如キコトアリテハ
一大事ナルヲ以テ速ニ處置ヲオ願スル必要アリ。
之ガ爲ニハ多クノ者ガ出入シテハ手間取ルノミナラズ混亂ヲ來ス虞レモアリタルヲ以テ、
此等ニ善処スル爲兵力ヲ配置シテ守備セシメタルモノニシテ、
陸軍省、參謀本部ヲ占據シテ國權ノ發動ヲ阻止セントノ考ハ
毛頭有セザルモノナルコトヲ諒察セラレ度シ。
(3) 陸相官邸ニ於ケル憲兵ノ行動ニ就テ
最初表門ニ到リタルトキ門ハ閉サレアリシガ、正服憲兵ガ出デ來リタルヲ以テ、
自分ガ國家ノ重大事ガ起リ 陸相閣下ニ御願ガアツテ來タ旨ヲ告ゲタル処、
一寸躊躇シタルモ、國家ノ重大事ナリト重ネテ述ベタル処、直ニ開門セリ。
次デ官邸ノ玄關ニ到リ 「 ノック 」 シタル処、
私服憲兵ガ出デ來リ玄關ノ扉ヲ開ケタルヲ以テ、
名刺ヲ出シテ表門ノ憲兵ニ告ゲタルト同様ノコトヲ告ゲ、
閣下ニ取次ギヲ求メタル処、私服憲兵ハ、
「 閣下ニ危害ヲ加ヘルナラバ先ヅ私ヲ殺シテ下サイ 」
ト言フヲ以テ、
「 左様ナコトハ絶對ニシナイカラ安心シテ取次グ様ニ 」
ト告ゲタル処、憲兵ハ奥ニハイリタリ。
(4) 右ノ外、
奉勅命令ノミナラズ、小藤大佐ヨリ引揚ノ命令ヲモ受ケザリシコト、
參謀ガ奉勅命令ヲ持チ來リト兵ヲ通ジテ聞キタルトキ
「 機關説命令ハ受ケズ 」 ト兵ヲシテ言ハシメタルトキノ氣持、
大臣官邸ニ宿營シタルハ小藤支隊ノ命令ニ依リ
而モ戒嚴司令官ヨリ今夜ハユツクリ休メト言ハレタルコト、
從テ戒嚴司令部モ承認シアルモノト思料シタルコト、
二月二十七日迄ノ狀況ハ自分等ノ擧ガ認メラレタモノト感ジ喜ビアリシガ、
二十八日ニ至リ變ダナトノ感を抱クニ至リシコト 等ヲ陳述セリ
2、丹生誠忠
公訴事實ニ對スル異見トシテ、
村中、磯部、香田ノ述ベタル処ハ全然同意見ナリト述ベタル 外、更に、
(イ) 陸相官邸ヲ占據シト公訴事實アリシモ、
栗原氏ヨリノ命令ハ陸相官邸及其ノ附近ヲ守備シトアリテ、
自分ハ占據スル意思ハ全然有セザリシコト。
(ロ) 下士官以下ハ歸順シ將校ハ縛ニ就キト述ベラレタルモ、
下士官以下ハ早朝ニ引率歸隊ヲ命ジ ( 中隊長トシテ )、
自分ハ何カ話ガアルノダト思ツテ陸相官邸ニ到リタルモノニシテ、
叛徒ニ對スル如キ用語ヲ用ヒアルハ承服出來ズ、云々、
ト陳述セリ
( 以上 )
憲兵報告・公判状況 7 『 丹生誠忠、栗原安秀 』 に続く
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