あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

地區隊から占據部隊へ

2020年06月16日 18時13分21秒 | 説得と鎭壓

(27日)
夜の十時頃であろう。
わたくしは幸楽の安藤中隊の模様を見に行くよう、聯隊長から命令を受けた。
今井町から福吉町までは電車通り沿い、
それから左に切れて暗い道を真直に山王下に抜け、
再び赤坂見附へ出る電車道路を幸楽に歩いて行った。
事件勃発後かれらと顔を合わすのは、わたくしはこれが初めてである。

幸楽
門の所には衛兵所があったが、
わたくしは案じたことのほどもなく通過できた。
同行者には学校配属将校の一大尉がいた。
安藤と会ったのはソファーのある応接間である。
「 やあ、御苦労さん 」
安藤は機嫌がよかった。
そしてかれの口から鈴木侍従長殺害の場面が語られた。
「 どうだ新井、聯隊では俺らを凱旋将軍のように迎えるだろうな 」
わたくしは苟且にも虚言はつけなかった。
「 そんな考えでいては間違いですよ。
現に安藤さんの部隊では地区隊と云ってますが、
わたくしの方では占拠部隊と云ってます。
勿論 占拠部隊と云っても、敵じゃないことは聞いてますが・・・・・
でも地区隊の方が友軍であるのはハッキリしています。」
わたくしは何の気なしに云ったのだが、これで安藤の態度がガラッと変わった。
かれは気魄で軍を引摺ろうとする、もとのやり方に帰ったのである。
「 近衛師団のやつらが俺の方に機関銃を向けている。
不届きだ。
中隊の者、みんな聞け。
われらの希望達成の為には、われわれは飽く迄頑張らにゃならん。
動作はもっと機敏に、言語はもっと活潑厳正に、一以て百にあたるの気概が必要である 」
安藤はわたくしの見ている前でこんな注意を部下に与えた。
「 安藤さん、そういきり立っても仕方がないじゃありませんか、
それよりも地区隊の小藤大佐の命令を守ることじゃありませんか 」
わたくしの言葉に、安藤はキョトンとしている風であったが、
それが何の為かはわたくしにはわからなかった。
同行した天野大尉は、陸軍大臣の告示を盾に、もう帰らないかと説得したが、
之以外は大御心に俟つとある以上
それにはあたらぬ説得であった。

山王ホテル
幸楽を出たわたくしは、帰宅する天野大尉とその門前で別れた。
聯隊本部への道すがら、
山王ホテルの丹生中尉とも、わたくしはこの際連絡をとろうと立ち寄った。
かれらの警戒は非常に厳重であった。
「 歩三の同期生の新井中尉が来たと、丹生中尉に伝えてくれ 」
と 歩哨に申し入れると、
「 暫らく待て 」
と 言残して一名が中に這入って行った。
その態度は軍の兵卒が将校に対する態度ではない。
その上後に残った二名の歩哨までが、着剣した銃をわたくしに擬しているのである。
将校としてわたくしは屈辱を感じた。
「 無礼者 」
と 叫びたい気持ちで、胸の中がワクワクした。
しかし怒ってしまっては連絡の任務も果せぬと思い、暫らく二人の歩哨の間に立たされていた。
五分程経ったろう、
中から下士官が迎えに来て、わたくしは立派な応接間に通された。

ものの一分とも待たぬうちに、何処からともなく丹生中尉が姿を現した。
かれは士官学校の同期生だが、
十月事件にも関係せずこうした事をする人間とは、
わたくしは殆ど思わなかった。
「 やあ、どうだい 」
同期生の気安さで、二人はこんな挨拶から始まった。
自分は部下中隊を指揮して福吉町に来ているが、
それは行動部隊を敵として来ているのではなく、
同じ第一師団長の隷下にある旨を告げ、
なお今後も連絡を密にする必要があると語った。
そして最期に冗談を混えてこう云った。
「 貴様らは随分贅沢だな。ホテルや料理屋に宿営して・・・・・」
「 まあそう云うなよ。地区隊命令でこうやっているのだから・・・・」
「 それは知っている。俺の方は電話局だよ 」
「 うんそうか、気の毒だな。共産党の蜂起に備えているんだが、左翼は何もできまい 」
先刻安藤の所で何気なしに聞いていたが、かれらは共産党の蜂起に備え、
警備を命ぜられていたのである。
これは事件関係の将校以下殆ど全員がそう信じていたのである。

かれらがこのことに疑問を持ち始めたのは二十八日の夜半からである。


新井 勲 著  日本を震撼させた四日間 二・二六事件青年将校の回想
現代のエスプリ 二・二六事件 №92 から