大臣告示の成立経過及発表方法の誤
大臣告示
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ
二、諸子ノ真意ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、国体ノ真姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘス
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合セタリ
五、之以外ハ一ツニ 大御心ニ俟ツ
右は、
二十六日宮中に於ける陸軍軍事参議官会議で審議成立した。
尤も 成立するまでは、軍事課長村上啓作の起案に係るものあり、
或は 荒木大将の改訂起案したものもある等で、
非常に議論沸騰容易に纏らず。
漸く一応前記の如く成立したが、
之を如何なる形式に依って発表するか、
或は 軍事参議官一同の名を以てしては如何かとの意見を述べたものもあった。
然るに 軍事参議官中には宮殿下もおありのことなれば、
斯くては穏やかでないとの理由に依り、大臣告示の形式に依ることとなった。
而して、該告示は、
単に参議官が蹶起部隊を説得する為の手控えとする積りであったのを、
当時各方面が殆ど混乱の極に陥って居た為、種々の手違いから、
之を印刷に附し戒厳司令部の手に依って、蹶起部隊に配布せられた。
之に依って
蹶起部隊は
我目的の達成近きに在り、情勢好転せりと、大に歓喜したとのことであった。
告示審議の際、
「 諸子ノ真意 」の点、最初は 「 諸子ノ行動 」 と あったが、
行動とするは 極めて穏やかならずとの論が出て、
後に 「 真意 」 と 改められた。
之は海軍側からの異論に依ったことと聞いたやう語った者もあった。
第一項 「 蹶起ノ趣旨天聴ニ達セル件 」 は
言ふ必要なしとの意見多くありしも
荒木 真崎両大将 極力之を支持し天聴に達せることを言はされば
叛乱将校 ( 叛軍幹部 ) は 到底説得に応ずるものに非ずとの主張により成立す
之は当時の杉山 ( 中将 ) 参謀次長が、
軍事参議官会議に列席し手配した一節で、其の訂正の個所等全部原文の儘である。
其の際に於ける、真崎大将等が主として発現せし意見の趣旨を十分窺うかがふに足り。
特に注意して其の真意を観るべき点なりと思考す。
参考
一 堀丈夫 ( 第一師団長中将 ) 憲兵聴取書、
今にして思へば
大臣告示の如きものは師団長の処に止め置きし方良かりし様に思ふ、
然し 当時の為 偽らざる師団長の感じとしては
頻々として入来する情報に依り 軍事参議官
其の他上層部の人々が非常に努力し居らるる事を聞きたれば
或は 彼等の希望し居るが如き事が出来するにあらざるかと云ふ雰囲気を感じ居たり
二 真田穣一郎 ( 戒厳司令部参謀 ) 検察官聴取書、
私は其の後 ( 安井藤治少将 ) 参謀長に対し
「 大体変なもの ( 大臣告示 ) が 出て居ます 」 と 申したるに
参謀長は、
変なるものと云ふかも知れないが
上司が定められ警備司令官から電話で伝へられ
自分は之を復唱して書いたのだから上司の言はれる通りにするより仕方ない
旨を 云はれたり、
私は香椎司令官にも参謀長に対すると同じ意見を述べたるに、
司令官は
其れはそうだがそう急にはいかぬ、上よりの事だから
と 云はれ
ポケットより手帳を取出し 読上げられたるが
内容は陸軍大臣よりとの同様なり、
私は司令官に
叛軍に銃剣をつきつけられて書いた契文の様なものです、
左様なものは駄目です
との 意見を述べたるに
司令官は、
君は個人として左様云ふか 上司から定められたもので叛軍は宮中に這入って居ない、
銃剣を突付けられて居ない、
責任を以て自分が遣って行くのであるから
自分が斯うと定めた事は其の通り遣って貰はねばならぬ、
又 意見のある処はどしどし述べて呉れとの意味を云はれたり。
当日下令せられた警備令是非論
一、東警作令第三号(二十六日午後三時)
第一師団長ヲシテ本朝来行動シアル軍隊ヲモ含メ昭和十年度戦時警備計画ニ基キ
所要ノ方面ヲ警備シ治安ノ維持ニ任セシメ
二、師戦警第二号(二十六日午後七時二十分)
歩一長は本朝来行動シアル部下部隊及歩三、野重七ノ部隊ヲ指揮シ概ネ桜田内、
公園西北側角議事堂、虎ノ門、溜池、赤坂見附、平河町、麹町四丁目、半蔵門を連ヌル
線内ノ警備ニ任スヘシ
歩三長ハ其他ノ担任警備地区ノ警備ニ任スヘシ
三、師戦警第一号
歩三長ハ本朝来行動シアル部隊ヲ併セ指揮シ担任警備地区ヲ警備シ治安維持ニ任スヘシ
但シ歩一ノ部隊ハ適時歩三ノ部隊ト交代セシムヘシ
右 発令せられた当時、
何人も奇怪極まる命令なりと驚いた。
一体 叛乱部隊をして其の占拠地区方面を警備し治安の維持に任ぜしむるとは何事であるか、
矛盾撞著も甚だしき限りであると批評した。
蹶起部隊にたいする判決中にも
「 斯クテ被告人等ノ大部ハ一般ノ情勢好転セリト判断シ 益々其ノ所信ヲ深メ
香田清貞等ハ其ノ形式ノ下ニ於テ被告人等ノ企図ヲ断行推進セムト志シ
小藤恵ニ対シ全面的ニハ其ノ指揮下ニ入ルヲ肯セス云々 」
とありて、蹶起将校が右発令に依って
情勢好転せりと喜んだのは当然であると思ふ。
後日
当局は右警備令に付て
「 警備令ニ基ク警備ノ対象ハ
行動部隊並ニ之ニ呼応蜂起ノ虞オソレアル過激及此虚ニ乗ジ
治安ノ攪乱ヲ企図スベク予想セラレシ赤系分子ナルガ
行動部隊ノ名ヲ警備司令部告示ニ掲ケザリシ所以ハ
之ヲ掲ゲタル場合ニ於テハ指揮下警備部隊ノ対敵行動ト相俟アイマッテ
行動部隊ヲ無理ニ刺戟シ却テ事件解決ノ方針ニ反シ
直ニ流血ノ惨ヲ見ルヤ必セリト判断セルニ因ル 」
弁明せしも
之は一の言逃れに過ぎずして論理一貫しない
又 栗原安秀は
「 当時ノ陸軍大臣告示ノ如キ 又 戒厳司令官命令ノ如キ
明カニ吾々ノ行動ヲ助勢セレレタモノデアリマス云々、
然ルニ
今トナツテ
戒厳司令官ノ命令ヤ告示其他ノ行動ヲ以テ
吾々ヲ鎮撫スル手段テアツタ等
ト 申シテ居リ
マスコトハ欺瞞モ甚タシイコトデアリマス 」
と 言って居る。
二・二六事件秘史 小川関治郎手記 現代史資料23 国家主義運動3 より
小川関治郎・・二・二六事件を裁く特設軍法会議の法務官