『 二・二六事件事件機密作戦日誌 』
当時第二課の情報参謀・新井匡夫中佐 ( 26期 ) が、
主任者として起案したもの。
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前頁 『 二・二六事件機密作戦日誌 1 』 の 続き
武力行使ノ遅速ニ関スル事情
「 何故ニ武力討伐ヲナサヾルヤ 」
トノ進言ハ、事件ノ終始ヲ通ジテ、司令官以下司令部幕僚ニ對シ、有力筋ヨリ迫レルトコロナリ。
而シテ此意見ノ由テ起レル処、即チ叛徒ヲ速ニ徹底的ニ膺懲スベシトナスモノ、
及陸軍ノ真意ヲ疑ヒ八百長的ニ對抗狀態ニアリトナスモノニシテ、
後者ハ實業界ノ一部、及上奏文官側ノ一部ニ之有リシモノノ如シ。
司令官亦國内及満洲方面ノ狀況ト、他方列強ノ機ヲ窺フモノアルニ鑑ミ、
一刻モ速ニ鎭定センコトヲ焦慮セルノ情 寔ニ切ナルモノアリキ。
然レドモ輦轂ノ下、流血ノ慘ヲ見ルニ忍ビズ、全力ヲ盡シテ叛徒ヲ説得シテ、
事態ヲ解決セントスルノ方針ヲ堅持セルモノナリ。
洩レ承レバ、陛下ニ於カセラレテハ、御親ラ叛軍中ニ聖駕ヲ進メラレント仰セラレシ程ナリ。
( 右ハ司令官ガ侍從武官長ヨリ承リシモノナリ )
兵説得ノ爲 「 ラヂオ 」 放送中特ニ説明ヲ要スル件
二十九日午前八時五十五分ノ 「 兵ニ告グ 」 ノ放送中 「 今迄ノ罪ハ許サレル 」 トセル件ハ、
作戰行動トシテノ放送ニ於ケル文句、
即チ 「 抵抗スレバ直ニ射殺ス 」 ナル意ナルヲ以テ、法律的解釋ニ由リ不都合ナリトスルハ當ラズ。
換言スレバ、作戰行動トシテノ放送ニ於テ、説得ノ効ヲ完カラシメンガ爲ノ謀略的文句ト解スベキモノトス。
但シ、右文句ハ實ハ放送者ガ感極リテ附言セルモノナリ。
二 ・二六事件ニ於ケル奉勅命令ニ關スル記錄
(一) 奉勅命令ニ關スル記錄
「 三月四日午後一時三十分戒嚴司令部當局談 」 トシテ發表セラレタル今次ノ事件經過概要中ニ、
「 二十八日ニ至リ 奉勅命令ニモ服從セザル爲、遂ニ強硬解決ヲ決行セラルルノ已ムナキニ至ツタ 」
旨記述セラレアリ。
本奉勅命令ニ關スル事項ハ、將來叛徒ノ取扱其他ニ就キ重大ナル關係アルベキヲ以テ、
玆ニ其經緯竝処見ヲ記錄シ、以テ將來ノ參考ニ資セントス。
一、奉勅命令傳宣ノ前後ニ於ケル事件經緯
1 戒嚴司令官ハ、叛亂部隊鎭壓ノ爲、直ニ強硬手段ニ出ヅルトクハ、畏クモ輦轂ノ下、流血ノ慘ヲ招來シ、
且ハ人心ニ与フル影響等其禍碍ノ及ブ所、測リ知ルベカラザルモノアルガ故ニ、
先ヅ左ノ手段ヲ講ジタリ。
(イ) 叛蘭部隊ヲ包囲監視ス。
二月二十七日午前十時半 「 戒作命第三號 」 ニ依リ、半蔵門、赤坂見附間ヲ近衛師團、
赤坂見附、福吉町、虎ノ門、日比谷公園間ヲ第一師團ヲシテ、各々有力ナル部隊ヲ配置シテ、
占據部隊ノ行動擴大ヲ防止セシム。
(ロ) 軍事參議官、各上官、縁故者、同僚ヨリ、叛亂軍將校ニ對シ現所属復歸方ヲ説得ス。
2 戒嚴司令官ハ、前項手段ヲ盡スモ尚解決シ得ザルニ於テハ、玆ニ最後ノ手段タル強硬解決ニ出デントス。
然ルニ是ヨリ先、二月二十六日戒嚴下令前、在憲兵司令部、參謀本部關係者間ニ於テ、
強硬解決ニ先立チ、大命ヲ拝スルノ措置ニ出ヅルヲ可トスルノ議アリ。
乃チ予メ之ガ事務ヲ準備スルトコロアリ。
3 二月二十七日、平和手段ニ依ル解決ノ進捗遅々タル實情ニ鑑ミ、參謀本部ニ於テハ、
前日準備セル大命ヲ拝シ、以テ戒嚴司令官ノ決意ヲ鞏固ナラシムルヲ可ナリトシ、
同日午前八時五十二分、次長 ( 總長代理 ) 參内允裁いんさいヲ仰ギ、之ヲ戒嚴司令官ニ傳宣セリ。
但シ、當時、平和的解決見込尚絶望ニアラザル實情ニ鑑ミ、
之ガ實行ニ關シテハ、別ニ總長ヨリ指示セラルル旨附加セラル。
4 二月二十七日夜ニ於ケル解決見込ハ尚混沌タルモノアリシモノノ大體ニ於テ悲観スベキ狀態ニ在リシノミナラズ、
是以上ノ遷延ハ内外ニ多大ノ惡影響アルヲ以テ、同夜、戒嚴司令官ハ、
參謀本部ト協議ノ上、之ガ實行ノ時機ヲ二十八日午前五時ト豫定シ、諸準備ヲ整フ。
( 掃蕩命令ヲ内示シ、命令一下直ニ實行し得ル如ク準備ス )
5 二月二十八日早暁、情勢尚明白ヲ欠クモノアリシモ、前項方針ヲ變更スルコトナク、
午前五時 「 臨變參命三號 」 ノ實行ヲ指示セラル。
即チ次ノ如シ。
臨變參命三號
命令
戒嚴司令官ハ三宅坂附近ヲ占據シアル將校以下ヲシテ速ニ現姿勢ヲ徹シ各所属部隊長ノ隷下ニ復歸セシムベシ
昭和十一年二月二十八日
參謀總長 載仁親王
奉勅
戒嚴司令官 香椎浩平殿
右ニ基キ、午前五時三十分戒嚴司令官ハ第一師團長ニ左記ノ命令ヲ下達セリ
「 戒作令第八號 」
命令
二月二十八日午前五時三十分
戒嚴司令部
貴官ハ小藤大佐ヲシテ三宅坂附近ヲ占據シアル將校以下ヲ指揮シ歩兵第一聯隊附近ニ終結セシムベシ
戒嚴司令官ハ拝受セル 奉勅命令ヲ特ニ第一師團長ニ貸与セリ
6 爾後第一師團ニ於テ之カ傳達ノ經緯ハ左記第一師團ノ奉勅命令傳達ニ關スル顚末ノ如シ
二、処見
臨變参命三號ニ依ル 奉勅命令ハ、前記ノ如ク之ヲ戒嚴司令官ニ下サレタルモノニシテ、
此奉勅命令ニ從ハザリシ所以ヲ以テ、抗命ノ限界タル如ク解釋スルモノアラバ、
是レ大ナル誤解ニシテ、且國軍將來ノ軍紀維持上由々シキ大事ナリ。
蓋シ 「 上官ノ命ヲ承クルコト實ハ直ニ朕ガ命ヲ承ル義ナリト心得ヨ 」 ト宣ハセラレタル命令服從ノ大義ニハ、
儼トシテ揺ギアルベカラザレバナリ。
仄聞そくぶんスルニ、叛亂部隊中ノ下士官兵ハ固ヨリ、幹部中ニモ本奉勅命令ヲ知悉セズト稱スル者多シト。
惟フニ、斯ル事實ノ有無ヲ以テ刑ノ量定ニ資セントスルコトハ萬無カルベシト雖モ、
敢テ經緯竝所見ヲ記入シテ將來ノ參考トス。
( 附言 )
戒作命第十一號、二月二十八日午後五時三十分ニ於テ 「 叛亂部隊 」 ノ稱呼ヲ用ヒ、
又 「 遂ニ大命ニ從ハズ 」 ノ字句ヲ用ヒタルハ、攻撃部隊ニ對シ明確に順逆ノ別ヲ示サントセルモノニシテ、
之ヲ以テ叛亂ノ限界ヲ劃シ、又命令ノ解釋ニ異論ヲ挟サマントスルハ妥當ナラズ。
(二) 奉勅命令傳達ニ關スル顚末
一、二月二十八日午前六時三十分、一師戒命第三號第一師團命令ニヨリ、
奉勅命令ヲ拝受セル旨之ガ傳達ニ關スル事項ヲ各隊ニ命令ス。
二、占據部隊ニ對シテハ、直接小藤大佐ヲシテ傳達セシムルコトトシ、平田參謀ヲシテ、
奉勅命令竝前項記述ノ師團命令ヲ小藤大佐ニ傳達セシム。
三、平田參謀ハ、前項命令ヲ奉シ、直ニ陸相官邸ニ到リ之ヲ小藤大佐ニ傳達ス ( 午前七時半前後 )。
四、小藤大佐ハ、直ニ之ガ傳達ノ爲占據部隊將校首脳者ヲ陸相官邸ニ集合セシメント處置シアル際、
村中 次デ 香田等、小藤大佐ノ許ニ出頭シ 奉勅命令下リタルヲ知リ、
頗ル激昂セル態度ヲ以テ事玆ニ至レルヲ憤慨セリ。
備考
奉勅命令ノ發令ニ關シテハ、近衛歩兵第三聯隊長ヨリ、該隊ヨリ出デタル將校ニ對シ与ヘタル命令
( 其写ヲ村中ヨリ小藤大佐ニ提出セリ ) 竝電話ニテ承知シアリテ、前記ノ如ク昂奮シタルモノナリ。
五、小藤大佐ハ、以上ノ如キ狀態ニ於テ、直ニ 奉勅命令ヲ傳フルトキハ事態ノ急激ナル惡化ヲ來スモノト認メ、
機ヲ見テ之ヲ傳達スルコトトセリ。
備考
當時ニ於ケル首脳者等ノ主張ハ 奉勅命令ハ眞ノ大御心ニアラズシテ、
一部ノモノノ爲曲ゲラレタルモノニシテ、即 天皇機關説ヲ奉ズル者ノ作爲セルモノトナシ、
之ニ從フトキハ、國家ハ事變前ヨリモ尚一層不良ナル狀態ニ陥ルベキヲ以テ、
現在ノ占據地點ヨリ斷ジテ撤退セズト爲シアリタリ。
六、其後情勢好轉シタルヲ以テ、小藤大佐ハ聯絡ノ爲師團司令部ニ歸來シ、
再ビ陸相官邸ニ赴キタルニ、其間ニ於テ情勢再ビ惡轉シ、
全ク収拾シ得ザルニ至レルヲ以テ、同大佐ハ終ニ師團司令部ニ引返セリ。
其途上、同大佐ガ直接 奉勅命令ノ發令ヲ傳ヘ、説得ニ努メタル將校ハ少クモ十二、三名ニ達シアリ。
七、爾後、引續キ實施セラレタル各方面ノ折衝モ効果ナシ。
八、玆ニ於テ、師團長ハ最終ノ手段トシテ、二十八日午後三時ヨリ同三十五分ニ亘リ、
歩兵第三聯隊森田大尉ニ賜リタル 秩父宮殿下ノ御言葉ヲ 奉勅命令ト共ニ
両聯隊長ヲシテ併セ傳達セシムルコトトセリ。
九、二十八日夕刻ヨリ両聯隊其他、之ガ傳達竝説得ニ努ム。
其概況左ノ如シ。
1 各隊ノ説得
両聯隊長竝両聯隊將校ハ、爲シ得ル限リ個人的ニ接触シ説得セリ。
2 幕僚ノ説得
桜井參謀、堀内參謀ハ 奉勅命令を奉持シ、
山王ホテル及幸樂附近ニ於テ丹生中尉其他面談シタル下士官兵ニ對シテハ之ヲ見セ、
又安藤大尉ニハ其冩ヲ渡シ説得スルト共ニ、
之ヲ大聲奉読シ勅命ニ反スル者ハ斷乎攻撃スベキ旨ヲ傳フ。
3 擴聲器其他ノ利用
前二項の爲ニ擴聲器ヲ使用シ、又喇叭ニヨリ君ケ代竝集合譜ヲ吹奏セシメタリ。
4 「 ラヂオ 」 ノ利用
閑院宮邸其他ニ於ケル 「 ラヂオ 」 放送ニヨリ 奉勅命令ノ發令ヲ知リタルモノ少カラズ。
5 戰車ビラ
二十九日朝、戰車ニヨリ 「 ビラ 」 ヲ配布シ説得ニ努ム。
十、以上ハ極メテ其概要ナルモ、本來叛亂軍ハ合議制ニヨリ其行動ヲ決シタルヲ以テ、
其將校ガ 奉勅命令下令ノ事實ヲ知ラサルノ理ナシ。
又下士官ト雖モ、恐ラク其半數位ハ之ヲ承知シアリタルベク、兵ノ大部ハ或いハ之ヲ承知セザリシナルベシ。
右ノ如ク認定ス
秩父宮殿下ノ歩兵第三聯隊ニタマワリシ御言葉
森田大尉述
一、今度ノ事件ノ首謀者ハ自決セネバナラヌ。
二、遷延スレバスル程、皇軍、國家ノ威信ヲ失墜シ、遺憾ナリ。
三、部下ナキ指揮官 ( 村中、磯部 ) アルハ遺憾千萬ナリ。
四、縦令軍旗ガ動カズトスルモ、聯隊ノ責任故、今後如何ナルコトアルモミツトモナイコトヲスルナ。
聯隊ノ建直シニ將校團一同盡瘁 じんすいセヨ。
二・二六事件事件機密作戦日誌
東京警備司令部参謀部
戒厳司令部参謀部 第二課
・・より