あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

皇魂 2 ( 第二巻 第十五號 ) 十二月號 昭和10年12月20日發行

2018年01月05日 18時51分56秒 | 國家改造・昭和維新運動


皇軍精神の十全徹底

發揮に直進せよ !
國体本義の明徴に斷乎徹底的に
盲信するぞ皇國軍人の本分たり
(一) 前言
「 軍隊内務書 」 は、その綱領第一に記して曰く、
『 軍ハ 天皇親率の下 皇基ヲ恢弘シ國威ヲ宣揚スルヲ本義トス 』 と
げに皇軍は、「 天皇親率ノ下 」----天皇御親裁
ノ下 「 朕ト一心ニナリテ 」 
なる神ながらの國魂を熾烈最も強く体現せる日本民族の先頭首脳部なり
皇國軍人たる者、いかでか尊き己が本分を三思、
以て皇軍精神の十全徹底發揮に直進せざるを得んや
まして劃期的皇國非常重大の今日、之が打開皇國維新----國体本義の明徴が緊切絶對事たるに於ておやである

(二) 皇軍の本義
皇軍の本義は、明治十五年一月四日、
「 陸海軍々人ニ賜リタル御勅諭 」 として輝いてゐる
『 我國ノ軍隊ハ、世々 天皇ノ統率シ給フ所ニソアル。
昔 神武天皇、躬ツカラ大伴物部ノ兵トモヲ率キ、

中國(ナカツクニ)ノマツロハヌモノトモヲ討チ平ゲ給ヒ 
高御座ニ即カセラレテ天下シロシメシ給ヒシヨリ、二千五百有余年ヲ經ス。

此間世ノ様ノ移リ換ルニ随ヒテ、兵制ノ沿革モ亦屢々ナリキ。
古ハ 天皇躬ツカラ軍隊ヲ率ヒ給フ御制ニテ、
時アリテハ、皇后皇太子ノ代ラセ給フコトモアリツレト、
大凡兵權ヲ臣下ニ委ネ給フコトナカリキ 』
『 夫れ兵馬ノ 大權ハ、 朕カ統フル所ナレハ、其司々ヲコソ臣下ニ任スナレ、
其ノ大綱ハ朕親之を攬り、肯テ臣下ニ委ヌヘキモノニアラス 』
『 朕ハ汝等軍人ノ 大元帥ナルソ、
サレハ 朕ハ汝等ヲ股肱ト頼ミ、汝等ハ 朕ヲ頭首ト仰キテソ、其親ハ特ニ深カルヘキ。
朕カ國家ヲ保護シテ、上天ノ恵ニ応シ、 祖宗ノ恩ニ報ヒマヰラスル事ヲ得ルモ得サルモ、
汝等軍人カ 其職ヲ尽スト盡サルトニ由ルソカシ。
我國ノ稜威振ハサレコトアラハ、汝等能ク 朕ト其憂ヲ共ニセヨ、
我武維揚リテ、其榮ヲ耀サハ、 朕汝等ト其誉ヲ偕ニスヘシ。
汝等皆其職ヲ守リ、 朕ト一心ニナリテ、力ヲ國家ノ保護ニ尽サハ、
我國ノ創生ハ永ク太平ノ福ヲ受ケ、我國ノ威烈ハ、大ニ世界ノ光輝トモナリヌヘシ 』
---と
即ち 『天皇親率ノ下』 「朕ト一心ニナリテ」 『皇基を恢弘シ國威ヲ宣揚スル』 こと、之皇軍の本たり
処でここに注意を喚起しておかなければならぬことは、
皇軍が 『 天皇親率ノ下 』 に在るの大權は、
断じて憲法第十一條の 『 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス 』 なる 統帥大權の定めあるに基けるに非ず
憲法十一條の該規定は、却って皇軍の在るべき本義を法的に御宣示し給へるに過ぎざるものなり
皇軍は憲法にその規定があらうがなからうが本來的に 「 天皇親率ノ下」 に在るの軍隊である、
といふことを明確に理解すべきことである
何となれば、皇軍は、その本質を根本的に究きつめれば、
畏こくも 「 修理個成 」 な御實践、御まつらひ給ふ 陛下の御稜威そのものなればなり
「 朕ト一心ニナリテ 」 が不動絶對皇國軍人の根本精神で、
「 一將一兵の進止は、即ち 「 股肱 」 おのもおのもがそれぞれの地位立場より 
大元帥陛下にまつろひ志向帰一する 「 朕ト一心ニナリテ 」 であり、
あらねばならぬを本義するは、別言を以てせば一將一兵の進止そのものが即 大元帥陛下の御進止、
御稜威であり、あらねばならぬを本義とするは、實に然るが故の必然事である
而して、ここに「上官ノ命ヲ承ルコト實ニ直ニ 朕か命ヲ承ルナリト心得ヨ 」 との大御論の大生命である
かくて又ここに皇軍の 「 上元帥ヨリ下一卒ニ至ルマテ其間に官職ノ階級アリテ從属スル 」 
は、威壓支配のためのものに非ずして 「 股肱 」 おのもおのもの
大元帥陛下に まつろひ 志向帰一し奉るの體制であり、命令服從は、
その實、即ち 「 國民はひとつ心にまもりけり遠つみおやの神のをしへを 」 なる 「 一ノ誠心 」
上下一体の まつろひ のものたるの所似があるのである
* 以上の義よりにして、「 軍制學教程 」 第四章--統帥權の条章中に述べられてゐる 
「 天皇に直隷スル指揮官ノ部下ニ在ル各級ノ指揮官ハ各々其部下ヲ統率シ間接ニ、
大元帥ニ隷属ス、統帥權作用ノ系統右ノ如クナルヲ以テ上官ノ命令ハ即チ
大命ヲ代表スル モノニシテ絶對服従ヲ 要求 ス 」 といふ點は最だ不徹底、
特に傍点を附した点の表現は、寧ろ皇軍の本義を歪曲せるものといふべきなり
之を要するに皇軍の生命は、 天皇の御親帥 「 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス 」 そのものである
故に從ってこの大義の--世上伝ふる偕上民主幕府的統帥大權の非議は、即皇軍そのものの否認であり、
この大義に徹せず皇軍の統帥を謂ふは、恐懼皇軍の統制を私にする 御親帥本義の冒瀆である
以上以て職るべし、現人神にして天下億兆の 大御親にまします 「 天皇親率ノ下 」
「 皇基ヲ恢弘シ國威ヲ宣揚スルヲ本義トス 」 る、
即ち皇國体の眞姿--一君萬民、君民一體の大家族体國家上大御親、絶對、下萬民赤子、平等、
其処には一物一民も私有支配する私なく、從って天下億兆皆其処を得、
萬民一魂一體只管に 君が御稜威の弥榮を仰ぎまつろひ志嚮歸一する皇國體の本義を愈々明徴にし、
皇國を在るべき本來の世界民生の 「 光華 」 「 國といふふくのかがみ 」 世界の 御父帥表國たらしめ、
八紘一宇、世界修理固成の神業に直進するを、その本分となす皇軍は、正に之れ神軍たり
* 断じて皇軍は、かの共産主義共の云ふ、
或る階級的支配のための階級軍に非らざるは勿論、「 國民の軍隊 」 ともいふべきものに非ずして、
絶對に天下億兆の大御親にまします全體者 「 天皇の軍隊」 である
故に又皇國には、「 武士トモノ棟梁 」、「 軍閥 」 の在る可からざるは勿論、
厳密には今日一般に謂はれてゐる 「 軍部 」 なるものの在ることなし
皇軍の本義、本質たるや即ち斯の如しである

(三) 皇國の現勢と之に処する軍人の本分
処で、今日皇國の軍人おのもおのもは、果して皇軍の本義、その本質を十全之を體認し、
「 朕ト一心ニナリテ 」 なる國魂を熾烈最も強く體現せる日本民族の先頭首脳部たる皇軍の一員として
「 朕カ國家ヲ保護シテ、上天ノ惠ニ応シ 祖宗ノ恩ニ報ヒマイラスル事ヲ得ルモ得サルモ汝等軍人カ 
其職ヲ尽スト盡ササルトニ由ルソカシ」 「 朕ハ汝等ヲ股肱ト頼ミ 」 「 深ク汝等軍人ニ望ムナレ 」 
との深厚なる御信任に答へ奉ってゐるであろうか? 顧みて自らの今日を謙恭に猛思三省すべきである
今その行蔵の一々に云々はしない、ただ一點
「 天子ハ文武ノ大權ヲ掌握スルノ義を存シテ、再中世以降ノ如き 」
「 且ハ我國体ニ戻リ、且ハ我 祖宗ノ御制ニ背キ奉リ、浅間敷次第ナ 」 る 「 失體ナカランコトヲ望ムナリ 」
との大御論をそも何と拝誦し奉つてゐるか? 軍人たるもの恐懼三省すべきなり
『 天子ハ文武ノ大權ヲ掌握スルノ義を存シテ 』 とは、謹承せよ !
斷じて 『 天子ハ文武ノ大權ヲ掌握シ 』 「 此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ----( 憲法第四條より )----」
といふ、國家の××、人民の代表者といふが如き 『 中世如何 『 且ハ我國體ニ戻リ且ハ、我 祖宗ノ御制ニ
背キ奉リ、浅間敷次第ナ 』 る主權在民的機關説の謂に非ずして、
そは 「 昔 神武天皇、躬ツカカラス大伴物部ノ兵トモヲ率ヰ、中國ノモツロハヌモノトモヲ討チ平ケ給ヒ
高御座ニ即カセラレテ天下あめのしたシロシメ給ヒシヨリ、二千五百有余年ヲ經ヌ 』
一貫不動神ながらの事實たる 「 高御座ニ即カセラレテ天下あめのしたシロシメ給ふ 」、
『 列聖ノ御偉業ヲ繼述シ、一身の艱難辛苦を問ス、親ラ四方ヲ経営シ』給はる天皇御親裁本義の 御宣示である。
即ち、右の大御論は汝等軍人は、 天皇御裁本義を夢忘るゝ事なく、之を護持し、以て 「 中世以降ノ如キ 」
「 且ハ我國體ニ戻リ、且は我 祖宗ノ御前ニ背キ奉リ、浅間敷次第ナ 」 る機關説的主權在民覇道制覇ノ
「 失體ナカラン 」 様 「 朕ト一心ニナリテ、力ヲ國家ノ保護ニ盡 」 せよとの御思召しである。
処で、見よ !  皇國今日の實狀や如何 !  「 中世以降ノ」武家に代り、今や資本家財閥 「 權ヲ専ラニシ、
表ハ 朝廷ヲ推尊シテ、實ハ敬シテ是ヲ×ケ、億兆ノ父母トシテ、總テ赤子ノ情ヲ知ル事能ハサルヤウ計リナシ。
遂ニ億兆ノ君タルモ、唯×ノミニ成リ果、其カ爲ニ今日 朝廷ノ尊重ハ、古ニ倍セルカ如クニシテ
朝廷ハ倍×へ 」 爲めに、天下億兆其処を得ず、『 上下相離ルル事霄壌ノ如  』 き 『 且ハ我國體ニ戻リ、
且ハ我 祖宗ノ御制ニ背キ奉リ、浅間敷次第ナ 』 る民主機關説的金權覇者の覇道制覇に在るのである。
かくてその結果、成る程皇國の今日は、産業に於て、軍事に於て、將又學術等々日進月歩、
大いに世界にその威を輝かしてゐるが如くである。
がその半面に其の日の生活に喘ぎ苦しんでゐる大多數の赤子同胞のあるを忘れてはならぬ。
然るに、噫 ! 然るに、これ等生活苦に呻吟する大多数の赤子同胞は、
にも拘らず 「 身のために、君を想ふは口惜しや 君のためにと身をば想はで 」
「 海ゆかば水づく屍 山ゆかば草むす屍 大君のへにこそ死なめ 顧みはせじ 」 と、
「 君が代を思ふ心の一すじに我身ありとは思は 」で、身を鴻毛の輕きに置き、
「 只々一途ニ己カ本分ノ忠節ヲ守リ 」 戰場に、軍營に、工場に、或は又農場に等々それぞれの
地位立場よりまつろひ奉行翼賛し奉つてゐる。
その彼等の姿、噫! そは正に無私無我、嚴粛そのものである。
それは 神の御姿、現人神陛下の御稜威みいつに非ずして何んぞや。
然るにこの忠良なる大多數の同胞は、その日の生活に事欠ぎ喘ぎ苦み、
「 表ハ 朝廷ヲ推尊シテ、實ハ敬シテ是ヲ×ケ 」 參らせ給へる彼金權覇者とその手代共が
却って益々冨み且つ栄えてゐるのである。
何たる矛盾 ! 何たる國體本義の歪曲ぞ ! 
「 天下億兆、一人モ其処ヲ得サル時ハ、皆 朕カ罪 ナ」 りと、
噫 ! 皇國今日の実態、そは君の御式徴に非ずして何んである。
正に 「 且ハ我國體ニ戻り、且ハ我 祖宗ノ御制ニ背キ奉リ、浅間敷次第 」 といふべきなり。
然らばこの矛盾、この歪曲はそも何に原由せるか?
即ちそは、我國今日の進歩發達なるものが、實は 「 開くべき道は開きてかみつ代の國のすがたを忘れざらなむ 」
「 智識ヲ世界ニ求メテ大イニ皇基ヲ振起スヘシ 」 と仰せ給へる

明治天皇の御叡慮に戻り、「 さだめたる國のおきてはいにしへの聖の君のみこゑなりけり 」
「 あまてらす神の御光ありてこそわが日のもとはくもらざりけれ 」----皇國體の本義 ( 祭政一本
天皇御親裁本義 ) を忘却せる、欧米の利益社會観的民主個人主義文明の無批判的
殖模做に基く弱肉強食覇者の利害を中心にせるものなればなりといふ所にあるのである。
げにや皇國は今日、「 七百年ノ間ノ、武家ノ政治 」 のそれにも幾倍かする金權覇者のうしはぎによって、
國體本義はなし崩し的に破壊され、爲に國際的に國内的に劃期的非常重大れんきてきの機器に當面してゐるのである。
明治天皇は明治元年三月十四日 「 億兆安撫國威宣布ノ御宸翰 ごしんかん に於て、
『 汝億兆旧来ノ陋習ろうしゅう ニ慣レ、尊重ノミヲ 朝廷ノ事トシ、神州ノ危急ヲ知ラス。
朕一度ヒ足ヲ擧クレハ、非常ニ驚キ、種々ノ疑惑ヲ生シ、萬口紛紜トシテ 朕カ志ヲナササラシムル時ハ、
是 朕ヲシテ 君タル道ヲ失ハシムルノミナラス、從テ、列祖ノ天下ヲ失ハシムルナリ汝億兆能々、
朕カ志ヲ體認シ、相率テ私見ヲ去リ、公議ヲ採リ、 朕カ業ヲ助テ 神州ヲ保全シ 列祖ノ
神霊ヲ慰シ奉ラシメハ、生前ノ幸甚ナラン 』----と。
『 朕カ國家ヲ保護シテ、上天ノ惠ニ應シ、 祖宗ノ恩ニ報ヒマヰラスル事ヲ得サルモ、
汝等軍人カ 其職ヲ盡スト盡ササルトニ由ルソカシ。我國ノ稜威振ハサルコトアラハ 
汝等能ク 朕ト其憂ヲ共ニセヨ、我武維揚リテ、其榮ヲ耀サハ 朕汝等ト其誉ヲ偕ニスヘシ。
汝等皆其職ヲ守リ、 朕ト一心ニナリテ、力ヲ國家ノ保護ニ盡サハ、我國ノ蒼生ハ永ク太平ノ福ヲ受ケ、
我國ノ威烈ハ、大ニ世界ノ光華トモナリヌヘシ、 朕斯モ深ク汝等軍人ニ望ムナ シ』
----と仰せ給へり。
「 朕カ國家ヲ保護シテ、上天ノ惠ニ応シ、祖宗ノ恩ニ報ヒマヰラスル事ヲ得ルモ得サルモ
汝等軍人カ 其職ヲ盡スト盡ササルトニ由ルソカシ」----と
噫! 皇國軍人たるもの、いかでか想ひを皇國の今日に致し、顧みて自分らの實践行蔵を三省、
斷乎勇躍以て 「 皇基ヲ恢弘シ國威ヲ宣揚スル 」 ----國體主義の明徴に猛進せざる可けんやである。

(四) 「 政治ニ拘ラス 」 なる大御言葉の眞義を體せ
國体主義の明徴の問題に対する皇國軍人今日の態度について、今こゝでは具體的に一々を
云々するは控へる。
だが要するに今日緊切重大なる國体本義の明徴とは、断じて単なる、然も攻略的な声明や、
一文部省の數學刷新によつて期成される問題でなく、實にそは前述、
『 且ハ我國體ニ戻リ、且ハ我祖宗ノ御制ニ背キ奉リ、浅間敷次第ナ 』 る民主機關説的金權覇者の覇道的制覇の下、
天下億兆其処を得ざる今日の國家、社會の中心力を革新する維新の
問題である。
從ってそれは結局するに、「 天子ハ文武ノ大權ヲ掌握スルノ義」----天皇御親裁の十全を仰ぐ、
現存覇道的制度機構の御改革に翼賛し奉る、この維新的實践に根基し 輔弼の重責、
國家の樞機に在るの人物を斷乎徹底的に刷新するを具體的第一義と爲す。
然り民主機關説的金權覇者の覇道的制覇の支柱になり下れる、
かの重臣ブロックとその一類の
うしはぎを、その儘にして國體本義の明徴を期せんとするは、
正に百年河清を俟つ天下の愚事である。

然るに責任の局にある皇國軍人のこの問題に對する態度は、例へば稱揚激励をこそ爲すべき
皇魂軍人のそのためへの至誠を却って抑壓し、
恰も政府内閣の死命問題を國體本義の
明徴より重しとするが如き消極不徹底そのものである。
静思せよ ! 
こうした責任の局にある皇國軍人今日の態度は、實に、軍人勅諭に御論し給へる五ケ条の第一なる
「 軍人ハ忠節ヲ尽スヲ本分トスヘシ 」 といふ条項の終りごろにある 「 世論ニ迷ハス、政治ニ拘ラス、
只々一途ニ己カ本分ノ忠節ヲ守リ 」 といふ 大御言葉を、御勅諭の全體に流れる大精神である。
明治十五年に至る世論よりして民主主義的政黨覇権政治の檯頭だいとうするであらう危険を、
恐れ多くも感じさせられ給ひ、痛く之を御軫念遊ばされ 「 股肱と賴 」 み給へる軍人に
「 朕ト一心ナリテ 」 皇國を 「 再ヒ中世以降ノ如キ 」 「 且ハ我國體ニ戻リ、且ハ我祖宗ノ御制ニ背キ奉リ、
浅間敷次第ナ 」 る、覇道に陥し入れない様 「 天子ハ文武ノ大權ヲ掌握スルノ 」
----天皇御親裁本義を堅持、「 順逆ノ理ヲ弁ヘ大義ノ重キヲ知リ 」、
「 只々一途ニ己カ本分の忠節を守リ 」 世論や政治に惑はされ、支配されることなく、
「 朕カ國家を保護シテ 上天ノ惠ニ応シ 祖宗ノ恩ニ報ヒマヰラセスル事 」 を期せよ ! と御論し給へるものであるといふ、
その深さ御思召を拝察し奉るこしなく、右の一句を、
例へば林前陸相が某貴族議員の質問に答へ、
勅諭の中の 「 政治に拘らず 」 との御言葉の
意義は 「 軍人ハ政治ニ干与セズト解スル 」 と答弁せるそれの如く、
全體から切り離し単に字義的に、
世論がどうであらうと、政治が如何何様な行はれてゐようとそれに構らずといふ、
所謂 
「 政治不干与論 」 的に展解し、
前述皇國今日の反國體的實態、その意識的な支柱である政治に
對し消極不干与的態度を持し、
結果に於てそれに支配された無意識的にではあるが身苟も
皇國軍人にあり乍ら
「 且ハ我國體ニ戻リ、且は我祖宗ノ御制ニ背キ奉リ、
 浅間敷次第ナ 」 る今日の民主機關説的金權覇者の
衛兵になり下がってゐる所に原因してゐるのである。

(五) 國體本義の明徴----維新への奉公こそ皇國軍人今日の重大責務たり
或る軍人が日常の職分とする処は國防である。
処がその國防の本義たるや
『 列祖ノ御偉業ヲ継述シ、一身ノ艱難辛苦ヲ問ス。
親ヲ四方ヲ経営シ、汝億兆ヲ安撫シ、遂ニハ万里ノ波濤はとう拓開シ、國賊ヲ四方ニ宣布シ 』
『 六合ヲ兼ネテ都ヲ開キ、八紘ヲ掩ヒテおおいて宇ト爲  』 す
「 世界修理固成 」 の神業を使命とする皇國日本の國家生活それ自體である。
故にそは絶對に政治の現實に不干与的たり得ない。
然も今日、『 國家の全活力を締合統制し 』 之を 『 最大限度に發揚せしむる如く、
國家社會を組織し運營する事が國防國策の眼目と 』 爲すがため、
『 現存の如き機構を以て窮乏せる大衆を救濟し、
 國民生活の嚮上を庶幾しつゝ非常時局打開
に必要なる各般の緊急施設を爲し、
皇國の前途を保障せんことは至難事に属するであらう。

須らく國家の全機構を國際競爭の見地から----( 筆写註 = 國際競爭の見地からでなく
天下億兆皆其心を得る一君萬民、君民一體家族體的皇國體の本義からであらねばならぬ )
----再檢討し、財政に經濟に、外交と攻略に將た國民教化に根本的の樹て直しを斷行し
皇國の有する偉大なる精神的物質的潜勢を國防目的の爲め組織統制して、
之を一元的に
運營し、最大限の現勢たらしむる如く努力せねばならぬ。』
----( 以上引用は凡て陸軍省發行
『 國防の本義と其鞏化の提唱 』 より )、
即ち金權覇者の利害を中心とする民主機關説的

現存國家社會の制度機構を根本的に改革し、皇國をその本來なる天下億兆皆其処を得さしめ、
「 世界の光華 」 世界の親父師表國と完成完美する、
皇國體本義の明徴--維新を
緊切絶對とするに於ておやである。
全く今日のそれの如く國家の政治が經濟が等々、
即ち國家の現實的態勢が上層指導階層と
大多數の赤子臣民との間に一魂一體の家族的協翼なき状態で、
いかでか強力なる
國防あらんやである。
皇國軍人が日常の職分とする國防たるや、即ち斯の如くである。
かくて今日皇國軍人が國體本義の明徴--維新のために斷乎徹底的に猛進することは、
正に皇軍精神の十全發揮であり、それは實に、
「 天子ハ文武ノ大權ヲ掌握スルノ義ヲ有シ 」 「 且ハ我國體ニ戻リ、且ハ我 祖宗ノ御制ニ背キ奉リ、浅間敷次第ナ 」 る
「 中世以降ノ如キ失體ナカランコトヲ望ムナリ 」 との大御論を眷々服膺 けんけんふくよう 
「 順逆ノ理ヲ辨へわきまえ大義ノ重キヲ知レル 」 に基く、 「 只々一途ニ己カ本分ノ忠節ヲ守 」 るの
道である。
これを以て軍人の許すべからず 「政治干与 」 「 政治的干渉 」 と爲すは、
金權覇者のデマに惑はされたる全く採るに足らざる俗論である
又或は云はん、皇國の今日に維新の緊切絶對であるは認める。
併し軍人の 「 政治干与 」 は、國防的立場の限りに於てで、
それを越え維新の問題にまで突入するは
不可であると、この一見尤もらしき見解は、
前述せる所によつて識らるるが如く、

實は解った振りをして軍人自らが積極的に皇國々防の本義を歪め、
己が日常の職分である國防を危きに陥し入るるの許すべからざる日和見的腰抜論である。
識る可し、皇國軍人は、身を 「 天皇神率ノ下 」、天皇御親裁の下
「 朕ト一心ニナリテ 」
なる神ながらの國魂を熾烈しれつ
最も強く體現せる日本民族の先頭首脳部たる皇軍に
奉じてゐるのである。
即ち皇國軍人にして國體本義の明徴--維新のために斷乎徹底的たらずして、
いかでか之が達成は期し得られんゆである。
想ひをこゝに致さんか、皇國軍人今日の重大責務は、毅然として何者にも動かされることなく、
軍人が日常の職分とする國防とは、單に外國に対する 「 國の護り 」 といふが如き消極的なものに非ずして、
その 「 國の護り 」 たるや、積極的に 「 皇基ヲ恢弘シ國威ヲ宣揚スル
ヲ本義トス 」 る、
即ち皇國體の本義を發輝し、御稜威みいつを世界光被する 「世界修理固成 」
の使命國、
皇國日本の國家生活そのものである。

從って皇國の軍人たる者は不動絶對の國体を持つことなく、ただ政體に生活する、
即ちそのために時の政治家の勢ひ、その求めの儘に動かされ、動くをよしとなす、
外國の軍人に於けるそれより類推せる所謂 「 政治干与 」 を本義とし、
政治の現實に不干与的
であるを絶對に許さない。
と政治に対する軍人の態度を堂々宣言し、
( 併しこのことは云ふまでもなく軍人個々の勝手気儘な
政治行動を主張するのでなく、
それは飽くまでも皇軍一體としての態度である )

その統帥大權の下、皇國本然の態勢を牙保せる独自の地位を斷乎徹底的に發揮し、
以て國體本義の明徴--維新のために猛進することである。

(六) 結言
即ち皇國軍人今日の重大責務は、國體本義の明徴--維新のため斷乎堂々の軍を進め、
皇軍精神を十全徹底的に發輝することである。
このために今日軍に必要なることは、正に相澤中佐が一死以て指教せる粛軍である。
粛軍の叫は今日色々の方面より擧げられてゐる。
されど以上の本義に基かざるのそれは、
恐懼 「皇軍ヲ恢弘シ國威ヲ宣揚スル 」 皇軍の本義を
蹂躙する私のための粛軍であり、
それは潜上 天皇御親率の大義を冒瀆するの大逆である。

耳を掩ひておおいて 鈴を盗むの類ひなる 「 派閥的策動排撃 」 「 流言蜚語翦成 」 「怪文書清算 」
なる叫びは即ち、こうした爲めにせんがための粛軍のスローガンである。
識るべし粛軍とは、
要するに 「 天皇親率ノ下皇基ヲ恢弘シ國威ヲ宣揚スル本義トス 」 る皇軍精神
の十全徹底發輝そのものである。
重語以て結論とせん。
粛軍とは 「 天皇親率ノ下皇基ヲ恢弘シ國威ヲ宣揚スル本義トス 」 皇軍精神の十全徹底發輝そのものであり、
皇軍精神の十全徹底發輝は今日具體的には、

軍が國體本義の本義の明徴--維新のために斷乎徹底的に猛進することである。
即ち皇國軍人は今日の重大責務は國體本義の本義の明徴--維新のために斷乎徹底的に猛進すべく
それぞれの地位立場よりおのもおのもが本分を盡すことである。

(十二月十五日)