磯部淺一
第十五
官邸正門前に於て
登廳の軍人を適當になだめて退却させていると、
一少佐が憤然として、
「 余りひどいではないか、兵が吾々將校に對して銃劍をツキツケて誰何をする 」
と 云ふ。
余は、其の通りだ、
すこぶるひどいのだ、
軍隊はすでに何年か以前に自覺せる兵と下士によって將校を非定しようとしていたのだ、
全將校が貴族化し、軍閥化したから、
此処に新しい自覺運動が起こった、
それが上官の彈壓にあふたびに下へ下へとうつって、
今や下士官兵の間にもえさかってゐるのだ、
貴様等の様に、自分の立身成功の爲には兵の苦労も、
其の家庭の窮乏をも知らぬ顔の半兵衛でうなぎ上りをした奴にはわからぬのだ。
兵に銃劍を突きつけられて恐ろしかったのだらふ、
正直に云へ 恐しかったのだろふ、
ドキンとしたのだらふ、
今に見ろ、
平素威張り散らした貴様等がたたきのめされる日が來るぞ、
と 云ってやりたかったが我慢して、
「アア左様ですか、仕方がないですね」
と 意味あり氣に答へた。
實際、渡邊大將を襲撃して歸って来た安田、高橋太郎部隊の下士官、兵は、
トラックの上で萬歳を連呼して、昭和維新を祝福し、靜止させる事の出來ぬ滔々の気勢を示していた。
時の陸軍大將、教育總監を虐殺して欣喜乱舞する革命軍隊の意氣の前に、陸軍省あたりの小役人、一少佐が何であるか。
・
歩哨の靜止命令をきかずして一台の自動車がスベリ込んだ。
余が近づいてみると眞崎將軍だ。
「 閣下統帥權干犯の賊類を討つために蹶起しました、情況を御存知でありますか 」
と いふ。
「 とうとうやったか、お前達の心はヨヲッわかっとる、ヨヲッーわかっとる 」
と 答へる。
「 どうか善處していたゞきたい 」
と つげる。
大將はうなづきながら邸内に入る。
門前の同志と共に事態の有利に進展せんことを祈る。
この間にも 丹生は、登廳の將校を退去させることに大いにつとめる。
余は邸内広間に入りて齋藤少將に、
「 問題は簡單です、
我々のした事が義軍の行爲であると云ふ事を認めさへすればいいのです、
閣下からその事を大臣、次官に充分に申上げて下さい 」
と 頼むと、
「さうだ義軍だ、義軍の義擧だ、ヨシ俺がやる 」
と 引受ける。
・
石原莞爾が廣間の椅子にゴウ然と坐している。
栗原が前に行って
「 大佐殿の考へと私共の考へは根本的にちがふ様に思ふが、維新に對して如何なる考へをお持ちですか 」
と つめよれば、
大佐は
「 僕はよくわからん、僕のは軍備を充實すれば昭和維新になると云ふのだ 」
と 答へる。
栗原は余等に向って 「 どうしませうか 」 と 云って、ピストルを握っている。
余が黙っていたら何事も起さず栗原は引きさがって來る。
邸内、邸前、そこ、玆、誠に險惡な空氣がみなぎってゐる。
齋藤少將が何か云ったら、
石原が
「 云ふことをきかねば軍旗をもって來て討つ 」
と 放言する。
少將は直ちに石原に向ひ、
「 何を云ふか 」
と 云ふ態度でオウシュウする。
大臣と眞崎將軍とは別室に入りて談話中。
山口大尉は小藤、石原、齋藤少將等と何事かをしきりに談合中。
註
時間の關係が全然不明。
二十五日夜より二十九日夕迄、食事をとること僅かに三度だ。
呑気に食事なぞする餘裕がない程に、事態が變轉急転轉するので、
時計を見るひま、その時間を記憶する餘裕などとてもない。
左様な次第ですから事実實の前後關係については、多少の相違があるかもしれん。
次頁 第十六 「 射たんでもわかる 」 に 続く
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