嶋津隆文オフィシャルブログ

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沢木耕太郎『深夜特急』と自著の類似性に苦笑する

2015年04月13日 | Weblog

「沢木耕太郎の旅のエッセイがとても好きなんです」。職場の若い友人がそう語って薦めたのが『深夜特急』でした。退職を間近にした私にはその時の彼女の目の輝きが印象的で、思わず手にしてみようという気にさせられ、文庫本6冊の読破にこの週末は挑みました。

沢木耕太郎は同じ昭和22年の生まれ。長身でその颯爽とした後姿には学生当時から嫉妬していたものです。しかも浅沼稲次郎刺殺とその犯人少年を描いた『テロルの決算』を20歳代で書きあげた筆力に圧倒され、その以後無意識のうちに敬遠してきた存在です。

30年ぶりに読み通してみて、遅ればせながら沢木耕太郎の視角と表現がひどく自分に類似していることに驚かされました。時代というものは確実にその世代の発想や行動を規定するようです。

香港―マカオ―インド―ネパール―シルクロード。そして後半はトルコ―ギリシャ―ローマ―ロンドンと続く沢木耕太郎の『深夜特急』の旅。その軌跡はしかし、前後して訪れる自分の旅先と大半が重なるのです。そしてその旅の出来事をなぞりながら私が著したのが『どこで、どう暮らすか日本人』。沢木耕太郎同様に、バブル崩壊前夜の日本にあって、自分なりに文明の光と影を見定めようとした試みでした。

もちろん沢木耕太郎の爽やかな語り口とは異なり、どこか衒いのある私の論理展開には未熟さがありましょう。しかし30年の時空を超えた今、ちょっと二つを並べてみるのも一興ではないかと思いつきました。その類似性や如何でしょう。

「風に吹かれ、水に流され、偶然に身をゆだねる旅。そうやって〈私〉はやっとインドに辿り着いた。カルカッタでは路上で突然物乞いに足首をつかまれ、ブッダガヤでは最下層の子供たちとの共同生活を体験した。ベナレスでは街中で日々演じられる生と死のドラマを眺め続けた。そんな日々を過ごすうちに、〈私〉は自分の中の何かから、一つ、また一つと自由になっていった――」(『深夜特急』)。

「アンデスの風の中。クスコからマチュピチュの遺跡に向かう電車の窓から昔ながらの土づくりのインディオの家々を見た。ふと気がつくといずれも屋根の上にポツンと小さな動物が置かれている。あとで聞くと豚をあしらった置物で、豊かになることを祈るものだという。黄金の国の末裔が手のひらの上にのる程の豚の置物に豊穣の思いを込めるというのだ。文明というものが辿る盛衰の歴史と民族が営む喜びと悲しみのあることを、思い切り知らされた旅であった」(『どこで、どう暮らすか日本人』)。

『深夜特急』(新潮社)の出版は1986年、『どこで、どう暮らすか日本人』(TBSブリタニカ)の出版は1988年のことです。

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