「愛知大学記念館」
毎週火曜日は愛知大学(豊橋)で地方自治の講座を担当しています。地域政策学部の学生を中心に、その数およそ100人という大所帯です。
100人もいれば授業態度もいい加減かと思えば、殆どの学生達の熱心さに驚かされます。私語がない、居眠りがない、遅刻がない。そして何よりも講義への食いつきがいいのです。
その食いつきのよい学生達が、ひときわ私の発言に興味を示した場面が一昨日の教室でありました。それは私がこう指摘したときのことです。
「皆さんは地域政策学部の学生であるし、それだけに地方分権は正義、中央集権は悪弊と考えているでしょう。しかし国家という視点から考えると、地方分権が悪、中央集権が是ということもあるのです」。
その例として挙げたのはドイツの話し。ドイツでは連邦で法律を制定する場合、16の州代表者から構成される連邦参議院の同意が必要とされる。そのため戦後半数近い連邦法がここで拒否され、国としての諸改革の足を引っ張って来ているという内容です。
ベルリン州の私の知人もこう言っていたと付言しました。「連邦参議院制度は第二次世界大戦後に、連合国が敗戦国ドイツに対し、法手続きを複雑化して、再び強いドイツをつくらせないために設けたもの。そう僕らは考えています」と。
地方分権を国家主権あるいは中央集権と対峙させ、極端に地方分権至上主義に立つことは殆どアナキズム(無政府主義)に陥る危険性があるとも話しました。
地域政策学部の学生達にとって、地方自治の否定ないし相対化は青天の霹靂であったようです。しかしその学生達の動揺の大きさには、むしろ教壇の私の方が動揺するといった講義風景でした。