嶋津隆文オフィシャルブログ

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国立の夏は朝顔の街にしよう

2007年09月12日 | Weblog

味わいのある街には、味わいのある人がいて、味わいのある言葉があるものです。

昨夜(9月11日)は久方ぶりに、こんな風につくづく納得する幸せな時間を味わうことができました。「国立の生き神様」の関頑亭先生と嵐山光三郎先生の公開対談「くにたちを魅力的な町にする法」(芸小ホール)でのことです。

国立(谷保)の歴史を、何と平安から江戸、堤康二郎の大正・昭和のまちづくりに至る1000年軸で語りあい、その一方で国立のそこここの界隈と人々に秘せられた、玉のような思い出を披瀝してくれました。大学通りに今上天皇の誕生を祝って桜と銀杏を植えた経緯や大田蜀山人と谷保天にまつわる由来などを様々に聞くにつけ、この街の歴史と街並みは抱きしめるように大切にしていくべきものと会場の誰もが思ったに違いありません。

 そんななかで嵐山先生が、これでも今日のために必死で考えてきたんだと例の人懐っこい笑顔でこう主張していました。「国立の夏は朝顔のまちにしよう」と。国立の春は桜があり、秋は銀杏が色づいて人々を和ませる。しかし夏には街に欠かせない大事な花がない。そこで朝顔の花を家々の庭先に植え、しかもお互いにそれを協力し合って広げていく。朝顔を国立のもう一つの誇りとする。おカネのない国立でも志はしっかりある街であることを示していこうではないか。そう訴えたのです。

 朝顔の根には深さが必要だからコンクリートの道の傍らに植えることは難しいのではないか。
それにしても協力する人とそうでない人がいるからね。かかるおカネを今の市役所ではとてもカバーできないよ。会場を去りながら、そんな言葉が行き交っているのを耳にしながらも、この朝顔プランはけっこういけるんではないかと心を高ぶらせたものでした。

 しかしそんな会場の隣では昨日も一日中、国立市議会が紛糾していました。国立駅周辺まちづくり計画の基本方針案をめぐって市長の姿勢が迷走しているからです。財政フレームを明確に示そうとしない市に反発が出たりしたからであります。

この駅周辺のプロジェクトは200億円を越す大事業です。そんなこともあって何よりも議会の不信の根っこにあるものは、またまた論議だけで実際の工事作業に入らないのではとの不安ではないでしょうか。前の上原市長は、7年前に諮問会議から早期に市の計画案をつくれと提案されてそのままにし、3年前にも同様に提案され、その間にも商工会からも幾度も提案がありながらそのまま放置して来ました。やりたくない(財政や住民の調整が大変)、やれない(JRや都との交渉が苦手)という思いがそこにはあったのでしょう。現市長はそんな経緯を冷静に反省することなく、前市長路線を単純に継承するというのですから、不信は拡大するというものです。何にしても財政を軽視して行政は絶対にやれません。

味わいのある街にも、時として味わいのない人がいて、味わいのない市政を行ってしまうものなのでしょうか。

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