嶋津隆文オフィシャルブログ

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秋ちかき心の寄るや四畳半

2007年09月17日 | Weblog

この句は、芭蕉が親しい門人たちと狭い小部屋に集まって過ごす醍醐味を詠ったものだといわれます。いや、これを突然とり出すのは、先日国立の芸小ホールでお会いした天下の風流人、嵐山光三郎先生からいただいた『悪党芭蕉』(新潮社)から引用したのでも、秋風が確実に感ぜられるようになった季節のせいでもありません。

それは風流とはもっとも遠い、通勤ラッシュ時の、四畳半ならず電車の狭い空間での苦々しい事件を想い出したからなのです。先日中央線で、都心に向かう車内で突然声が上がったのです。この人痴漢、痴漢です! 違うぞ、ぶつかる鞄を払っただけじゃないか!と。次の駅で女性とともに一人の年配の男性が駅員に同行されていきました。

真実は分かりません。ただそのとき強烈に頭に浮かんだのは、先般テレビで放映していた国立市の50代の男性が、痴漢容疑が冤罪だとして裁判闘争を行っている映像でした。一方的な女性側の主張があり、男性は無罪を主張しつつも、やがて会社も辞めさせられ、近所の刺すような視線を家族とともに受けているのです。数年たってまだ裁判は続いているというのです。

痴漢がいいとは誰もいいません。しかしコト痴漢事件に関する限り、どうも最近バランスを欠いているのではないかという気がします。弱き被害者=女性という視点は、揺るぎない力を持って男性を追い詰めることができるようです。男と目線が会えば突然、この人痴漢と叫ぶ女性が以前蕨の駅で保護されました。しかしその妄想と常習性が判明するまで、幾人もの男性が警察に犯罪者扱いにされたと駅員に聞いたことがあります。

一方で警察も、力を持っての強引さでは同質です。容疑を否認すれば、証拠隠滅のおそれ等を理由に何とサラリーマンを23日間、法の「適正な執行」として勾留するのです。その間に当該男性が社会的に抹殺されてしまうにもかかわらずです。

力(権力)を持ち始めた人たちは、いつのまにかその権利意識を膨張させ、他人の立場に鈍磨していくのかも知れません。女性と警察による、一方的、査問的な取調べや立証のやり方は、そろそろ反省していかなければいけない時期に来ているのではないでしょうか。 

「この頃は電車で近くに女性がいると怖くて、両手をずっと挙げたままで通勤するようにしているよ」。こうこぼす人たちが年配層に少なくないことも知りました。「このおっさん、キモイから痛い目にあわせてやる」。こんな女性がいたら、一巻の終わりというのです。

そんな会話を夕食時にしていたら、家人が「それだったら女性専用車両だけでなく、男性専用車両もつくるといいよね」と提案しました。「女子高生のひと声で30年の会社員生活が一挙に崩壊するんだから」。なるほど、男性専用列車ねえ。笑えないジョークの重さに、夕食の旬のサンマもひときわ苦い味わいとなったものです。
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