がんじがらめの役所のスケジュールの中に過ごしていると、空の大きなことも星の広がっていることも忘れる昨今です。しかし昨夜は違いました。仲秋の名月です。
渡邉崋山にちなむふるさと田原城でも月見会が持たれ、なんと300人近い人たちが城跡を訪れました。私もその一人として城に足を運び、会場でスピーチを終えた後、三味線の演奏を聞きながら空に煌々たる月の光に浸りました。
そうそう、自分はかんじがらめのスケジュールの中なんだ。…そんな自嘲的な呟きからふと口に出るのは、尾崎放哉であり種田山頭火というものです。あの自由奔放な生き方と自由律の句。そういえばこんな句がありました。
こんなよい月を一人で見て寝る(尾崎放哉)
鎌倉はよい松の木の月が出た(種田山頭火)
いい句です。しかし言うまでもなくこの両人とも変人として疎まれ続けられました。自由さとはやはり反社会的な営為なのかもしれません。そんな自由はとても選択できるはずもない。そんなこんなと考え始めると、積み重なっている疲れなどいつ迄もとれることはありません。