ニューヨークへ行って嬉しかったことは、無印良品のお店に行けたこと(日本からこれを読んでいる人にはなんのおもしろみもないかもね)。地味やね。
無印良品は京都に住んでいた頃に近所のジャスコに入ってたので、とても身近なお店でしたが、アメリカに来てから2年。私の生活から無印はさっぱりなくなりました。なければないで、必要ないかというとそうでもない。
この2年間、心のなかで「むじるし~!」と叫ぶことしばしば。
それは、旅行に行くのに小分け用のボトルを買いたいとき、なんでもない木のお箸をたくさん買いたいとき、生成り色の印刷用ペーパーを探しているとき、ワークショップ等で使う色とりどりの素材を入れるアクリル透明容器を探しているとき、靴下、Tシャツ、ふだん着がだんだん古びてきててシンプルなシャツを新調したいとき。
とにかく、シンプルで、清潔で、実用的なもの一般を探してるときは必ず、
「むじるしがあればいいのに!」と思ってきたのです。
とくに収納用品については、シンプルで、まっすぐなラインや直角しか使っていなく、ノーマーク、ノーロゴ、なものをアメリカで見つけるのは無理、と悟りました。
それが、今回のニューヨーク散歩でSOHOを歩いているときに無印良品のお店に2年ぶりに立ち寄れた!(ぜんぜん下調べせずに歩いてたので、出会った時はうれしかった!)お店のなかはBGMも雰囲気も商品も、日本の無印良品そのもの!店員さんも日本人。
このシンプルさ。
ふつうであることがこんなに心地よく、
ふつうであることがこんなにもあたたかいなんて。
おぉ、アメリカにきて2年、忘れかけていたよ。
サンフランシスコにかわいいものはたくさんあると言えど、無印のようにシンプルなのは見つけられないなぁ。日本のデザインはひき算で、アメリカのはたし算なんだもの。
サンフランシスコに進出してくれないかなぁ。無印。
買ったものは、私サイズのキャミソールとふわっとしたガーゼコットンのチュニック。心がひたひたと満たされました。生活のなかに、無印良品という選択肢がふつうに浸透してた日本。あの生活はめぐまれてたんだと思う。I miss that.
(今ネットで見てたら、SOHO店よりもTimes Square店のほうが新しく店舗も広々しているそう!次回は必ずタイムズスクエア店に行くぞー!)
無印良品は京都に住んでいた頃に近所のジャスコに入ってたので、とても身近なお店でしたが、アメリカに来てから2年。私の生活から無印はさっぱりなくなりました。なければないで、必要ないかというとそうでもない。
この2年間、心のなかで「むじるし~!」と叫ぶことしばしば。
それは、旅行に行くのに小分け用のボトルを買いたいとき、なんでもない木のお箸をたくさん買いたいとき、生成り色の印刷用ペーパーを探しているとき、ワークショップ等で使う色とりどりの素材を入れるアクリル透明容器を探しているとき、靴下、Tシャツ、ふだん着がだんだん古びてきててシンプルなシャツを新調したいとき。
とにかく、シンプルで、清潔で、実用的なもの一般を探してるときは必ず、
「むじるしがあればいいのに!」と思ってきたのです。
とくに収納用品については、シンプルで、まっすぐなラインや直角しか使っていなく、ノーマーク、ノーロゴ、なものをアメリカで見つけるのは無理、と悟りました。
それが、今回のニューヨーク散歩でSOHOを歩いているときに無印良品のお店に2年ぶりに立ち寄れた!(ぜんぜん下調べせずに歩いてたので、出会った時はうれしかった!)お店のなかはBGMも雰囲気も商品も、日本の無印良品そのもの!店員さんも日本人。
このシンプルさ。
ふつうであることがこんなに心地よく、
ふつうであることがこんなにもあたたかいなんて。
おぉ、アメリカにきて2年、忘れかけていたよ。
サンフランシスコにかわいいものはたくさんあると言えど、無印のようにシンプルなのは見つけられないなぁ。日本のデザインはひき算で、アメリカのはたし算なんだもの。
サンフランシスコに進出してくれないかなぁ。無印。
買ったものは、私サイズのキャミソールとふわっとしたガーゼコットンのチュニック。心がひたひたと満たされました。生活のなかに、無印良品という選択肢がふつうに浸透してた日本。あの生活はめぐまれてたんだと思う。I miss that.
(今ネットで見てたら、SOHO店よりもTimes Square店のほうが新しく店舗も広々しているそう!次回は必ずタイムズスクエア店に行くぞー!)