Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

京都恋し。

2011-06-10 19:59:19 | 京都
急にすごく京都に行きたくなって。
それも観光地としての京都じゃなくて。
住んでた頃の、あの頃の「ふつうの京都」にふらっと舞い戻りたくなった。

そんなことって、誰しも少なからずあるのかしら。

お寺とか神社じゃなくて、
あの、蒸し暑いアスファルトと、モワッとした空気のなかのあの緑の木々。
あそこ、どこだったっけ?って。

たしかにアタマの中にある遠い記憶の一風景が、今まで訪れたいろいろな都市と重なって、
「あの時代の」、「あの街の」、「あそこの風景」、
というふうにピンポイントに思い出せなくなってきてる。

しかも、
太平洋をがっつりはさんでアメリカの西海岸サンフランシスコにいる身となっては、
そう簡単に京都へも行けない。

仕方ないからGoogle Mapで京都までひとっとび。
ストリートビューで「今」の京都の街並を見る。
記憶のままに残っている街の部分と、安っぽい派手な看板に置き換わってしまっている部分と。
それでも記憶の断片をスクリーンの中に見つけて少し安心する。

西院の駅前もだいぶ変わったんだね。
ストリートビューで西院駅前に降り立ち、
そこから昔ともだちが住んでたアパートに行ってみた(バーチャルでね、笑)。
たしか、路面電車の踏切を超えて、ひとつめの曲がり角を曲がって、、、

あ、竹田ハイツあった。(あのままだよーYちゃん!)
なつかしーな。


(今にも大学時代の Y がひょっこり出てきそう、、、)


あーーー、京都にいきたい(切実)。

そう思ったら、自分の中の「ふつうの京都」が走馬灯のようにフラッシュバック。

夜明け前の東寺の境内とか、
平日夜の五条にあるリサーチパークのところのスタバとか、
春の夜の木屋町四条から五条をくだる道とか、
11月の西本願寺の銀杏、
冬が始まる前の北山通り。
夕方6時ちょっと前の花見小路とか、
5月のスッカーンと抜けたような青空バックの嵐山とか、
真夏に西院駅の地下から地上に出たとき四条に見える陽炎とか、
外大前のモスとか、
京阪丹波橋の踏切とか、
閉店間際のアバンティブックセンターとか、
葛野大路八条さがったところの形よい並木たち、
赤池の交差点を西に行ったところの一面の菜の花とか、
東京出張でやっと帰り着いた時の新幹線のホームのアナウンス。
「京都、京都です。」

なんてことのないシーン。
でもどれも、大好きだった街の記憶。
ある特定の空気感と感覚でしっかり覚えてる京都の街のかけら達。

なつかしい。

ふと気がついてみれば、
サンフランシスコでは、5年前の私を知る人は1人もいなくて、
バタバタと過ぎていく日常では私自身の過去についてふりかえる時間もなくて、
自分が歩いてきた道を知らず知らずのうちに封印してしまってたりする。

ふだんまーったく思い出さない代わりに、
急にこんなふうにぐわーーーっっっっと、何かが押し寄せてくるようなことが、あるんだね。

といって、これとてまた、忘れてしまうのだろうけど。
だから日記に記してみたよ。