皆川博子さん、『倒立する塔の殺人』

 皆川さんの新刊を読める幸せを、何度も噛みしめたのであった。おお。

 タイトルだけはずっと前から知っていた(遡れば『死の泉』にも出てくる)。ミステリーYA!の情報では10月の刊行となっていた。以来、首を長くして待っていたが、10月になって何度もチェックした挙句11月に延びたことを知った。…でも、いずれ読めるならば、少しくらい延びようとなんぼのもんじゃい…などと思いながら待ちかねていたこの本。遂に手に入れてしばし、眺めるだけでにやにやしていた。 

 『倒立する塔の殺人』、皆川博子を読みました。
 

 先ずは一言、すみません…無批判に好きです。隅々まで好きです。
 つるりとした紙質の表紙には、つるりとした肌としなやかな肢体を持つ三人の少女の姿がある。どこからどう見ても、儚い硝子や朝露や薔薇の花びら…といったものだけから造られたような彼女たちの足元が、地に着いているとはとても見えない。ふわり、宙に浮いている。

 舞台となるのは、戦中から終戦後へかけての昔の女学校です。そこで、戦中ゆえに取り立てて事件として取り上げられなかったけれど、もしかしたら殺人か…?という事件があった、らしい。ここのところ、“らしい”という仄めかし程度の情報だけで話が進んでいきます。 
 何というか、不思議な読み心地のする話です。全体を俯瞰しづらい理由の一つに、作中作となっている「倒立する塔の殺人」の存在があります。この作品の中に「倒立する塔の殺人」は二つあって、一つは少女たちが書き継いでいくノートそのもののタイトルであり、もう一つはそのノートの中に出てくる小説のタイトルであります。ええっとつまり、作中作の「倒立する塔の殺人」の外側に、そのノートの書き手となった少女たちの書記があり、さらにその外側に、そのノートの読み手となる阿部欣子(ベー様)のいる今の時間が流れている、という入れ子の構造になっています。 
 そしてしかもべー様が、ちゃんと順番通りに読まなかったりするのも、心憎い仕掛けとなっているのです(ちなみにこのベー様、ぬーぼーとして異彩を放っているところが何とも素敵でした)。

 で、このノートの内容の方を読んでいても、作中作となる「倒立する塔の殺人」の持つ意味が終盤に至るまでわからない。この小説がどんな風にして外側と繋がるのか…?と首を傾げつつ、何処となく悪魔的で幻想文学のような雰囲気に引き寄せられてしまうのですが…。
 戦争中であろうと平和時であろうと、少女たちの世界には少女たちだけのルールしか通じないのかも知れない。そんな閉塞感さえも、堪らなくよかったです。 
 なかなか終わらない戦争の所為で、親や級友たちの死にさえ麻痺してしまった彼女たちの姿は、それ故に哀れであると同時に、やっぱりどことなく狂った美しいお人形のような印象も否めなかったです。でも、美少女とはもともと斯様に浮世離れした存在ですし。マリー・ローランサンの絵のような美少女(と言っても二十歳ぐらいか…)が、エゴン・シーレに心酔していたり、『わたしも、ドストイェフスキー、好きなのよ』なんて会話が散りばめられていたりして(他にも色々…乱歩だのルドンだの)、うっとりと溜め息が出るくらい、皆川さんの嗜みにも触れることの出来る贅沢な一冊でした。
 もちろん謎解きの方も、ふかぶかと溜め息が出ました。はあ…。またまた思い出してうっとり…です。

 
 そうそう、佳嶋さんという装画家は、皆川さんのご指名だそうです。ホームページを拝見すると、綺麗なばかりでもない作風が私も好みです。短編集『結ぶ』の中に、画集で一目惚れした画家の絵を、自分の作品の装画に使いたくてこだわる作家の出てくる話があったのを、ふと思い出しました。

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