3月15日

 アヴラム・デイヴィッドスン/池央耿訳『エステルハージ博士の事件簿』を再読した。
 
 やはり面白くて隅々まで大好きだった。
 ペダンティックではありつつどこか飄然とした作風が、エステルハージ博士その人の風変わりな魅力にも重なる。一筋縄ではいかない三重帝国の人々が織りなす、一筋縄ではいかない怪奇な事件とその謎の行方…。

 お気に入りは「神聖伏魔伝」(なぜか皆“縫い取りのあるチョッキを掴んで…堆肥の山に倒れ込む”)、「イギリス人魔術師 ジョージ・ペンバートン・スミス卿」、「真珠の擬母」(オンディーヌ!)。
 そして今回は、「夢幻抱影 その面差しは王に似て」の夢の一片を追うような儚さがあらためて沁みた。

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3月11日

 アン・ラドクリフ/三馬志伸訳『ユドルフォの怪奇 下』を読んだ。
 
 頗る面白かった。“ゴシック小説を読んだ!”という満足感にどっぷり。

 ピラネージの装画のイメージも相俟っておどろおどろしい内容を期待したが、存外それほど満遍なく怪奇…という訳でもなく(ユドルフォ城は充分に不気味でよい)、非の打ちどころのないヒロイン・エミリーが恋をしたり非現実的な苦境を乗り越えていく展開は痛快だった。
 とりわけ、何かと気絶してしまうエミリーが実は気骨ある女性で、己を利用しようとする輩に屈しないところが好きで感嘆した。当時このような女性を描いたということに、とても意義があったのではないか…と。
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3月7日

 アン・ラドクリフ/三馬志伸訳『ユドルフォ城の怪奇 上』を読んだ。
  
 訳者解題にもあるけれど、マダム・シェロンの造形が忘れがたい。そして、「崇高と恐怖」というテーマ。

 “しかし、このような心を期待で高揚させる「恐れ」とは純粋に崇高なものなのであり、一種の魅了作用によって、思わず縮みあがってしまうような事物にさえ、我々を引きつけてしまうものなのだ。”

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3月4日

 アンナ・カヴァン/安野玲訳『眠りの館』を読んだ。
 
 一篇一篇、息を詰めてしまう。凍てて美しくグロテスクで、どこまでが夢でどこからが異様な幻視なのか…と眩暈しながら。
 アンナ・カヴァンの作品群に魅了されて久しいので、Bの孤独もAの憂鬱も既に馴染みのようだった(例えばリジャイナがいてガーダがいて)。
 硬く閉ざした心の強張りも、絡みつく不安の感触も、私の中でひりりと懐かしいままだ。

 “一刻の猶予も許されない状況で、わたしは新しい夜の魔法の使いかたを編み出しました。夜の時間の魔法で、昼からの避難場所として頭のなかに小さな部屋を作ったのです。とはいえ、ときおり虎が羨ましく思えました。(略)そんなときは、深い傷から血が流れるように、気弱な愛が苦しいほどにこの身からあふれるのを感じたものです。”
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2月27日

 ジェイムズ・ジョイス/丸谷才一・永川玲二・高松雄一 訳『ユリシーズ Ⅳ』を読んだ。
 
 やっと初めての通読。とても面白かった。とりわけ言葉への執拗な拘りや言語遊戯などについては、偏に訳注のお蔭で楽しめた。
 その一方で、何から何まで明け透けな小説が好きなわけではないので(ちょっとぼかしてくれ…)、その点は割り切らなければいけなかったり。

 第十七挿話「イタケ」の教義問答形式は、ふっ…と笑えて好きだった。
 ここで出てくるモリーの関係者リストwの答え合わせが、最終挿話「ペネロペイア」で出来るのかと思いきやそうでもなかったり、最後までブルームの性格がはっきりわからないところもよい(妻の不義のお膳立て? そんなオデュッセウス…?)

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2月21日

 ジェイムズ・ジョイス/丸谷才一・永川玲二・高松雄一 訳『ユリシーズ Ⅲ』を読んだ。
 
 とても面白く読めている(これも偏に訳注のお蔭)。
 とりわけ第十四挿話「太陽神の牛」の文体パスティーシュには圧倒された。古代英語から順々に時代を下って書かれているそうだが、ラテン語散文直訳体は明治の漢文くずしとか、ロレンス・スターンの文体は三遊亭円朝の人情噺の文体、本居宣長の擬古文、石田梅岩の文体とか平田篤胤『古道大意』の文体…とかとか凄い(マニアックw)。
 それでその内容は、婦人科病院の一室で管を巻く男どもの“猥談の宴”って何なのww 

 巻末のエッセイも面白くて、『ブヴァールとペキュシェ』続編説にはのけ反った。
 めも)当時のアイルランドの貧しさ、人々の鬱屈と諦めの感覚、大飢饉のトラウマ、パーネル崇拝(メシアニズム)。
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2月15日

 ジェイムズ・ジョイス/丸谷才一・永川玲二・高松雄一 訳『ユリシーズ Ⅱ』を読んだ。
 
 とても面白く読めている。これは偏に膨大かつ丁寧な訳注のお蔭だなぁ…と。
 第九挿話のスティーヴンの《ハムレット》論(登場人物をシェイクスピアの家族に置き換えたりw)や、第十二挿話内に挿入される文体パロディ(こういうの割と好き。33もあるw)、第十三挿話における女性向け大衆小説文体からのブルームのク○っぷり、などなど。

 あまり感じの良いひとは出てこない気がするが、解説にある「ダブリン気質」を聊か誇張して描いている…ということだろうか。

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2月12日

 ジェイムズ・ジョイス/丸谷才一・永川玲二・高松雄一 訳『ユリシーズ Ⅰ』を読んだ。 
 
 漸く遂に読み始めた。流石に面白いけれど訳注が多くて行きつ戻りつ、とても時間がかかるので先は長いなぁ…と。
 ギリシャ神話もシェイクスピアも一応好きなので(詳しいわけでは全然ないがw)、そういうところから楽しんでいければ。
 
 めも)スティーヴンは自分をテレマコスおよびハムレットに見立てている。へレンズやマリガンは求婚者たち、ハムレットの叔父。

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2月6日

 クライスト/山口裕之訳『ミヒャエル・コールハース チリの地震 他一篇』を読んだ。 
 
 お目当ての「ミヒャエル・コールハース」がとても面白かったので満足。解説を読んで、多和田葉子の『エクソフォニー』を読み返したくなった。 

 “つまりは、世の中の人たちは彼の思い出を祝福したにちがいない、もし彼が、ある一つの徳について度を越えたふるまいをしていなかったとすれば。しかし、正義の感情が彼を人殺しの盗賊としたのだった。”

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2月2日

 ジャック・ダデルスワル = フェルサン/大野露井訳『リリアン卿 ── 黒弥撒』を読んだ。
 
 十九世紀末の、オスカー・ワイルド事件や作者自身が起こした「黒ミサ事件」を元に描かれた鍵小説。爛熟と頽廃と、“花と香水と病的な精神の狂宴”の中、貪婪と恥に塗れていくナルキッソスの如きリリアン卿の物語。

 “十五歳。可愛らしく、瑞々しく、生命に満ちて、それが何かもわからぬままに愛を渇望する。愛については本で読んだだけ、あるいは夢に心の声を聞いただけである。”

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