らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

小話「メイド・イン・ジャパン」

2016-05-21 | 趣味

昨年9月に発覚したドイツ自動車大手・フォルクスワーゲンの排ガス規制逃れ問題の時には大変驚きました。
ワーゲンがそんなことをするのかと思いました。
日本では絶対そのようなことはないと信じていたのですが、先日、三菱自動車に続き、スズキまで燃費データの不正操作をしていたことが発表されました。
メイド・イン・ジャパンの信頼性はどうなるのでしょうか?

外国に次のような小話があるそうです。
旧ソ連の集団農場に3人の男が呼ばれました。
その3人は定刻に遅れてきた人と早く来た人、そして時間通りに来た人の3人です。
定刻に5分遅れた男は「サボタージュだ(怠慢)」ということで逮捕されました。
5分早く来た男も逮捕されました。「スパイだろう」と言うことです。
そして、定刻通りに来た男も逮捕されたのです。「日本製の時計を隠し持っているに違いない」と言うことです。

これは猜疑心が凝り固まった社会を風刺した小話ですが、「made in japan」の高い品質が笑いのネタにされるほど世界から信頼されていたのです。

戦後、日本製品は「安かろう悪かろう」から戦後復興が始まりました。
そして10年、20年の期間をかけて品質向上に努め、世界から信頼される「made in japan」の信頼性を確立してきたのです・。
70年経ってその信頼性を決して崩してはいけません。
企業経営者には猛省を促したいと思います。


松江の七不思議

2016-05-20 | 旅行

今、日本の首都東京が揺れています。
一方、揺れていないのは「神々の国の首都」です。
「神々の国の首都」とは、山陰の松江のことで、これを命名したのは明治の文豪小泉八雲です。
先日、某テレビで、小泉八雲の「松江の七不思議」の話をしていました。
そこで今日はこの七不思議を調べてみました。

「松江の七不思議」
小泉八雲が記している「松江の七不思議」の言い伝えは次の通りです。
①:源助柱(gensuke_pillar)
慶長年間にはじめて松江大橋を架けるとき、何度造り直してもすぐに大水に流されてしまう。水神の怒りに違いないと、人柱を立てることとなり、選ばれたのが源助(gensuke)でした。それ以来、夜になると源助柱(gensuke_pillar)に鬼火が飛び交ったと言われます。
なお、源助(gensuke)柱は松江大橋の南詰に公園として整備され残っています。
②:嫁が島(yomega_shima)
昔、姑にいびられた哀れな嫁が、里帰りをしようとしました。近道をしようと氷の張った宍道湖を渡ったとき、氷が割れて宍道湖の中に落ちて死んでしまいました。
神様は余りにもかいそうなので、嫁のなきがらを乗せて一夜の内に島をお造りになり浮かび上がらせました。
③:お城のきつね
松平直政公(matsudaira_naomasa_kou)が松江藩主になった時、稲荷新左衛門と名乗る少年が、「城内に私の住む所をお作り下さるのなら、火の禍を防ぎます」と言って消えました。
そこで、直政公は城内に城山稲荷神社を造りました。
④:松江城の人柱
何度も崩れる石垣の下に、お祭りで踊っていたある美しい女性が人柱として生き埋めにされました。石垣は崩れなくなったものの、城が完成してから、盆踊り禁止令が出されました。それは、女性たちが盆踊りを踊るとお城全体が揺れ動くからだと言われています。
⑤:小豆とぎ橋
普門院(fumon_temple)の近くにある「小豆とぎ橋」では、杜若(kakitubata)の歌を歌ってはいけないと言われていました。
ある時、豪快な侍が大きな声で歌いました・・。そして、家の前にいた美しい女性の差し出した箱を開けてみると、そこには自分の子供の首が・・・・・。
⑥:子育て飴
毎日ある飴屋に若い女が飴を買いに来る。ある晩飴屋の主人が不信に思って後をつけると、大雄寺と言う寺の中に消えました。
ある新しい墓の下で子供の泣き声がするので掘り返してみると、そこには元気な子供と最近埋葬されたばかりの若い女性の躯が・・。
「母の愛は死よりも強い」。
⑦:子供の幽霊:(知られざる日本の面影」より
八雲は島根半島の「加賀の潜戸(kukedo)」を訪れた。新潜戸(new_kukedo))は佐太(sada)大神が生まれた場所で、旧潜戸(old_kukedo)は子供の魂が集う「賽(sai)の河原」として知られています。
この話は、八雲が旧潜戸(old_kukedo)で遭遇した不思議な体験と言い伝えだそうです。

テレビではこの「松江の七不思議」④の「松江城の人柱」を話題にしていたもので、後半にもう少し詳しく説明しておきます。

・盆踊り禁止令が出されている美しい松江城です。(2007年11月撮影)


「松江城の人柱」
松江城は優美な姿から千鳥城とも呼ばれ、兵庫県の姫路城に次ぐ平面規模の天守閣を有しています。また近年には太鼓櫓・中櫓・南櫓の3棟が復元されました。
この城は慶長十二年(1607 年)に着工され、五年もの歳月を費やして慶長十六年(1611 年)末に完成しました。
天守閣の工事は難航したそうで、いくら土をつき固めても石垣が崩れてしまうため、地の神が怒っていると考えた城主は盆踊りを開催して踊りの上手な娘を人柱として埋めることにしました。
その後は不思議と地盤が固まり、立派な天守閣を造ることができました。
ところが、完成の宴の時に女性たちが踊りだすと天守閣が揺れ出し、その後も天守近くで盆踊りを催すと人柱の娘達が踊るように城が震えるということで、盆踊りは一切禁止されたとのことです。

(参考)
小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーンは、1850年6月27日、ギリシアのレフカダ島でアイルランド人の父と、ギリシア人の母との間に生まれました。
1884年、アメリカのニューオリンズで開かれた万博で日本館を見学して東洋の神秘に興味を持ったようです。
以来「古事記(翻訳物)」を読み、次第に日本に傾注していきました。
そうした所、雑誌社から「日本旅行記」の話があり、喜んで日本に取材に行くことになりました。
しかし、航海の途中で、雑誌社との契約を破棄してしまいました。

「松江との出会い」
1880年4月、ハーンは横浜港に着きます。
ここで知人のつてを頼って職探しをしていたところ、運良く、松江の中学校の外国語の教師が見つかりました。
これがハーンと松江の出会いとなったのです。
8月30日、松江に到着したハーンは、ある朝、お米をつく杵の音で目を覚まし、また川向こうの寺で鐘が鳴り、物売りで朝から賑わう町。
その松江の光景に心を打たれたハーンは松江を「神々の国の首都」と呼びました。
ハーンにとって読みふけった「古事記」そのままの松江がいかに新鮮に写ったかを物語っています。


舛添知事とミダス王

2016-05-19 | 時事

舛添東京都知事に政治資金の私的流用などさまざまな問題が浮上しています。
この件で13日に会見した知事は、[不徳の致すところ]として恐縮しているようですが、政治資金の9割は税金が投入されている事を承知していながら、高級リゾートホテルやミシュランガイドで星を獲得したイタリア料理店など高額な支出をしたり、更には絵画の落札や家族旅行で訪れたホテルの宿泊代を「会議費」名目で支出するなど、公金という意識が全くないように思えます。
日本一の大都会である東京都の知事になって大統領になったとでも思っているのか、何でも権限が与えられ、何をしてもよいと勘違いしているのではないだろうか。

ギリシャ神話に「ミダス王と黄金」「王様の耳はロバの耳」という二つの有名な話があります。

「ミダス王と黄金」
ある時、酒の神ディオニューソス(バッカス)は彼の年老いた教師であり、かつ養父であるシーレーノスが行方不明であることに気付きました。
シーレーノスはワインを飲んでいて酔っぱらってぶらついていたところを農民たちに発見され、彼らの手によってミダス王の宮殿へ運ばれていったのです。
ミダス王はシーレーノスと分かって手厚くもてなし、10日間礼儀正しく歓待し、11日目にディオニューソスのもとへ無事に送り帰しました。
ディオニューソスはこのお礼にミダス王の願いをなんでも叶えてやることにしたところ、喜んだミダスは彼が触れるもの全てが黄金に変わるようにお願いしました。
ディオニューソスは、もっと賢明な願いをすれば良いのにと残念に思いましたが、その願いを叶えてやりました。

翌朝、ミダス王は魔法の効果を試そうとウキウキしながら起き上がり、手当たり次第いろいろなものを触り始めました。
するとディオニューソスの約束通り、全てが黄金に変わったのでした。
しかし、大喜びしたのも束の間、何かをしようとしても全てが黄金に変わってしまうため何もすることができません。
しかも朝食を食べようとしても食べ物全てが黄金に変わってしまい何も食べることができないのです。
飢えに耐えかねた王は魔法を解いてもらおうとディオニューソスに懇願することにしました。

「ディオニューソスよ、黄金は私が本当に欲しかったものではないことがわかりました。私は既に欲しいもの全てを手に入れている。だからもうこの魔法を解いて下さい!お願いします。」

慈悲深い神ディオニューソスは、救ってやることにしました。
「パクトロスの河の源泉で、頭と身体とをひたして、おまえの罪と罰とを洗い流すがよい」
ミダス王は言われたとおりに、源泉に手と身体を入れるとその力は消えていきました。
その時にふれた河の水が砂金に変わり、パクトロス河は金の産地になったのです。

「王様の耳はロバの耳」
このことがあってから、ミダス王は富と栄華をきらい、田舎に住み、山野の神パーンの崇拝者になりました。
ある時、このパーンはアポローン神に音楽の腕試しをしてみようと、無謀にも言いだしました。
山の神トモーロスが審判に選ばれ、音楽の腕試しが始まりました。
パーンのひなびた葦笛の調べは、パーン自身をも、また信者のミダス王をも満足させました。

次は月桂樹の冠をいただき、緋(ひ)色の衣をたなびかせたアポローン神の番です。
左手に竪琴を持ち、右手でその弦をかき鳴らしました。その調べは、森の木も動物も、岩までも耳を傾けるほどでした。
山の神トモーロスは、直ちに勝利をこの竪琴の神へ与えました。
みんなも同意しましたが、ミダス王だけは意義をとなえ、その判定にケチをつけたのでした。
アポローン神は、このような不埒な耳は人間の耳の形をしていてはいけないと、ミダス王の耳をロバの耳に変えてしまったのです。

ミダス王は頭巾をかぶり隠していましたが、髪切りの召使いだけには頭巾を取らざるをえません。
「秘密を決してもらしてはならぬ」とミダス王に命令された召使いは、長い間に我慢できなくなり、毎夜草原に行っては穴を掘り、「王様の耳は、ロバの耳!」とささやき、穴を埋めていました。
やがて、大きくなった葦が風にゆれると、その秘密がささやかれるようになったのです。

舛添知事よ、
知事の年収は2600万円、退職金は任期の4年ごとに4300万円もあるではないですか。
これだけ貰っていて、なぜ、政治資金にまで手を出すのですか。
ディオニューソスの神から少しお灸をすえてもらいましょうか。
そして、都民の声が聞こえないようであれば、アポロンの神にお願いしてロバの耳にしてもらいましょうか。

2020年には東京オリンピックが控えています。
次は厳しいでしょうから、舛添知事には、東京都政をミダス(乱す)ことなく2018年2月までの任期を全うしてもらいたいものです。


「ケ」と「か」の区別

2016-05-18 | 雑学

ブログを書いている時、「いっかげつ」とか「すうかげつ」を入力することがありますが、これらをパソコンで変換すると、「いっかげつ」は「1か月」「1カ月」「1ヵ月」「1ケ月」「1ヶ月」「1箇月」「1個月」といろいろな「か」の字がでてきます。「すうかげつ」も同様です。
昔は漢字の場合は「箇」で、普通は「ケ」を使用していたように思いますが、果たしてどれが正しいのでしょうか?
そこで今日は「1かげつ」などの「か」と「ケ」の使用区分について調べてみました。

調べてみると、記憶通り、昔は数詞に続けて物を数えるときには、「五ヶ所」、「五ヶ条」のように小さく「ヶ」と書くことがありこの「ケ」を「か」と読むのが一般な意識とされていたようです。
固有名詞の場合にも「駒ヶ岳」「槍ヶ岳」のように「か」と読んでいます。
でも何故「ケ」を「か」と読むのでしょうか?

実は、この「ケ」はカタカナの「ケ」ではなく、「箇」が省略された形で、成り立ちとしては、「箇」がまず「个」に省略され、さらに「ケ」へと変化したのだそうです。
従って「パソコンなどでは“ケ”で代用していますが、本来は別物なのです。

国立国語研究所では、基本的にどの「ケ」や「か」、「個」、「箇」を使っても構いませんが、役所が出す公用文では、算用数字の後はひらがなの「か」を、漢数字の後は漢字の「箇」を用いているようだということです。
結論としては、日常で使う分には「ケ」と「か」はどちらを使用しても構わないが、正式なものを書く場合は「か」と「箇」を使用するほうが無難ということです。
なお、「ヶ」や「ヵ」が小さく書かれているのは、文字のバランスとして、「1ケ月」より「1ヶ月”」方がしっくりくるという、単に間違った使い方が通用していたものが残っているだけなのだそうです。


大人の塗り絵

2016-05-17 | 趣味

先日、テレビで特集をしていましたが、今、大人の塗り絵が、かつてないほどの人気になっているそうで、書店では、この1年、大人の塗り絵本の売れ行きが5倍ほどになっているとのことでした。
そこで、今日は大人の塗り絵ブームについて、テレビの特集からご紹介します。

塗り絵は過去にも何度かブームがあり、それぞれに時代の一面を映し出してきました。
昭和20年代に訪れた塗り絵ブームは、その中心となったのが、画家の蔦谷喜一が描いた「きいちのぬりえ」だそうです。
アクセサリーや髪型、そして洋服などで、塗り絵に描かれていたのは、まさしく、当時の女の子の憧れの世界でした。

・「きいちのぬりえ」です。(テレビから)


続いて訪れた塗り絵ブームは、昭和50年代で、この時の主役は、カラーテレビの普及とともに人気となったアニメのヒーローでした。
塗り絵は、子どもの遊びとして広がっていったようです。

・子供の塗り絵です。(テレビから)


3回目は今から10年前に訪れたブームです。
中心となったのは、高齢者たちで、手先を動かす塗り絵は、脳を活性化させると言われ、介護施設などで積極的に取り入れられました。 

・介護施設などでの塗り絵。(テレビから)


そして今回のブームは「おとなの塗り絵」です。
集中力アップや癒やしの効果があるとして、海外から始まり、フィギュアスケーターの浅田真央さんがこの方法で集中力を挙げたとして話題になりました。

また、脳の活性化やリフレッシュ効果などが期待でき、更に、自分の好きなカラーで塗れることから、自分の感性を表現しやすい趣味として楽しみ、出来上がった作品はスマートフォンで写して、ネットで見てもらうという今の時代ならではの楽しみ方しているようです。

例えば、下の写真は、もとは同じ塗り絵ですが、塗る人によって、昼間だったり、左側は夜だったり、下の方は雨が降っていたりということで、全く違う作品に仕上がります。
塗る人によって、こんなに変わるという、正に個性を発揮しながらも、人と互いに認め合えるということで、今の時代にピッタリな趣味として受け入れられているようだと紹介していました。

・同じ下絵を三人三様に仕上げた塗り絵です。(テレビから)


「塗り絵の効果」
大人の塗り絵はいろんな効果があるようです。
1. ストレス解消に・・・色彩には癒し効果、セラピー効果があり、また塗ることに没頭できるためリフレッシュ効果が、そして何より楽しいからストレス解消になるようです。
2. 脳の活性化に ・・・目で見て、頭で判断し、色を塗るために手を動かす、このような動作から頭を働かせている状態なので脳が活性化されます。
              お年寄りの方にはボケ防止にも良いようです。
3. 集中力UP ・・・・・・フィギュアスケーターの浅田真央さんがこの方法で集中力を挙げたと話題になりました。
              毎日少しでも集中する時間があると、人はもっと集中力が上がると言います。
              また、まだ色の塗られていない物を見て「塗りたい!」もしくは未完成の物を見て「完成させたい!」と思うようで、それによって集集中力が上がると
              言われています。
4. 自律神経の働きに良い
              現代のストレス社会によって自律神経が乱れがちとなり、それによって心の病気を引き起こしたりもします。
              毎日数分同じことをするだけで体がそれらを整えようとするのだそうです。

・塗り絵本の下絵です。(テレビから)


ここ数年、日本でも人気が高まってきている塗り絵本ですが、当初はごく少数のファンがいる趣味のひとつでした。
しかし、今や世界中でベストセラーとなっているほどの規模だそうで、特に最近注目されているのが大人向けのもののようです。

・塗っているところです。(テレビから)


デザインの緻密さや複雑さに加え、高いアート性もあり、大人だからこその指先の強弱や表現性も楽しめるとして完成品をSNSなどで公開する人も続出しています。
また、ただ単に楽しく時間を潰すためといった遊びの範疇を超えて、アンチストレスな"癒し効果"もあることが医療現場でも注目されているということです。

ブームとなっている「大人の塗り絵」、皆さんも挑戦してみては如何でしょうか。


おてもやん

2016-05-16 | ナツメロ

4月14日に震度7の熊本地震が発生してから早や1ヶ月が経ちましたが地震活動は依然として活発な状態にあります。
福岡管区気象台によると、13日午後10時までの震度1以上の地震の回数は、阪神大震災の余震のおよそ2・4倍の1422回に達したそうです。
これからも最低2カ月程度は震度6弱以上の地震が発生する可能性が否定できないとして、注意を呼びかけています。

熊本を中心とする一連の地震は早く収まって欲しいものですが、さて、昨日のニュースではこの地震の被害者の皆さんを励まそうと、ミュージシャンのグループが熊本で音楽を披露し、見学に訪れた被害者の方々が喜び、楽しみ、感謝していました。
そこで当ブログも今日は熊本の代表的な民謡を取り上げたいと思います。

熊本と言えば熊本弁が強く出ている、明るく、陽気な民謡に「おてもやん」があります。
熊本県の被災者の皆さまに少しでも元気が届けば幸甚です。



(一)
おてもやん あんたこの頃嫁入りしたではないかいな
嫁入りしたこつぁしたばってん ご亭どんがグジャッペだるけん
まぁだ盃はせんだった
村役 鳶役 肝煎りどん あん人たちのおらすけんで
あとはどうなっときゃあなろたい
川端町っつぁん きゃぁめぐろ
春日ぼうぶらどんたちゃ 尻ひっぴゃぁて花盛り花盛り
ピーチクパーチク雲雀の子 げんばく茄子のいがいがどん

(標準語訳)
おてもさんよ、あんたはついさき頃、お嫁にいったというじゃないか。
うん、嫁入りしたことはしたんだけど、
相手の男性の顔があまり好みではなかったので、
まだ固めの盃はしてないのよ。
村のおえら方や、鳶の頭
そういう村の斡旋役の方々がおられるんだから、
あとのことは何とかなるでしょう。
川端町のほうを、ぐるっと回っていくと
春日名産のかぼちゃの花が(夏になると尻を並べてゴロゴロとなるかぼちゃの、その花が)畑いっぱいに、今をさかりと咲いている。
空には雲雀がピーチクパーチクとさえずっていて、その下の畑では、
あまり品質のよくない、えぐい茄子がなっている。
あの男性も、そんな「えぐなすび」みたいで―――。

(二)
一つ山越え も一つ山越え あの山越えて
私しゃあんたに惚れとるばい 
惚れとるばってん言われんたい
追々彼岸も近まれば 若者衆も寄らすけん
くまんどんのよじょもん詣りにゆるゆる話しもきゃぁしゅぅたい
男振りには惚れんばな
煙草入れの銀金具が それがそもそも因縁たい
アカチャカ ベッチャカ チャカチャカ チャー
(三)
一つ世の中 艱難辛苦の荒波越えて
男度胸でおいでなさい くよくよしたとてしょうがない
何時か目も出る花も咲く
移り気な浮き世のならいに 取り越し苦労はおやめなさい
悩みなんぞはこちゃ知らぬ
意地と張りの心が それが後生楽たい
アカチャカ ベッチャカ チャカチャカ チャー


間髪を容れず

2016-05-15 | 雑学

「間髪を容れず」という慣用句があります。
ご存知のように、「即座に」、「とっさに」と言う意味で使われますが、読み方はどのように読むのでしょうか?
1.「かんぱつをいれず」
2.「かん・はつをいれず」
(1)(2)のどちらだと思われますか?
今日は慣用句を読む時の区切りについてご紹介します。

答えは(2)の「かん・はつをいれず」のように区切るのが正しい読み方となります。
この慣用句は「間不容髪(かん・はつをいれず)」という中国の古典『文選』に収録されている枚乘(バイジョウ)の「上書して呉王を諫む」にでており、その意味は「間(あいだ)に髪の毛一本さえ入らない」、つまりそれほどゆとりがないということで、そこから転じて、「即座に、とっさに」という意味になったわけです。
「間髪」と言う熟語は辞書にも載っておらず、しかも「間」と「髪」は離れており、読み方は「髪(はつ)」となっています。

「間髪を容れず」は「かんぱつをいれず」ではありません。
「かん・はつをいれず」と間と髪の間を区切って読みます。
そして、髪は「ぱつ」ではなく「はつ」と読むので、間違わないように気をつけたいですね。


土俵を守る四神獣

2016-05-14 | 雑学

今、大相撲夏場所が行われていますが、優勝が期待されている大関稀勢の里は順調に白星を重ねており、先場所に続いて存在感を示しています。
日本の相撲の起源としては、古事記(712年)や日本書紀(720年)の中にある力くらべの神話や、宿禰(すくね)・蹶速(けはや)の天覧勝負の伝説があげられますが、相撲の始まりは日本古来の奉納相撲を起源とし1500年以上の歴史があると言われています。

相撲はその年の五穀豊穣を占う祭りの儀式として、毎年行われてきました。これが平安時代になると宮廷の行事となり300年続くことになります。
また、神道の影響から神聖なものとみなされるようになり、現在でも土俵まわり、力士の所作には神事の名残が多く見られます。
その一つに土俵の上の吊り屋根があり、4色の房が下がっています。
この房は何を表しているのかご存知でしょうか?

この吊り屋根は伊勢神宮と同じ様式で神社建築に多く見られる神明造りで造られています。
吊り屋根は、以前は四隅から柱で支えていましたが、テレビ中継の普及とともに柱が邪魔で見えにくいと言うことから柱を取り払い、代わりに天井からワイヤで吊り下げ、柱の代わりに房が下がっている現在のような形になりました。



吊り屋根の四隅を飾る四色の房はそれぞれの色が四季と天の四神獣(しじんじゅう)を表わし、五穀豊穰を祈念しているともいわれています。
◯正面東側(東北)、  青房・・・東方の守護神 青龍神(=青い龍)・・「春」
◯向正面東側(東南)、赤房・・・南方の守護神 朱雀神(=赤い鳥)・・「夏」
◯向正面西側(西南)、白房・・・西方の守護神 白虎神(=白い虎)・・「秋」
◯正面西側(西北) 、 黒房・・・北方の守護神 玄武神(=黒い亀)・・「冬」

この天の四神獣は、土俵を守る意味で四隅に祀られているもので、高松塚古墳の壁画にも描かれています。
四色の房は、絹の刺繍糸を撚(よ)り合わせて作り、1本の長さは230センチ、太さは70センチ、重さ25キログラムです。
土俵から房の先までは305センチの高さになっています。

力士たちは、このように神に守られている神聖な土俵で相撲をとっているのです。
その事を十分自覚してもらい、横綱は横綱相撲を、大関は大関相撲を心掛け、神様が見て喜ばれるような堂々とした相撲をとってもらいたいものです。

(参考)
どこにどの色の房を下げるか位置が決まっていて、時計回りに、正面は黒、東は青、向正面は赤、西は白です。
この4色の房がそれぞれ象徴しているのは、黒は玄武、青は青龍、赤は朱雀、白は白虎です。
また、この4色は方角も表しており、黒は北、青は東、赤は南、白は西となっています。
更に、この4色は季節も表しており、黒は冬、青は春、赤は夏、白は秋です。


せいぜい

2016-05-13 | 雑学

ある雑誌に「せいぜい」と言う言葉について書かれていました。
記事は、『上司から「せいぜいがんばって」と言われて、嫌な気分になりました』というものです。
皆さんはこのように言われたら嫌な気分になりますか?

そこで今日は「せいぜい」について調べました。

「せいぜい」は、漢字で「精々(精精)」と書きます。その本来の意味は文字通り、「がんばって」「一生懸命」「力を振り絞って」と言うことです。
昔は、この言葉はこの意味で一般的に使われており、その使用は文学にもみられます。
例えば、1920年(大正9年)芥川龍之介の「お律と子等と」では、「ソップも牛乳もおさまった? そりゃ今日は大出来(おおでき)だね。まあ精々食べるようにならなくっちゃいけない。」
1931年(昭和6年)北大路魯山人の「夏日小味」では、「上等のかつおぶしを、せいぜい薄く削り、わさびのよいのをネトネトになるよう細かく密におろし、思いのほか、たくさんに添えて出す。」
のように、「せいぜい」はもともとは積極的な意味で「がんばって」という意見を示すものでした。

これに対して、最近では「(まあ、がんばったところで)たいしたことはないだろうが」と言うような、マイナスのニュアンスが伴うようになってきたようです。
1994年(平成6年)中島みゆきが作詞した「てんびん秤」の歌詞には、「どこで泣こうと涙の勝手 知ったことじゃないけれどあんたの前じゃ泣きやしないから せいぜい安心するがいい」と使われています。

この言葉は、広辞苑で調べると、
①力の及ぶ限り。精一杯。
②十分に多く見積もっても。たかだか。
と説明しており、本来のよい意味と、嫌みの二通りを説明しています。

NHKがウェブ上でおこなったアンケートでも、「せいぜい」の解釈をめぐっては、下図のように年代差があることがわかります。
それによると、「せいぜいがんばってください。」という言い方に対して、60歳以上の人たちでは「『いやみ』または『応援』の、どちらのつもりで言っているのかは、その場面によって異なる」という回答が4割程度を占めているのですが、20代ではわずかに2割程度となっています。



「せいぜい」には、もともとは悪い意味はなく、前向きな言葉で使用されていましたが、近年では意味の変化が進んでいることから、使う場合や、それを聞き手として解釈する場合には注意が必要のようです。

 


わたし的には

2016-05-12 | 時事

テレビを観ていると、若い人たちの中に「わたし的には・・・」という言い方をする人が多いように思います。
この言葉は若者言葉だと思っていましたが、40歳以上と思われる評論家や政治家の人までも使う人がいます。
聞いていてとても違和感を感じますが、皆さまは如何でしょうか?

「○○的」という言い方は自然なものもありますが、若い人たちが使用している言葉の中には不自然な感じを与えるものが多く、最近行われたある調査で、「この服は長さ的には丁度よい」と言う例文を出して尋ねたところ、不自然だと感じる人が46%いたそうです。
この例文の自然な表現としては「長さはちょうどよい」ですが、何故「長さ的には」と「的」を使用するのでしょうか?

「○○的」の「的」には、「そのものではないが、それに似た性質を持つ」という意味があって、意味をぼかして曖昧にしておくことができるのです。
従って、話し手側にとっては楽な表現なのですが、反対に、聞き手には意味がよく伝わらないことがあるということです。

また、「私的には」という表現については、
・自分の意見をストレートに言おうとしない逃げの姿勢が感じられることや意味が曖昧になって聞き手にきちんと伝わらない恐れがありますが、これは、なんでもぼやかす最近の風潮が影響しているのではないか。
・更に、『私としては』とか『気持ちの上では』、『生活の点では』などと使い分けるべき表現を『私的には』の一言で表現し、使い分ける必要がないことから、便利さがあること。
などが、支持されているのではないかと言うことです。

平成26年度の国語に関する世論調査によれば、「わたし的には」を使用した事があるかを聞いたところ、「ある」と回答した割合は20代で47.0%と平成11年、平成16年の調査以降、年々増加してきているようです。

「わたし的には」という表現は一応意味は通じますが、正式な表現としてはおそらく認められていないということであり、仲間内の俗語としてなら使えるといった程度の表現のようです。
従って、改まった場での使用は気をつけた方が良さそうだと言うことです。