せいぜい
ある雑誌に「せいぜい」と言う言葉について書かれていました。
記事は、『上司から「せいぜいがんばって」と言われて、嫌な気分になりました』というものです。
皆さんはこのように言われたら嫌な気分になりますか?
そこで今日は「せいぜい」について調べました。
「せいぜい」は、漢字で「精々(精精)」と書きます。その本来の意味は文字通り、「がんばって」「一生懸命」「力を振り絞って」と言うことです。
昔は、この言葉はこの意味で一般的に使われており、その使用は文学にもみられます。
例えば、1920年(大正9年)芥川龍之介の「お律と子等と」では、「ソップも牛乳もおさまった? そりゃ今日は大出来(おおでき)だね。まあ精々食べるようにならなくっちゃいけない。」
1931年(昭和6年)北大路魯山人の「夏日小味」では、「上等のかつおぶしを、せいぜい薄く削り、わさびのよいのをネトネトになるよう細かく密におろし、思いのほか、たくさんに添えて出す。」
のように、「せいぜい」はもともとは積極的な意味で「がんばって」という意見を示すものでした。
これに対して、最近では「(まあ、がんばったところで)たいしたことはないだろうが」と言うような、マイナスのニュアンスが伴うようになってきたようです。
1994年(平成6年)中島みゆきが作詞した「てんびん秤」の歌詞には、「どこで泣こうと涙の勝手 知ったことじゃないけれどあんたの前じゃ泣きやしないから せいぜい安心するがいい」と使われています。
この言葉は、広辞苑で調べると、
①力の及ぶ限り。精一杯。
②十分に多く見積もっても。たかだか。
と説明しており、本来のよい意味と、嫌みの二通りを説明しています。
NHKがウェブ上でおこなったアンケートでも、「せいぜい」の解釈をめぐっては、下図のように年代差があることがわかります。
それによると、「せいぜいがんばってください。」という言い方に対して、60歳以上の人たちでは「『いやみ』または『応援』の、どちらのつもりで言っているのかは、その場面によって異なる」という回答が4割程度を占めているのですが、20代ではわずかに2割程度となっています。
「せいぜい」には、もともとは悪い意味はなく、前向きな言葉で使用されていましたが、近年では意味の変化が進んでいることから、使う場合や、それを聞き手として解釈する場合には注意が必要のようです。
やはり、完璧さを求めるよりガンバレと励ますニュアンスです。使い方では悪きがなくても相手にマイナスに響くかも知れませんね。
>俳優の熱演には頭が下がります。観ている人をよくぞここまで感動させるような演技ができるものだと、不思議でなりません。
セリフが空虚にならぬよう尽くすのは難しく、まして語らずに感情を表現するのは一層難しいです。