らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

松江の七不思議

2016-05-20 | 旅行

今、日本の首都東京が揺れています。
一方、揺れていないのは「神々の国の首都」です。
「神々の国の首都」とは、山陰の松江のことで、これを命名したのは明治の文豪小泉八雲です。
先日、某テレビで、小泉八雲の「松江の七不思議」の話をしていました。
そこで今日はこの七不思議を調べてみました。

「松江の七不思議」
小泉八雲が記している「松江の七不思議」の言い伝えは次の通りです。
①:源助柱(gensuke_pillar)
慶長年間にはじめて松江大橋を架けるとき、何度造り直してもすぐに大水に流されてしまう。水神の怒りに違いないと、人柱を立てることとなり、選ばれたのが源助(gensuke)でした。それ以来、夜になると源助柱(gensuke_pillar)に鬼火が飛び交ったと言われます。
なお、源助(gensuke)柱は松江大橋の南詰に公園として整備され残っています。
②:嫁が島(yomega_shima)
昔、姑にいびられた哀れな嫁が、里帰りをしようとしました。近道をしようと氷の張った宍道湖を渡ったとき、氷が割れて宍道湖の中に落ちて死んでしまいました。
神様は余りにもかいそうなので、嫁のなきがらを乗せて一夜の内に島をお造りになり浮かび上がらせました。
③:お城のきつね
松平直政公(matsudaira_naomasa_kou)が松江藩主になった時、稲荷新左衛門と名乗る少年が、「城内に私の住む所をお作り下さるのなら、火の禍を防ぎます」と言って消えました。
そこで、直政公は城内に城山稲荷神社を造りました。
④:松江城の人柱
何度も崩れる石垣の下に、お祭りで踊っていたある美しい女性が人柱として生き埋めにされました。石垣は崩れなくなったものの、城が完成してから、盆踊り禁止令が出されました。それは、女性たちが盆踊りを踊るとお城全体が揺れ動くからだと言われています。
⑤:小豆とぎ橋
普門院(fumon_temple)の近くにある「小豆とぎ橋」では、杜若(kakitubata)の歌を歌ってはいけないと言われていました。
ある時、豪快な侍が大きな声で歌いました・・。そして、家の前にいた美しい女性の差し出した箱を開けてみると、そこには自分の子供の首が・・・・・。
⑥:子育て飴
毎日ある飴屋に若い女が飴を買いに来る。ある晩飴屋の主人が不信に思って後をつけると、大雄寺と言う寺の中に消えました。
ある新しい墓の下で子供の泣き声がするので掘り返してみると、そこには元気な子供と最近埋葬されたばかりの若い女性の躯が・・。
「母の愛は死よりも強い」。
⑦:子供の幽霊:(知られざる日本の面影」より
八雲は島根半島の「加賀の潜戸(kukedo)」を訪れた。新潜戸(new_kukedo))は佐太(sada)大神が生まれた場所で、旧潜戸(old_kukedo)は子供の魂が集う「賽(sai)の河原」として知られています。
この話は、八雲が旧潜戸(old_kukedo)で遭遇した不思議な体験と言い伝えだそうです。

テレビではこの「松江の七不思議」④の「松江城の人柱」を話題にしていたもので、後半にもう少し詳しく説明しておきます。

・盆踊り禁止令が出されている美しい松江城です。(2007年11月撮影)


「松江城の人柱」
松江城は優美な姿から千鳥城とも呼ばれ、兵庫県の姫路城に次ぐ平面規模の天守閣を有しています。また近年には太鼓櫓・中櫓・南櫓の3棟が復元されました。
この城は慶長十二年(1607 年)に着工され、五年もの歳月を費やして慶長十六年(1611 年)末に完成しました。
天守閣の工事は難航したそうで、いくら土をつき固めても石垣が崩れてしまうため、地の神が怒っていると考えた城主は盆踊りを開催して踊りの上手な娘を人柱として埋めることにしました。
その後は不思議と地盤が固まり、立派な天守閣を造ることができました。
ところが、完成の宴の時に女性たちが踊りだすと天守閣が揺れ出し、その後も天守近くで盆踊りを催すと人柱の娘達が踊るように城が震えるということで、盆踊りは一切禁止されたとのことです。

(参考)
小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーンは、1850年6月27日、ギリシアのレフカダ島でアイルランド人の父と、ギリシア人の母との間に生まれました。
1884年、アメリカのニューオリンズで開かれた万博で日本館を見学して東洋の神秘に興味を持ったようです。
以来「古事記(翻訳物)」を読み、次第に日本に傾注していきました。
そうした所、雑誌社から「日本旅行記」の話があり、喜んで日本に取材に行くことになりました。
しかし、航海の途中で、雑誌社との契約を破棄してしまいました。

「松江との出会い」
1880年4月、ハーンは横浜港に着きます。
ここで知人のつてを頼って職探しをしていたところ、運良く、松江の中学校の外国語の教師が見つかりました。
これがハーンと松江の出会いとなったのです。
8月30日、松江に到着したハーンは、ある朝、お米をつく杵の音で目を覚まし、また川向こうの寺で鐘が鳴り、物売りで朝から賑わう町。
その松江の光景に心を打たれたハーンは松江を「神々の国の首都」と呼びました。
ハーンにとって読みふけった「古事記」そのままの松江がいかに新鮮に写ったかを物語っています。