ずっと泣いてしまったことについて自問自答していた。
「本当に精神的に限界だったか」「甘えで泣いたのか」と。
当然、嫌がらせで泣けるほど演技力もない。
まず、仕事のストレスで心療内科に通っている人に相談した。
彼女の場合、人が怖くなって身体が動かなくなり、
ついにはやはり涙が止まらなくなり、
人に連れられ心療内科の門をくぐったという。
心療内科については最初は「私の話を聞いてくれる」という感じで
行くのが楽しかったという。
しかし、だんだん正常に戻ってくると
心療内科の先生は”当たり障りないことをいっている”ことに
気がついたという。
通っていてもこれ以上良くなることはないと思う反面、
通院を止めたら元のように戻るのではないかという
不安で通院は続けたという。
3年通院して止めたという。(もちろん自発的に)
彼女が経験で学んだことは
「なにごとも気にしないこと」「寡黙になること」
「なにも考えられなくなるくらい身体を疲れさせて
眠ること」だという。
変人といわれても話さないとのこと。
話すということはいいことも悪いことも返ってくる。
だから、寡黙になったという。
私のケースは、やはり受診すべき状態だと思うという。
けれど、受診しても最初は気が楽になるが、
最終的には自分自身が強くなり考え方を変えないと
同じことの繰り返しだから、
もっと自分に強くなりなさいという。
涙のことについては何も判断しなかったが、
いわれたことが気になるなら、
「寡黙になりなさい」と。
きっと同じようなことをいうから言い返されるんだという。
次にネット仲間に相談する。
当然会ったこともない人ばかり。
彼らの意見は「なぜそんなに仕事に力を入れたのか。
80%の力での仕事でもよかったのではないか」という。
極端な話50%の仕事で90%やっているように
要領よくできなかったのかと。
確かになんでそんなに仕事に力を入れたんだろう。。。。
人に迷惑がかかるというだけが理由か?
体験談で衝撃だったのは、ストレスで20歳代の若さで
左半分だけ白髪になってしまった話。
みなストレスの出た方は違う。
精神的なストレスを乗り越えた結果だと思う。
「会社のために命を削りたくなく」と思い
退職したら白髪は治ったという。
それから縛られない生活をするように心がけているという。
マンションも賃貸。
賃貸であれば、町にも縛られないですむ。
私に対しては「ストレスに縛られない生活をしたら」と
アドバイスをくれた。
たとえばストレスの元の仕事を辞める。
するとストレスから開放され新しいものを見つけ
立ち直れるのではないかと。
よく私は「仕事をやめたら寝たきりになっちゃう」と書く。
会社にいくから朝もきちんと起き、3食食べている。
行かなかったら絶対お布団から出てこないような気がする。
でも、仕事をするのはそれだけのためなのだろうかと考えてみる。
やはり私の心のどこかに
「認められることで自分の存在を認識する」という意識があるのだ。
「よくやった」と褒められることで自分の必要性を認識し、
「だめなやつ」と烙印を押されて相手にされなくなるのが怖い。
だからこそ、がんばってしまい、
だからこそ、「涙」のことも烙印に思えて気になる。
SLEになったのも認められたいとがんばりすぎたから。
再燃を繰り返し透析になってしまったのも、
認められたいとがんばりすぎたから。
もっと自分に自信を持たなくてはいけないなあと思う。
他人の評価に左右されて気持ちが揺らぐようでは、
それがこれからもストレスの原因になるから。
人は、家庭、仕事、友人、趣味、親戚、ご近所の
6つの顔を最低でももつといいという。
どれかひとつうまくいかなくても
他があれば乗り越えられるという。
しかし、私には今にも消えそうな家庭と趣味、
重い仕事と病院(体調)しかない。
あとは時間と体力がないので持ち合わせていない。
だから、仕事を大切にしてしまうのだ。
仕事は今のすべてになっているのだ。
これからはもっと人生楽しまなくちゃ。
いろいろな顔を作ろう。
もっと外に出よう。
仕事に疲れたと寝ているんじゃなくて、
おいしいものを食べたり、遊んだり。
場合によっては疲れをとるために
年休を使ってもいいじゃないかと思えるようになった。
病気のときのために年休を貯めておくのはもったいない。
また、人の顔色を伺うのでなく、気楽に付き合える人を
見つけ出し付き合えばいい。
いろいろな顔をもてば、必然的に自信になる。
そう思えるようになったら
泣いたことは気にならなくなった。
人生何度失敗し、反省してもまた失敗する。
また「認められること」で自分を認識するようなことを
繰り返すかもしれない。
でも、今までと違うのは
ネット友達がいるっていうこと。
仕事で知り合った友達では仕事上の利害関係も大なり小なりある。
遠慮もあるし、うわべだけの付き合いにもなりやすい。
しかし、ネット友達はネットだけの付き合いだから
利害関係もなく、率直な意見が聞けるし、いいやすい。
ネット友達を大切にして、
私の素行を「監視」してもらおう。
ネット友達に相談して救われた。
みんなありがとうね。
そして、いつもコメントをくれるみんな。
みんなのコメントがブログを続ける力になっています。
ありがとうね。
「本当に精神的に限界だったか」「甘えで泣いたのか」と。
当然、嫌がらせで泣けるほど演技力もない。
まず、仕事のストレスで心療内科に通っている人に相談した。
彼女の場合、人が怖くなって身体が動かなくなり、
ついにはやはり涙が止まらなくなり、
人に連れられ心療内科の門をくぐったという。
心療内科については最初は「私の話を聞いてくれる」という感じで
行くのが楽しかったという。
しかし、だんだん正常に戻ってくると
心療内科の先生は”当たり障りないことをいっている”ことに
気がついたという。
通っていてもこれ以上良くなることはないと思う反面、
通院を止めたら元のように戻るのではないかという
不安で通院は続けたという。
3年通院して止めたという。(もちろん自発的に)
彼女が経験で学んだことは
「なにごとも気にしないこと」「寡黙になること」
「なにも考えられなくなるくらい身体を疲れさせて
眠ること」だという。
変人といわれても話さないとのこと。
話すということはいいことも悪いことも返ってくる。
だから、寡黙になったという。
私のケースは、やはり受診すべき状態だと思うという。
けれど、受診しても最初は気が楽になるが、
最終的には自分自身が強くなり考え方を変えないと
同じことの繰り返しだから、
もっと自分に強くなりなさいという。
涙のことについては何も判断しなかったが、
いわれたことが気になるなら、
「寡黙になりなさい」と。
きっと同じようなことをいうから言い返されるんだという。
次にネット仲間に相談する。
当然会ったこともない人ばかり。
彼らの意見は「なぜそんなに仕事に力を入れたのか。
80%の力での仕事でもよかったのではないか」という。
極端な話50%の仕事で90%やっているように
要領よくできなかったのかと。
確かになんでそんなに仕事に力を入れたんだろう。。。。
人に迷惑がかかるというだけが理由か?
体験談で衝撃だったのは、ストレスで20歳代の若さで
左半分だけ白髪になってしまった話。
みなストレスの出た方は違う。
精神的なストレスを乗り越えた結果だと思う。
「会社のために命を削りたくなく」と思い
退職したら白髪は治ったという。
それから縛られない生活をするように心がけているという。
マンションも賃貸。
賃貸であれば、町にも縛られないですむ。
私に対しては「ストレスに縛られない生活をしたら」と
アドバイスをくれた。
たとえばストレスの元の仕事を辞める。
するとストレスから開放され新しいものを見つけ
立ち直れるのではないかと。
よく私は「仕事をやめたら寝たきりになっちゃう」と書く。
会社にいくから朝もきちんと起き、3食食べている。
行かなかったら絶対お布団から出てこないような気がする。
でも、仕事をするのはそれだけのためなのだろうかと考えてみる。
やはり私の心のどこかに
「認められることで自分の存在を認識する」という意識があるのだ。
「よくやった」と褒められることで自分の必要性を認識し、
「だめなやつ」と烙印を押されて相手にされなくなるのが怖い。
だからこそ、がんばってしまい、
だからこそ、「涙」のことも烙印に思えて気になる。
SLEになったのも認められたいとがんばりすぎたから。
再燃を繰り返し透析になってしまったのも、
認められたいとがんばりすぎたから。
もっと自分に自信を持たなくてはいけないなあと思う。
他人の評価に左右されて気持ちが揺らぐようでは、
それがこれからもストレスの原因になるから。
人は、家庭、仕事、友人、趣味、親戚、ご近所の
6つの顔を最低でももつといいという。
どれかひとつうまくいかなくても
他があれば乗り越えられるという。
しかし、私には今にも消えそうな家庭と趣味、
重い仕事と病院(体調)しかない。
あとは時間と体力がないので持ち合わせていない。
だから、仕事を大切にしてしまうのだ。
仕事は今のすべてになっているのだ。
これからはもっと人生楽しまなくちゃ。
いろいろな顔を作ろう。
もっと外に出よう。
仕事に疲れたと寝ているんじゃなくて、
おいしいものを食べたり、遊んだり。
場合によっては疲れをとるために
年休を使ってもいいじゃないかと思えるようになった。
病気のときのために年休を貯めておくのはもったいない。
また、人の顔色を伺うのでなく、気楽に付き合える人を
見つけ出し付き合えばいい。
いろいろな顔をもてば、必然的に自信になる。
そう思えるようになったら
泣いたことは気にならなくなった。
人生何度失敗し、反省してもまた失敗する。
また「認められること」で自分を認識するようなことを
繰り返すかもしれない。
でも、今までと違うのは
ネット友達がいるっていうこと。
仕事で知り合った友達では仕事上の利害関係も大なり小なりある。
遠慮もあるし、うわべだけの付き合いにもなりやすい。
しかし、ネット友達はネットだけの付き合いだから
利害関係もなく、率直な意見が聞けるし、いいやすい。
ネット友達を大切にして、
私の素行を「監視」してもらおう。
ネット友達に相談して救われた。
みんなありがとうね。
そして、いつもコメントをくれるみんな。
みんなのコメントがブログを続ける力になっています。
ありがとうね。