晴れときどきくもり。だったはず。
昨日はまた眠くなって寝てしまう。
「家族ゲーム」での疲れゆえか。
いつもと違う時間に起きて行動するとそうなる模様。
町山智浩「『最前線』の映画」を読む。
あれこれ観た映画の中にそういう「意味」があったのかと。
キリスト教の影響の大きさをあらためて。
ただし。
その種の「前提」が他者に伝わるかどうかについての「鈍感さ」たるや。
今回もあれこれ教えてもらった次第。
そのことは素直にありがたいのみ。
園子温「自殺サークル」(’02)を観る。
今となっては何とも贅沢なキャスト。
石橋凌、長瀬正敏、麿赤兒、さとう玉緒、宝生舞、ROLLY、嘉門洋子、余貴美子に加え。
北見敏之、金子貴俊、岡安泰樹、田中圭、林家たいへい、蛍雪次郎の姿など。
放送作家の倉本美津留が顔を出したりもしていて。
およそ20年前の「アイドルの姿」がいかにも安く。
個人的にはミツコの萩原明の「不敵な顔」が印象に残る。
「勝手に生きろ」というメッセージが最後に。
個人的にはほぼ自動的にそうしている次第。
谷本真由美「脱!暴走老人」を読む。
著者は相変わらず「ヨーロッパの『好ましい基準』」を示している。
「自分が楽しむこと」を「最優先にする当然」がないわが国の人々には「響く」のか。
「会社がすべて」という「貧しい環境」を生きた「老人たち」の現実の結果。
いたずらに「孤独」を抱えて「不全感」ゆえに「暴走する姿」はほぼ「ネトウヨ」。
つまり「ネトウヨの『先輩』」がこうした人々であることを覚えておこう。
「横のつながりのない男子のダメな姿」だと思ってもよさそう。
大島新「園子温という生きもの」(’16)を観る。
かの監督の姿がここに。
「表現者であること」以外は「どうでもいい」という姿にふむふむ。
妻である神楽坂恵(園いづみ)が過去の作品を撮った時の状況を思い出して泣く。
「アーティストである夫」については理解を示しているけれど。
ある種の才能を持った人物が「極道」であることをあらためて。
その最たるものはピカソだったり。
俳優の染谷将太や二階堂ふみからすれば「好ましい存在」。
もっとも彼ら彼女らは監督の「日常」に接することはなく。
「破綻者」としてのアーティストを描く本作は「天才伝説」をいたずらに持ち上げる趣き。
たとえば横尾忠則はアート以外に関しては「常識人」なので。
昨日はまた眠くなって寝てしまう。
「家族ゲーム」での疲れゆえか。
いつもと違う時間に起きて行動するとそうなる模様。
町山智浩「『最前線』の映画」を読む。
あれこれ観た映画の中にそういう「意味」があったのかと。
キリスト教の影響の大きさをあらためて。
ただし。
その種の「前提」が他者に伝わるかどうかについての「鈍感さ」たるや。
今回もあれこれ教えてもらった次第。
そのことは素直にありがたいのみ。
園子温「自殺サークル」(’02)を観る。
今となっては何とも贅沢なキャスト。
石橋凌、長瀬正敏、麿赤兒、さとう玉緒、宝生舞、ROLLY、嘉門洋子、余貴美子に加え。
北見敏之、金子貴俊、岡安泰樹、田中圭、林家たいへい、蛍雪次郎の姿など。
放送作家の倉本美津留が顔を出したりもしていて。
およそ20年前の「アイドルの姿」がいかにも安く。
個人的にはミツコの萩原明の「不敵な顔」が印象に残る。
「勝手に生きろ」というメッセージが最後に。
個人的にはほぼ自動的にそうしている次第。
谷本真由美「脱!暴走老人」を読む。
著者は相変わらず「ヨーロッパの『好ましい基準』」を示している。
「自分が楽しむこと」を「最優先にする当然」がないわが国の人々には「響く」のか。
「会社がすべて」という「貧しい環境」を生きた「老人たち」の現実の結果。
いたずらに「孤独」を抱えて「不全感」ゆえに「暴走する姿」はほぼ「ネトウヨ」。
つまり「ネトウヨの『先輩』」がこうした人々であることを覚えておこう。
「横のつながりのない男子のダメな姿」だと思ってもよさそう。
大島新「園子温という生きもの」(’16)を観る。
かの監督の姿がここに。
「表現者であること」以外は「どうでもいい」という姿にふむふむ。
妻である神楽坂恵(園いづみ)が過去の作品を撮った時の状況を思い出して泣く。
「アーティストである夫」については理解を示しているけれど。
ある種の才能を持った人物が「極道」であることをあらためて。
その最たるものはピカソだったり。
俳優の染谷将太や二階堂ふみからすれば「好ましい存在」。
もっとも彼ら彼女らは監督の「日常」に接することはなく。
「破綻者」としてのアーティストを描く本作は「天才伝説」をいたずらに持ち上げる趣き。
たとえば横尾忠則はアート以外に関しては「常識人」なので。